見出し画像

踏み絵としてのクリント・イーストウッド映画「クライ・マッチョ」

本作品については、ネタバレとメーメーによる妄想が多分に入っておりますので、あらかじめご了解の上お読みいただきますようお願いします。

っと、言いますのも、本作品は、クリント・イーストウッド監督が90歳を超えてなお、メガホンを取り、主演を務めた作品であるのと同時に、ファンを振るい落とすような強烈な内容だった為です。

年齢を重ねてなお、「ジャージーボーイズ」を監督し、役者引退と言いながらも、「運び屋」といった作品でスクリーンに姿を現し、傑作を世に出し続けてきたクリント・イーストウッド。

そんな監督が老齢にして作り出した「クライ・マッチョ」。

本作品を見た人であれば、思うところがかなりある作品だと思いますので、そのあたりを含めて、解説してみたいと思います。

何かが、おかしい。

クリント・イーストウッド監督といえば、あまたの映画監督の中でも、トップクラスの実力をもつ監督です。

俳優として「ダーティ・ハリー」シリーズの印象が強い人もいまだに多いかもしれませんが、アカデミー賞を受賞した「許されざる者」や、アメリカ人の魂を継ぐものは、必ずしもアメリカ人である必要がないということを打ち出した作品「グラン・トリノ」。

圧倒的なセンスによって、ほぼ一発撮りで終了させることから、その撮影日数も短く、しかし、映画のクオリティは一級品という、ハリウッド界隈でも珍しい監督です。

ヨーロッパでいえば、ウッディ・アレン監督もコンスタントに映画をつくっていますが、映画をそれほど見たことがない人であっても、クリント・イーストウッド作品は、わかりやすく、且つ、考えさせられるテーマ性から、良質な映画の第一人者とも呼べるものであったりします。

さて、そんなべた褒めをしているわけですが、昔からクリント・イーストウッドを応援し、気にしていたみなさんは、「クライ・マッチョ」を見て、かなり、印象を変えた方も多いのではないでしょうか。

A級映画を作り続けてきたイーストウッド監督が、何かが、おかしい、と。

イーストウッドへのひいきが強ければ強いほど、本作品は、いわゆる踏み絵のごとき作品となっています。

その印象をいくつかのレイヤーにわけつつ、考えていきたいと思います。

才能が枯れたのか。

クリエイティブというのは残酷なもので、全盛期というものが存在してしまいます。

時代の流れの中で価値観が合わなくなる場合もあるでしょう。

そして、全盛期を過ぎたクリエイターは、大先生として隠居する方も多く、また、一方で、若手など蹴散らして、才能をいかんなく発揮される方もおります。

だからこそ、映画をみる我々は思うのです。

たまたま、いまいちの仕上がりだったのか。あるいは、と。

少なくとも、クリント・イーストウッドは、年齢などまったく感じさせない仕事とプライベートともに精力的な方です。

しかしながら、「クライ・マッチョ」を見た方は、思うはずです。

何かが、おかしい。

あるいは、単純に老齢になり過ぎてしまったのか。

事実、本作品において、登場人物たちは、かなり情緒が不安定にできています。

息子への愛情から、メキシコにいって息子を取り戻してほしいとクリントイーストウッド演じるマイケルに頼む牧場主。

息子への愛情の片鱗すら見せない未亡人は、息子に対して興味なさそうにふるいながら、刺客を送り込んできたりします。

しかも、かなりの老齢である主人公のマイケルに対して、何度も誘惑しては、突然怒り出す始末。

助け出す対象の子供も不安定です。
マイケルへの信頼が十分にでてきるはずなのに、連れ戻しにきた理由を聞いただけで、あっという間に逃げ出します。

会ったばかりの女性マルタに至っては、常にクリント・イーストウッド演じるマイケルに好意を向け続けます。

脚本が良くないのかとも思いましたが、百戦錬磨のクリント・イーストウッドが、そもそも、そんなものをつくるはずがない。

考えられるとすれば、メタファーをちりばめた作品ではないか、ということです。

夢の世界メキシコ

話はすこし変わりますが、「ウエストワールド」という作品があります。

本作品は、西部開拓時代のような場所で、見た目は人間と変わらないロボット相手に楽しむアミューズメント施設を舞台にしています。

西部時代を扱ったジュラシック・パークだと思ってもらえればわかりやすいかと思います。

「ウエスト・ワールド」は、顧客のニーズに合わせて様々な体験ができるところですが、「クライ・マッチョ」も、そんなアミューズメントな作品としてみると、クリント・イーストウッド監督が何をしたかったのかが、わかるようになります。

