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<短編小説>あたたかい風に運ばれて

 天国にいる愛猫、白ネコのスイと黒ネコのルツにはコーギー犬の友達がいる。

              *****

 粉雪のように軽やかに、白い花びらが舞っている。桜の花が咲く木の枝に止まり、可憐な花を鮮やかな緑色のインコがつついているせいだ。白い花びらが作る絨毯の上で前足を立てて座り、スイは鼻を動かしながら優しい空気の匂いを嗅いでいる。ちょうどスイの白い毛を太陽の光が照らし、眩く輝いている。

「今日の風にはなんだか温もりを感じるわ」

 スポットライトを浴びている女優のようなスイの元に、先ほどから芝生の上をウロウロ歩き回っていたルツが来て言った。

「ウィローとヴァルカンがこちらへ走ってくるよ」

「おや、ウィローもヴァルカンも今日は一段と元気が良さそうだなあ」
 長い胴体を短い足で支えるコーギー犬は、ちょうどネコより少し大きいくらの大きさだ。2匹のフレンドリーな性格が、ネコであるスイとルツの警戒心を溶かし、4匹はすぐに友達になった。スイとルツを目掛けて一目散に走ってくると、尻尾を左右に振りながら、興奮気味にヴァルカンが話し始めた。

「また家族に会えるんだよ。おじいちゃんに」

 天国にいる彼らが会えると言うことは、人間界で悲しい最期の時を迎えてしまったことになる。今人間界に溢れている悲しみを思うと、いたたまれない気持ちになるが、また家族に会える彼らにとっては、やはり高ぶる気持ちを抑えられないであろう。

「そう。ヴァルカンはおじいちゃんが大好きだったって言ってたわよね。また一緒に暮らせるようになるのね」

 スイは目に少し悲しみの色を浮かべながらも、温かい声で言った。

「おじいちゃんのフィルはものすごくたくさんの人に愛されていたのよ。99歳だったの」

 ウィローは静かにフィルについて語り始めた。

 フィルには4人の子供達と8人の孫、そして10人の曾孫がいた。長男のチャーリーは、「愛する父は特別な人だった」と話した。孫のウィルは「祖父は類まれな人であった、大人になるまで祖父がいてくれたことは幸運だった」と、そしてウィルの弟ハリーは「奉仕の精神と名誉、素晴らしいユーモアの持ち主だった」と発言した。そして、おそらく誰よりも深い悲しみの中にいると思われるのは、73年間連れ添った妻リリベットであろう。フィルは女王であるリリベットを70年近くも献身的に支えたのだ。

「フィルとリリベットはね、とっても仲良しの夫婦だったんだ。戦争で離れ離れの時間を過ごしていた時も、お互いの写真を支えに想い続けて、そして、結婚したんだ」

 ヴァルカンは得意気に話し始めた。

 フィルとリリベットは元々遠い親戚関係にあった。しかし、フィルとリリベットは対照的な幼少時代を過ごしている。フィルもリリベットとは違う国の王家の一員として誕生したが、まだ1歳の時に祖国でクーデターが起こった。そして、家族と亡命生活を余儀なくされてしまった。さらに不運は続き、父親は愛人を持ち、精神を病んでいった母親は施設に入ることになってしまった。やがて姉たちは結婚し、孤児同然となったフィルは、親戚が住むリリベットのいる国で寄宿学校に入る。学校が長い休みに入る時は、親戚の家に預けらていた。その後もいくつかの学校で、幼年時代を過ごした。学校でのフィルは、成績もよく、スポーツも得意だったと言われている。そして、青年期に海軍兵学校に在学中、国王である父と一緒に、リリベットがその学校を訪れた。その時、13歳のリリベットのお世話役を務めたのが、18歳のフィルであった。まだ幼いリリベットに対して、男前で気が利く対応をしたフィル、リリベットはすっかり魅了されてしまったのだ。そうして、リリベットとの交際が始まった。

 卒業後、海軍に入隊したフィルは、第二次世界大戦に従軍する。1945年日本が降伏文書を調印した際、米国の戦艦ミズーリ号の警護をしていたと言われている。そして、戦争から戻った1946年の夏、リリベットと3週間の休暇をともにしたフィルは、彼女にプロポーズをし、翌年26歳のフィルと21歳のリリベットは結婚をした。

