項羽と劉邦と森保一

 サッカー・ワールドカップアジア最終予選で苦戦を続けながら現在2位に付ける日本代表、森保一監督。しかし、その手腕には疑いの目が持たれている。確かに戦術家では無い。だが監督の類型には選手のやる気を引き出すのが巧みなモチベーター型の監督というものがある。森保監督を知っている人は口を揃える。「ポイチはいい奴だ」と。良い人である事は間違いない。では「良い人」は選手に力を発揮させる十分条件なのだろうか。ここで思い浮かぶのは古代中国の二人の英雄だ。
 項羽と劉邦は紀元前200年頃の人物で漫画「キングダム」でお馴染みの秦帝国が滅んだ後、天下を争ったライバルだ。力の英雄、項羽。56万の大軍を3万で打ち破るなど個人能力では中国史随一の存在だ。一方の劉邦は個人能力は平凡な人物だとされている。しかし、二人の対決は劉邦の勝利に終わった。
 劉邦には三人の功臣がいる。戦場で勝利を重ねた大将軍の韓信、作戦を立てた名参謀の張良、後方部隊として漢軍を支え続けた蕭何。この三人を使いこなせたのが勝因だと言われている。人材を使いこなせた劉邦と使いこなせなかった項羽。一般的に二人の差は人望の差だと言われている。
 良い人には人望がある。そう思っている人も多いかもしれない。劉邦は良い人、項羽は冷酷な人。しかし、そう単純なものでは無い。
 韓信は二人をこう比較している。表面に見える勇気や情愛の深さを見ると劉邦は項羽に遥かに劣る。しかし、項羽は部下に仕事を任せる本当の勇気は無い。さらに人の為に涙を流すがいざ恩賞を与える事はためらう。行動の伴わない優しさだと。「匹夫の勇」「婦人の仁」の逸話だ。逆に劉邦は臣下に大胆に権力を与えて能力を発揮させる。そして恩賞を惜しむ事は無かった。
 臣下の力を発揮させる事により天下を取った劉邦。彼は天下統一後に変貌する。臣下を次々に粛清していくのだ。反乱を防ぎ漢帝国の礎を築く冷酷な判断。劉邦の本質は「良い人」ではないのだ。
 部下に仕事を成し遂げさせる為の人望と個人としての人柄は関係が無い。部下の能力を見抜く目。適切な人材配置。個人への明確な役割の提示。公正な評価による競争心。適切な声掛けによる信頼感の醸成。それらを一つの明確な目標に結集させる力。「良い人」は十分条件ではない。
 果たして「良い人」森保一監督は日本代表をどこまで導けるのか。24日はアジア最終予選の大一番アウェーのオーストリア戦。本当の「人望」があるのか。真価が問われる。

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