About ME ~私の人生について~

こんにちは!Sです♡訪問ありがとうございます。
ここでは私について自己紹介しようと思い、はじめての記事として投稿します。長くなりますがわかりにくかったらごめんなさい🙇

1.小さい頃から葛藤

関西で生まれ、1年後に関東に。両親は生粋の関西人。私は家でも外でも標準語を使っていたのですが、ある日友達に言われました。

「Sって、変な言葉使うよね。家族も変だよね。」

…え?まじで?
自分では普通に、周りと同じように生活していると思っていたので、この友達の言葉を機に、自分は周りに溶け込められていないんだと生きづらさを感じるようになりました。

今思えば、これが原因ではなかったなって思いますが…。

父は亭主関白タイプで、自分の思い通りにならないと怒り、癇癪を起こし、手を上げる人でした。
母は幼いころからやりたいことがあっても親の言う通りにしなければいけない家庭で育ちました。自分の意見は言えず、育つうちに自分の意見を持たないようになってしまったようです。
このような両親によって作られる家庭は、

父親の怒りに触れないよう父親の顔色を日々伺い続け、仕事のない休日は父は一日中寝続け、母は仕事のない週末も家事や育児に追われ、ピリピリとした空気感の漂う家庭でした。

私に求められている子ども像は、

両親の期待を裏切らない良い子。いつもニコニコ機嫌良くしていること。そして、両親を喜ばせる子ども。

そんなこんなで私は、
両親を怒らせない・気分よく過ごしてもらうために、両親が引いたレールを外れることなく進み、期待される良い子になろうと日々奮闘していました。

それでも両親は、
「そんなんだからアンタはあかんのや。」
と口癖のように言ってくる毎日でした。

周りの友達は自信を持ち楽しく過ごしている。周りの子たちはすごい。
それに比べて私は、ダメな人間で、落ちこぼれで、存在している必要がない、親にさえいらないと思われている人間なんだ。と当たり前のようにずっと思っていました。

このような生活と考え方が、自己肯定感のない自分に結び付いたんだ、と今では思いますが、その当時は全く思っておらず、ひたすら自分を責め続けていました。

2.人に認められたい

誰しもが思うことですよね。他人に認められたい、ほめてほしい、すごいね、あなたがいてくれてよかったって言ってほしいって。

私は両親から認められないことから、他の人に認めてもらうことこそが自分の評価に繋がるのでは…?と思うようになりました。
そうして私は学生生活に部活の部長をしたり、生徒会に入ったり、積極的に先生の手伝いをしたり、委員会に入ったり、グループの班長などを務めたり…と、いわゆる、良い子ちゃんになれるように努めました。
厳しい母の親戚に、「学校はどや?」と訊かれたとき、
こんなこと(実績)ができたんだよ!
と言えるようにしていました。

でも、何をしても無駄でした。

久しぶりに会う母の親戚にまで、
「たかが学校、たかがお遊びやろ。そんなのなんの役にも立たへん。」
「あんたはほんまにできひん子やな。」
そして親戚から母は
「あんた、育て方間違っとるんちゃうか。」
と何度も言われ続けました。

3.将来の夢って?

皆さん、将来の夢ってどうやって決めましたか?

私にとって将来の夢、将来の職業は、両親を安心させ、経済的に自立し、社会的地位のあるもので、両親や親戚に認めてもらえるもの、ということが前提でした。

選んだのは、看護師。
看護師なら将来、親戚が寝たきりになったとしても自分は役に立てるし、社会的にも認められている職業だし、これなら、皆に認めてもらえる!と思ったからです。

看護師になるためには、看護系の4年制の大学に行くか、3年制の専門学校へ行くか、などと選択肢がありました。
迷う余地はありませんでした。
当たり前に看護系の4年制の大学へ、それも偏差値の高い、有名な大学であれば、両親や親戚に認められ、自慢の子どもや親戚になれる、と考えました。
浪人は絶対にできない。でもレベルの高い学校に入らなければいけない。
高校3年生の私にとって、今後自分をいち人間として認められるために果たさなければいけないことであり、強いプレッシャーでした。