メキシコは、「クライ・マッチョ」の世界における夢の国だと思えば、物語におけるご都合主義にも、なぜ少年と一緒にアメリカに戻らなかったか、も納得いくところとなります。

男らしさ全開だった主人公が、高齢となり、かつての栄光の残滓のようなものでギリギリ生き延びているような状態。

アメリカで生きている主人公は、現実のような場所といってもいいでしょう。

そこには、家族の愛情も無ければ、何もない。

依頼主の息子への愛情のために、誘拐を決意したはずなのに、依頼主は、もっと別の理由で息子の誘拐を依頼していたことがわかったりして、現実(アメリカ)側の現実は、物語の通りにはいきません

しかし、メキシコでの現実というのは、非常に生ぬるく優しくできています。

ご都合の裏側に。

道端でトイレをしようとしたら、車が盗まれてしまうというアクシデント。

ロードムービーのごとく、メキシコの大地を大幅移動しなければならない本作品において、移動手段の消失は一大事です。

歩いて近くの町にたどりついたですが、少年があっという間に車を見つけ出します。

メヒカーノ(メキシコ系アメリカ人)は、貸し借りは自由みたいにいいますが、いくら昔の時代設定だとしても、自由過ぎます。

それ以外にも、数々のご都合感あふれる描写が散見されます。

動物のお医者さんか、というぐらいに、村中の人がクリント・イーストウッドに動物を診てくれと頼みにきたりするエピソード等、少しでも創作物をみたことのある人であれば、そのどこか現実離れした雰囲気に、驚くことでしょう。

これが、無名の監督であれば、映画作りが上手ではないのだろう、ということで納得できるところですが、齢90を超えたとしても、A級監督であるクリント・イーストウッドがそのような作品をつくるのか。

老兵は死なず

かなり昔から活躍している監督といえば、リドリー・スコット監督は、「ハウス・オブ・グッチ」を制作していますし、年齢を重ねたとしても、まったく才能の輝きを失わない監督も多いです。

さて、そんなクリント・イーストウッド作品の中でも、ファン度合が試されるのが「クライ・マッチョ」といえると思います。

クリント・イーストウッド作品といえば、冒頭でも軽く触れた「グラン・トリノ」は、政治的な問題により移民としてアメリカにやってきたモン族の少年と、フォードを愛し、アメリカの屋台骨を支えてきた世代であった男の交流と、アメリカ人の魂の受け渡しがポイントとなる作品でした。

また、「ハートブレイクリッジ」に至っては、アメリカ人の魂を引き継ぐのは、白人とは限らないということを示した作品として、戦場における黒人の活躍を描いたものとなっており、イーストウッド作品においては、何か想いの継承というのは重要な点となっています。

さて、そんな前提で「クライマッチョ」をみてみると、男らしさ全開のクリント・イーストウッドが、少年と旅をする中で、少年に男らしさを伝授する物語なのかと勘違いしてしまうところです。

ですが、本作品は、むしろ逆です。

少なくとも、作中において、虚構のような夢の世界を実現する世界として描かれるメキシコ。

そこにいる少年が飼っている鶏のマッチョ

こんな露骨な名前の鶏に意味がないはずがありません。

「となりのトトロ」において、アニメを見ないで、外(森)へ出ろ、というメッセージを打ち出し、結果として、アニメばかりみている子供をつくってしまう矛盾に葛藤した宮崎駿監督

また、Zガンダムにおいて、アニメばかりみていると、こうなってしまうぞ、と物語の最終話で主人公の精神が壊れてしまうという衝撃の展開をみせた富野由悠季監督

さて、クリント・イーストウッドが「クライ・マッチョ」で描いたのは、少年から、非現実的なものであるマッチョ(鶏)を受け取り、メキシコに残る、という選択をしたのは、クリント・イーストウッド、というところが大変に示唆的です。

渡す側ではなく、渡される側という立場を描き、虚構の世界で暮らす、ということを作品をつかって示したクリント・イーストウッド監督の、生涯現役ということを示した作品として見ると、その不都合な内容もしみるような気がしてきます。

踏み絵のように、クリント・イーストウッド監督への評価を突き付けてこようとする本作品ですが、その踏み絵を踏み越えられるのか、はたまた、踏みとどまることになるかは、作品をみた皆さんの心の中にしかありません。

以上、踏み絵としてのクリント・イーストウッド映画「クライ・マッチョ」でした!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?