「でもね、フィルの結婚はちょっと特別な立場にあったのよ。だって、女王の夫になってしまったのだから」

 ウィローは前足を前にきちんとそろえて座り、大きな三角形の耳をピクピク動かしながら言った。前足を立てていたヴァルカンも、ウィローと同じように腰を落とした。スイとルツはいつの間にか、並んで2匹のコーギーの前で香箱座りをして熱心に話を聞いていた。

 1952年、リリベットの父である国王は病に侵され、56歳の若さで崩御した。そして、それからリリベットの女王としての暮らしが始まったのだ。

「フィルはね、リリベットが女王になってから海軍の仕事から離れることになったの。初めは王室内での自分の立場がわからずに、困惑した時期もあったそうよ」

「でも、フィルは幼少期に自分の居場所が転々としても、いつでも前を向いて楽しく人生を送っていたのだから、王室に入ってからだってもちろん大活躍したんだよ。王室の様子をテレビで放映することを積極的に進めたたり、どんどん新しいことに挑戦していったんだ」

 ウィローとヴァルカンは、フィルが取り組んできたことを得意気に語った。王室の一員として、公務にも積極的に取り組んだフィルは、それから慈善団体のパトロンとしても活躍した。

 熱心に2匹の犬たちのお話を聞いていたスイの背中に、桜の花びらが舞い降りた。

「おや、スイ、お日様に当たりすぎて背中にシミができたみたいだよ」

「えっ?」

 ヴァルカンがおちょくるように言うと、スイは驚いて首を背中の方へひねったが、花びらまでは口が届かない。

「もう、ヴァルカンったら。そういう口の悪いところ、フィルおじいちゃんに似ているんだから!」

 ウィローはスイに近寄り、背中についている花びらをそっとくわえた。

「フィルは失言が多いって言われていたけれど、ハリーが言っていたようにそれはユーモアなんだよ。フィルはいつだって、場を和ませることを考えていたんだ。そういえば、フィルは一度日本のテレビに出たことがあるんだよ。お昼にやっている玉ねぎのような髪型をしたおばちゃんのトーク番組に」

 ヴァルカンはおかしなことを思い出したように、ニヤニヤしながら続けた。

「その番組で、フィルが真面目に地球の環境問題として森林伐採の話をしたら、その司会者のおばちゃんが、日本人は割り箸を使うから、っていう話をし始めたんだ。そうしたら、おばちゃんったらお話が全然止まらなくなって、ついには、そのおばちゃんが話している途中で、エンディングの音楽が流れて、番組が終わったちゃったんだよ。フィルは最後に、こんな形で番組を終わらせるなんて、ひどい番組だって言ったんだって。本当にその通りだろう? フィルの真面目な話が、司会者が喋っている途中で途切れてしまったんだ。見ている人たちもびっくりしたはずだよ。だから、フィルは最後に端的に正直な感想を言ったんだよ」

「そりゃひどいな。でもゲストがひどい番組って言ったことで、視聴者を笑いに包んだんだろうな。ヴァルカンのおじいちゃん、かっこいいや」

 ルツもまた笑いながら言った。

「でも、リリベット、これから寂しくなっちゃうわね」

 スイがポツリと言った。

「そうね。でもちゃんとリリベットはフィルとのお別れが近いことはわかっていたのよ。フィルはちゃんと最後に自宅で、最愛のリリベットと一緒に過ごすことができて、とても幸せだったわ」

 ウィローが言うと、他の3匹も真面目な顔になって頷いた。

「ちょっと前にね、リリベットは新しく僕たちの仲間と一緒に暮らし始めたんだ。前からいたキャンディに加えて、今では3匹のコーギーに囲まれているよ。リリベットのところに新しいコーギーが増えること、僕はとても嬉しく思っているんだ。リリベットの笑顔が失われることが、僕たちにとっては一番悲しいことだから」
 
ヴァルカンは言った。

「僕たちはこっちに来ても、いつでも家族を見守っているし、家族の気持ちを感じることができるんだって、きっとわかってくれていると思うんだ」

 ルツが前足を立てて立ち上がり、大きく伸びをすると、釣られるようにスイもまた立ち上がった。コーギーたちは、フィルを迎えるためにおうちをきれいにするんだ、と意気込んで言うと、また元気よくかけて行った。2匹が走り出すと、あたたかい風がまたあたりを包み込んだ。

               *****

フィリップ殿下のご冥福を心よりお祈り申し上げます。


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