そして本当に運よく、希望の大学に行けることになりました。

そして大学でも留年はせず、実習や膨大な量の課題をこなし、卒業研究をやり卒業論文を書きながら、看護師国家試験に1発合格することができました。就職先は有名病院、診療科は救命と決めることができました。
(本当に支えてくださった皆さん、ありがとうございました。)

4.崩壊

いくら頑張っても、親戚の誰よりも学力も社会的地位も高くなっても、意味がありませんでした。

ある日、親戚の怒りを買ってしまい、言われてしまいました。

「あんたなんて、生まれてこおへんかったらよかったんや。」
「あんたは邪魔や。死んでしまえ。」

親戚とは縁を切ることになりました。その後も親戚からの連絡で、

「お前のせいで縁を切ることになった。責任をとれ。死ね。」

といった内容が一方的に送られてきました。
あぁ、私が今までやってきたことは無駄で、私は存在している意味はなくて、迷惑しかかけない死ぬべき存在なんだ。と毎日思い続けました。
そしてそのことを、誰にも言えませんでした。

仕事ではありがたく、しっかり者で真面目で仕事ができる任せられる人という評価をいただき、上司や同僚に認めてもらえました。
でも一番認めてほしかった人たちからは認めてもらえず、毎日仕事をしながら、
「この人たちは口では私を認めてくれているけど、実際は仕事のできない使えない人間だと思っているんだろうな。」
とある種の人間不信へと陥りました。

毎日自分を追い込み、自分はできないやつだと責め続け、
担当した方が亡くなる度に自分ができないからだと責め、
他の人のミスで自分が怒鳴られ暴力を振るわれても、自分のせいだと自分を追い込み続けました。

気が付いたら、
体重は10キロ以上減り、
食事は喉を通らず、
毎日眠れず、
めまいや動悸、常に微熱、手の震えを抱えながら
誤魔化しながら仕事をし続け、
職場で倒れました。

5.鬱、そして自殺未遂

職場の先輩は本当にいい人揃いで、すぐに休みを確保してくれ、立ち仕事が続かないように調節・処置やオペ等は割り振らないよう仕事量を減らした上で、医療機関への受診を勧めてくれました。

自分はただ疲れているだけで、大したことない。

と自身に言い聞かせ続けていましたが、周りに迷惑をかけてしまったという罪悪感から近所の病院へ受診しました。

結果、ストレスによるメニエール病と診断されました。

診断結果を上司へと伝え、更に仕事の調節をしてくれました。
周りで働いている人は皆、体調は大丈夫かと気にかけてくれ、無理しないようにと声をかけてくれました。

でも私は、
「周りに迷惑をかけている。」
「ただでさえも仕事ができないのに自分は足を引っ張っている。」
「ここにいて申し訳ない、自分はずっとダメ人間だ。」
「ここでも迷惑をかけ続けるなら死んでしまいたい。」
と思い続けました。

そして、
夜中、交通量の多い道路へと飛び出しました。

たまたま横にいた親切な方が、
危ない!!!と身体を抑えてくれ、私は無傷でした。
涙が止まりませんでした。
「死に損なった。」
「まだ生き続けるのか。」
「こんな人間が生きているなら、もっと価値ある人に時間をあげたい。」
と思い涙しました。
そしてふと、思いました。

「私、もしかして壊れてる…?」

すぐに心療内科を予約し、診察してもらい、言われたのは、

「あなたは、重度の鬱状態です。すぐに仕事を休んで療養してください。休めるところや手伝ってくれる人がいないのであれば入院しましょう。」

その時感じた想いは今でも忘れません。

「あぁ、人生詰んだな。」

(あの時身体を抑えて助けてくださった優しいおばあちゃん、本当にありがとうございました。おかげで今、生きています。)

