「折れていないから大丈夫」? 日本で育った若者に対する強制送還未遂事件
こんにちは。
私たちは普段から入管への面会活動などを行うことで入管のレイシズムを監視し、その実態について発信している団体、 Moving Beyond Hateです。
今回の記事では今年の5月下旬に起こった日系南米人Hさんに対する強制送還未遂事件とその過程における暴力について告発します。
はじめに
最近日本で育った日系人の収容や送還事件が増えているようだ。
Moving Beyond Hateで聞き取った事例だけでも、ずっと仮放免で暮らしていた人の家にある朝入管職員が突然やってきて成田空港まで無理矢理連れていく事件なども報告されている。
今回の事件も日本で育って生活基盤がありながらも日本の「ルールに従わない」とされる人々を入管が無理矢理強制送還しようとしているケースの一つだ。
Hについて
まず、今回事件に巻き込まれたHについて簡単に紹介したい。
Hは両親とともに5歳の時に南米から来日し、日本で育った20代半ばの若者だ。幼少期に定住から永住へと在留資格を切り替えて以来、ずっと永住資格を保持している。
家族にともに来日したHの家族や友人は現在全て日本にいる。彼は「母国」との社会的なつながりがないのだ。そして6歳の子どもも日本にいる。
家庭環境が少し違い、現在在留資格がなく仮放免の状態で生きてるという点以外は日本で生まれ、日本国籍を持つ者とほとんど変わらない。
そんなHが無理矢理送還された場合、母国では生きていけない。
Hは刑務所に収監されたことで在留資格を奪われた。仮釈放になり刑務所から出られても再出発のチャンスを与えられることはなく、今度は「不法滞在」者と扱われ、強制送還の対象になっているのだ。
なぜ日本国籍を持っていないという理由だけで強制送還の対象とならなければならないのだろうか?
事件の概要
さて、Hは2023年1月下旬に刑務所から仮釈放され、その後は品川入管へと移送された。先述の通り、外国籍で犯罪を犯した場合は刑期を終えても在留資格が取り消されれば、出所しても入管という別の収容施設に収容されることになる。
さて、以下の話は収容されてから4ヶ月ほどたった5月下旬に起きた出来事だ。5月の段階でHはすでに何度か仮放免の申請を行なっていたが、全て不許可となっていた。通常の申請では申請日から仮放免許可の可否がわかるまで最低数週間、長ければ1ヶ月ほど待たなければならないのだが、5月下旬に行った仮放免申請に対しては3日という異例の速さで不許可の判断が下された。そして、そのたった数日後、事件は起きる。
昼休みにインタビュー?
仮放免が異例の速さで不許可になりどこか異変を感じ始めた次の週の月曜日のことだ。
午前中のフリータイムが終わり、ちょうど昼ごはんの時間になる直前の12時15分ごろ、職員に突然「インタビューです」と呼ばれ、ブロックの外に連れ出された。
普段そうやって入管職員に呼ばれた場合は同じブロックの相談部屋に連れて行かれる。今回も同じように仮放免の手続き関連かな?と思い、Hはそのまま職員について行った。しかし、同じブロックではなく、隣のブロックの外の部屋に連れて行かれ、その場で突然職員10人に囲まれた。なんの前触れもなく、「今から送還します」と告げられたのだ。
職員はHの荷物を部屋から持ってきて、「整理してください」と言ってきた。状況を飲み込めず、立ち尽くす本人を無視し、職員は勝手に荷物を整理し始める。ブロックの他の人から借りたものなども戻してくれなかった。
Hにとってはいまだにあの日に言われた言葉 「今からあなたを強制送還をします」が頭から離れない。事件以来、突然視界の外から人が現れたら、あの日に感じた恐怖が蘇り、その場でうずくまってしばらく動けなくなるという。
送還における暴力
職員がHの荷物を整理したり、送還の手続きを進めている間、Hの足と腕はそれぞれ職員に押さえられており、立ち上がれない状態だった。この間本人はずっと「弁護士を呼んで」と訴え続け、やっと「電話する」と言われた。
