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小津安二郎生誕120周年に際して。「晩春」の紹介。

公  開:1949年
監  督:小津安二郎
上映時間:108分
ジャンル:ドラマ/白黒
見どころ:原節子の表情変化

嫁がなきゃダメなんですかメ~

映画好きであれば、ある意味避けて通れない監督といえば、小津安二郎監督もその一人にあげられる世界的な有名監督です。

ローアングルのカメラの多様と、淡々としたセリフ回しが特徴的で、小津調と呼ばれるその作品は、見れば見るほど癖になっていきます。

生誕120年を迎えた小津安二郎の作品に、ちょっとでも触れる機会になればと思いまして、極々簡単に、作品を紹介してみたいと思います。

どれだけ年月がたっても変わらない人間の心理や気まずさがありますし、現代の我々が見た時の違和感も、体感してもらいたいところでもあります。

原節子の存在感

小津安二郎の作品といえば、原節子を忘れることはできません。

1963年に女優業を引退し、その後、徹底した隠遁生活を送ったことで知られる女優です。

今敏監督映画「千年女優」のモデルにもなった人物であり、日本映画界において伝説的な人物でもあります。

原節子が、3つの作品で同じ紀子という役名で演じたことから、「晩春」「麦秋」「東京物語」は紀子三部作ともいわれるわけですが、屈託なく笑う姿、そして、一気に恐ろしい表情へと変化する演技力や表現力は、卓越したものがあります。

伝説的な女優と、伝説的な監督が組んだ初作品こそが、「晩春」になります。

娘を心配する父親

原作として広津和郎「父と娘」があるものの、小津安二郎作品を語る上で重要な、父と娘の関係を描いた作品が「晩春」となっています。

話の内容としては、妻を亡くした主人公(笠智衆)が、結婚適齢期を迎えた娘が結婚しないことを不安に思い、周りに言われたこともあって、なんとかして原節子演じる娘を嫁がせようとする話となっています。

劇的な何かがあるわけではないのですが、父親を世話しなければと思っている娘と、このままではいけないと思う父の気持ちが、小津調のコミカルな面白さで演出されています。

正直言いますと、色々な価値観がある現代社会を生きる我々が見ていますと、かなり、強い違和感を感じたり、気持ちがざわついたりする場面が何度もあります。

隙あらば、結婚しないのか、とか、好きな相手はいるのか、など、娘の気持ちにズカズカ入ってくるまわりの人たち。

叔母さんが曲者となっていまして、ちょうどいい見合い相手がいるから、なんとかしてくっつけようとするのです。

勿論親切心なのでしょうが、自由恋愛が当たり前の現代人にとって、半強制的に決められる伴侶というのは、たまったものではないでしょう。

今がいい娘

別の機会にまた書きたいと思っておりますが、小津安二郎の遺作となった作品で「秋刀魚の味」というのがあります。

こちらの作品は、「晩春」のセルフリメイクのような作品となっていまして、物語の骨子は、ほぼ同じです。

妻を亡くした主人公が、娘を結婚させようとする話です。

ただし、物語から受ける印象はまったく別のものとなっていまして、「晩春」を見たあとに見てみますと、どこが同じなのか、どういう場面やキャラクターが足されたり変化したりしているのかを見るだけで、監督が何を表現しようとしたかが分かりやすくなっています。

さて、「晩春」に戻りますが、原節子演じる紀子は、作品の中の時代設定においては、周りの女性と異なる感覚を持っています。

「お嫁にいけやしないよ」
「それでもいいの」

と強くいう彼女の心の内は、よくわからなくなっていきます。

「わたし、このままお父さんといたいの。お嫁に行ったって、これ以上の楽しさはないと思う」

このあたりのやり取りをみると、父親が好き過ぎるのだろうかと邪推したくなるところですが、「あたし、お父さんのこと、とても嫌だったんだけど」と言いかけたりもします。

本当の心の内はわかりませんが、時代が時代だからというのもありますが、自分の生き方であるとか、あり方を他人の押し付けられたり、現状が幸せにもかかわらず、半ば強制的に幸せを押し付けられること自体に反抗しているようなところが、面白いです。

時代の感覚

現代の我々の生き方も多種多様になってきています。

一人で生きることが楽しい人もいれば、そうじゃない人もいる。

結婚する時期だって人それぞれです。

様々な生き方が認められる時代の中で、改めて「晩春」を見ると、周りの人たちが原節子演じる紀子の気持ちに、ズカズカ入っていくように思えますし、その違和感は現代人だからこそ強烈な皮肉にみえます。

最終的に、紀子はお嫁にいくわけですが、笠智衆演じる父親もまた、身の回りの世話をしてくれた娘を、半ば強引に嫁がせるということで、寂しげな終わり方になります。

娘の気持ちに寄り添った「晩春」に対して、「秋刀魚の味」は、娘はでてきますが、もっと娘の気持ちや本人は不在の状態で、父親の不安や葛藤、後悔が描かれておりますので、是非、順番に見つつ、小津調の笑いや、面白さを感じていただければと思います。

とにかく、強引に話をすすめようとするのが、面白かったりします。

「この間のご返事ね、どうだろう考えといてくれた? ねぇ、どう? ねぇ、本当にいいご縁だと思うんだけど。どうなの? ねぇ、どう? いってくれる?  どうなの?」
「 ええ」
「いってくれるの?」
「ええ」
「そう、本当ね。いってくれるのね。じゃあ、いいのね。よかったよかった」

YESと返事をするまで帰らない強引さ。
そういう時代だったとはいえ、生きづらい時代でもあったのだな、とつくづく思います。

幸せとは

笠智衆演じる父親は、娘に対して幸せについて話をします。

「二人でつくりあげていくんだよ。お父さんには関係のないことなんだよ。人間生活の歴史の順序というものなんだよ。いきなり幸せになれると思う考え方が、むしろ自体が間違っているんだよ」

話をしていることはもっともなのですが、現代の我々には、首をかしげてしまう部分もあるでしょう。

ただ、本作品における、一種の嫌みのようにすら聞こえるやり取りも、棒読みのような淡々としたセリフ回しで、コミカルに面白く見れてしまいますので、小津安二郎の三部作が気になった方は、興味のある作品から是非見てもらいたいと思います。


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