6.天井をみる。そして出会う。

両親へ連絡し、実家へ強制的に収容され、実家で療養することになりました。
この頃にはもう、両親にどう思われようが、人生終わったとしか感じていなかった自分は、どうなってもいいや、と思っていました。
両親から見た私は、やつれ細り、目は死んでおり、いつ自死するかわからない危なっかしさを持っていたそうです。

仕事を休み、布団から起き上がれない日々を過ごしました。
何もせずただずっと天井を眺め、
時折、迷惑をかけた職場に対する申し訳なさで泣き、
死にたいと泣き、
薬を飲み、寝る毎日でした。

感情がありませんでした。
楽しいとか、悲しいとか、嬉しいとか、何もかも
身体や頭から遠く離れて、何も感じませんでした。

ただぼーっとSNSを眺めていたその時、
映画について発信している方に出会いました。

どうせ何もすることがない、どうでもいい毎日なら
どうせアマゾンプライム加入してるし、
時間つぶしに観てみるか…

と、観た作品が、アバウト・タイムという作品でした。
そして観終わった時、自分の心に
切なさ、温かさ、優しさが溢れてくることに気が付きました。
作品の余韻に浸り、久しぶりの感情に戸惑いながら、でも心地よく、
心が救われたような気持ちになりました。

映画が、私の心を救い、感情を取り戻し、
私という存在を認めてくれた、そのような感覚になりました。

映画がなければ、おそらく今も感情がなくただの人間という塊として存在していたと思います。

7.仕事を辞める。自分を見つめ直す。

映画に出会い、私の人生という作品はどのようになっているのか、考えました。

他の人の目を気にする人生。
自己肯定感を他人に任せる人生。
認められたいがために取り繕っていた自分という存在。
そして今、ここにいる鬱になった自分。

人生詰んだな、とあの時思ったけれど、もうここから先は一度人生が終わったと思って、自分の好きなことや癒されることをしよう。
自分の人生という作品は、映画みたいに何度も繰り返しみることはできない、一度しか作り出せない作品なんだ。
私の人生は私が作って、私の存在を認められるのは作った私にしかできないんだ。
まずは一度、ゼロからスタートしよう。

そう思い、仕事を辞め、自分の好きなことは何か考えました。

看護師という職業は、誰かに認められたいと思い始めたことだったけど、
いろんな人といろんな話をし、求めていることを知って、寄り添うことができる素敵な仕事で、私は好きな仕事だったな、と思いました。

一方で、自分には看護師という職業を務めるための知識はあるけれど、社会的な一般教養は足りていないし、感情についても不足している人間だな、まずはそこから身に付けなきゃな、と実感しました。
誰にも言えなかった夢もある。アルバイトにはなるけれど、でも自分の好きな気持ちに背中を向けても後悔しかしないし、自分の気持ちに気が付くことができるのは自分だけだな、と思いました。

そうして私は、今、夢を追いかけながら、
自分を救ってくれたたくさんの映画に改めて触れ、
多くの作品が自分を救ってくれたように人を癒し支えてくれるように、
映画について発信できるような人になろうと思いました。

8.まとめ

長々となりましたが、私は、

小さい頃から自己肯定感が低く、他人に承認してもらおうと努めていた。
でも、一番認めてほしい人に否定され、自分を責め続け、鬱になった。
そんな自分を映画が癒し支えてくれた。
だから私は映画が好きで、映画が多くの人を癒し支えてくれるように発信できるようになりたい。

というような人生を現在も送っています!

人生詰んでも大丈夫。鬱になっても大丈夫。
あなたを認めて癒してあげられるのはあなただけ。
落ち込んでても、死にたくなっても、きっと大丈夫。
私もそうだったから。

映画を、人生を、一緒に楽しんでくれる人が集まれたら嬉しいです。

おわり

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