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【配給会社ムヴィオラのウラ②】もしアテネフランセ文化センターがなかったら。

ムヴィオラが15周年を迎えた2015年、新宿のケイズシネマさんが「区切りの年だから、ムヴィオラの配給作で特集上映しませんか』と声をかけてくれた。ケイズシネマさんには、毎年12月に瀬々敬久監督の『ヘヴンズ ストーリー』を上映してもらっていていて、2011年からやっているので、今やなんだか年に一度親戚が集まる法事のように上映を続けていて、当時もそんな縁でご親切にしてくれたのだ。
その時の特集上映のタイトルは「はしっこでも世界」。
ムヴィオラはいわゆる「映画界」の真ん中にはいなくて、はしっこだと思っているから。
もともと「業界」というのも苦手なので、はしっこなのは気に入ってるのだけれど。


独立系配給会社の多くは、社長が、たとえば、どこかのビデオ会社にいたり配給会社にいたりして、その経験をもとに自分の会社を立ち上げるパターン。
それなのに、私の場合は、まったく違う業種から急に会社を立ち上げた「横入り」パターン。映画ファンが突然に配給会社になった、とも言える。

なぜそんなことになったのか。
そこには、アテネフランセ文化センターの松本正道さんが何気なく言ったひとことがあった。
これは松本さんにも言ったことがない。

アテネ

*こちら最近「インスタ映え」でも人気のアテネフランセ文化センター

小学生の頃から、映画と文章を読むことと踊ることが好きだった私は、中学生ですっかり映画にハマったけれど、その頃の私には映画の他にやりたいことがあり、それが挫折した20歳頃、ひょんなきっかけで広告会社のコピーライターになった。
当時は林真理子さんがコピーライター出身の作家として人気で、「不思議、大好き。」の糸井重里さんやサントリーCMなどの仲畑貴志さんがスターだった時代。私の憧れは土屋耕一さんだった。

広告だけでなくマーケティングもやり、コピーだけでなくクリエイティブデイレクターという肩書きも与えられ、びっちり10年働いたら、だいぶ疲れてきた。人のお金(クライアントのお金)で何か作るのも、なんだか倦んできた。
映画はずっと好きだった。
それで広告会社をやめて、旅に出て、映画を見た。
ジョン・フォードが好きで、フォードのルーツのアイルランドには何度も行った。
それが縁で「アイルランド映画祭」を企画する研究者の方たちに「一緒にやらない?」と誘われてやってみた。
そのアイルランド映画祭で、事務局として字幕作業をはじめとするプロの仕事を受け持ってくれたのがアテネフランセ文化センターだったのだ。
私は実行委員の一人として、広告屋だった経験があるので宣伝やスポンサー取りを担当した。
アイルランド映画祭」の上映作品は 【エンジェル/白馬の伝説/フィオナの海/ダブリン・バスのオスカー・ワイルド/サークル・オブ・フレンズ/ナッシング・パーソナル】の6本。大成功だったのだが、その時に、アテネフランセ文化センターの松本正道さんがこう言った。
「武井さん、この仕事に向いていますね」。
その一言で調子に乗って、この道に至るというわけです。

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*松本さんの写真はフィルムアート社のサイトからお借りしました

次回は、調子に乗ってから会社を興すまでを書こうと思います。
*前回「ですます体」だったのに、今回は急に「である体」。気になる人は悪しからず。ちょっと自由に書きますね。

ムヴィオラ 武井みゆき

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