しかし、それでも本人が直接電話することは許されず、入管職員が代わりに弁護士に電話することになったのだ。そしてその電話は、本人が今現在送還されそうになっていることについて一言も言及せず、「裁判の手続きをしていますか?」と聞くだけのものだった。退去強制令書取り消し訴訟を提訴することで送還を停止することができるが、本人の状況をまず把握できなければ裁判を始められるわけはない。
その後職員はHを下の階の部屋に連れていくために無理矢理エレベーター乗せようとした。しかし、Hは手足を大きく広げ、エレベーターに入ることを拒否し、必死で抵抗を続けた。
Hは神経が興奮していたせいでこの時の状況をそこまではっきりと思い出せないものの、エレベーターに入らないように必死に抵抗したところ、足がエレベーターの扉に強く当たり、傷ついたという。
抵抗しながらも下の階の部屋に連れて行かれたHだったが、日本での人生が破壊されることへの不安と怒りで頭がいっぱいだった。そこで、一か八かだと思い、立ち上がって抵抗しようとしたところ、今度は職員が思いっきり手と右腕を捻ってきた。Hが立ちあがろうとし、職員に床に押さえつけられ、再度立ちあがろうとした。何度ももがく中、右腕が職員によって押さえつけられ、強く捻られた。
ひねられた後も右腕は職員によって不自然な位置に押さえつけられていた。この間ずっと「腕が痛い」と繰り返し職員に訴えていたが、職員は聞く耳を持たず、Hの腕を痛め続けた。
送還の過程で怪我をさせたことに対して危機感を抱いたのか、職員は突然Hを入管内の医師のところに連れて行った。そこではレントゲンをとられたが、「折れてないから大丈夫」と言われたという。そしてそのまま空港へと向かうバスに載せられた。
突然の電話
しかし、空港へと向かう途中、入管の医師から電話があり、入管職員は突然バスを止めて、東京入管へと引き返した。(本人は医師が右腕にヒビが入ってるかもしれないと職員に警告したかもしれないという。)
東京入管に戻ったところ、Hは30分ほど待たされたあと、外の病院に連れて行かれた。病院で見てもらったところ、幸いなことに骨折はしていなかったものの、腕がまだ痛く、動かすことができなかったので、腕を固定するためのサポーターをつけてもらった。
病院での検査を終えた頃にはもう17時を過ぎていたので、職員に「今日はもう送還しない」と言われた。送還を予定していた飛行機の便を逃したのだと思われる。
翌々日の仮放免
無理矢理送還が失敗した二日後、Hは入管から突然仮放免が許可されたと伝えられ、釈放されることになる。送還の過程で負わされた怪我の治療費を本人に負担させ、入管が送還と収容の責任逃れをするためだ。
1ヶ月後の再収容
しかし、たった1ヶ月後、東京入管に仮放免の更新のために出頭したところ、Hは突然再収容される。そしてその後再び釈放されるものの、現在、毎週月曜日が来るのが怖くて寝れないという。
送還の恐怖は強く残っている。
最後に ー 入管は決して「絶大な権力」ではない
日本で育ち、友人も家族も日本にいるHが送還されそうになったところ、必死に抵抗し、暴力を受け深い傷を負った事件を紹介した。
今回の事件からは日本で育った若者ですら容赦なく無理矢理強制送還しようとする入管のレイシズムがはっきりと見てとれる。
しかし、同時に、本人が必死に抵抗することによって送還が止められるという、入管の送還の権力の脆さも明らかになった。
多くの人は入管による強制送還と聞くと絶大な権力が冷徹に業務を行うシーンを想像するだろうが、実は本人の抵抗や航空機内での乗客の介入などによって強制送還が止められるケースは数多く報告されている。
入管法改正によって本人による送還への抵抗を厳罰化しようとしても、入管による強制送還は多くの穴がある脆いシステムであることは変わらない。
たとえ本人が大声をあげて抵抗することが困難であっても、最終的には周りの乗客の介入や飛行機のパイロットの判断で強制送還は止めることができるし、今後も強制送還を増やそうとすればするほど、それに対する抵抗も増えていくだろう。
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*この記事は本人の確認を得て書かれています。
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