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ほんの一瞬だけでも『生きてるだけで、愛。』(俳優ピックアップ-菅田将暉.1-)

みなさんこんばんは。
映画チア部京都支部の(おかとも)こと岡本です。note、はじめましてなのでびくびくしています・・・

普段は映画館の椅子に座り新作の映画しか見ない私ですが、こういう状況ということもあり、久しぶりに、本当に久しぶりに自宅で映画を見ました。

私にとって“自宅で映画を見る”という行為は本当に稀です。今回も今年に入って初めてでした。
それでも自分にとって大事な作品というのは、何度も繰り返し観てしまいます。今回観た『生きてるだけで、愛。』もその作品の一つです。

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2019年1月、年が明けて一発目に出町座で観たのがこの作品でした。
1度目は友人と、2度目は1人で、3度目は去年の年末に京都みなみ会館で開催された『それぞれのふたりナイトvol.3』で、そして4回目は先日自宅で。
作品ぜんたいについての思いは、

初めて鑑賞した後のツイートや

岡本が不定期に書いているチア部日記(これはnoteではなくチア部のサイトに掲載しています)に書いています。お時間ある方は覗いてみてください。

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私はこの作品で菅田将暉さんの演技を初めて観ました。
毎回、趣里さん演じる寧子に感情移入してこの作品を見てしまうので
菅田さん演じる津奈木の姿に何度も助けられています。作品の中で寧子が津奈木に頼ってしまうのと同じように。

作品の中で2度出てくる、津奈木が寧子を追いかける姿にはいつも引き込まれてしまいます。
寧子に感情移入してしまうと書きましたが、このシーンだけは違って。無我夢中に走る寧子の姿にも、彼女を追いかける津奈木の姿にも引き込まれてしまいます。ひたすらに寧子を見つめ、走る津奈木が、とても愛おしく切なく感じてしまうのです。
もう一つ、津奈木自身が衝動的にとあるものを投げるシーンがあります。前後との緊張感と、凝られた演出もあいまって、そのシーンも大好きです。

そのような衝動的なシーンに比べ、全体を通じての津奈木は正気のない姿と熱量のなさが目立つ青年です。特に仕事で疲弊していく姿は生々しくて、観ているこちらがしんどくなるほど。
それでも寧子の躁鬱の落差に比べれば津奈木は不動で落ち着いているように見え、理性的に(冷めた目で)鑑賞している人は、ベクトルが振り切れる寧子のほうを絶対悪に見てしまうかもしれません。

こうやってインタビューでお話をしても、実際は僕がどんな人間かはその瞬間ではわからないじゃないですか? そういう感じが常にあればいいのかなと。きっと、観ている人は最初「津奈木は大変だなあ」という気持ちになるんじゃないかな。
でもだんだん「いや、これは彼自身にも問題があるぞ?」「ということは、(映画を観ている)私にもそういう部分があったりするのかな?」と気付いてもらえる気がします。お客さんたちを他人事じゃない気持ちにさせていくのが津奈木の役割だったと思っています。

(引用: https://natalie.mu/eiga/pp/ikiai 「生きてるだけで、愛。」趣里×菅田将暉インタビュー | 今を生きる人間が作るべき作品)

このインタビューの「お客さんたちを他人事じゃない気持ちにさせていく」という菅田さんの言葉が印象的でした。私は寧子のことを自分のことのように感じてしまうけれど、菅田さんの言葉を読んで、津奈木にもよくない側面があることや私にも彼のような要素はあるのかもしれない、と気づかされました。


そんな津奈木だからこそ、ラストシーン、光に照らされた顔と発してくれた言葉が際立つのだと思います。 

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寧子が津奈木と初めて出会ったときに何気なく言った「他の人に見抜かれてるんじゃないか」という感覚。それを「俺も昔感じたことあった。」と寧子に伝えます。
一年前の私は、「生きづらさ」とか「わかるよ」ということを軽々しく言葉にしても意味がないと思っていた節がありました。でも屋上のシーンで彼らは、自分の今の内実を彼らなりの言葉で、丁寧に語ります。言葉で説明しすぎ、という指摘もあるかもしれませんが、私にとってそのシーンが在ること、そしてそれを津奈木自身の言葉のように表に出せる菅田さんの演技がスクリーン・画面の中にあること、それが今は心の底から嬉しいのです。
左右の目が赤いライトと青いライトに照らされていた津奈木(というより菅田さん)の顔は、映画を観終わっても何度も何度も思い出してしまいます。


また菅田さんのこんな役が見てみたいな、と思っています。
皆様のおすすめの作品があれば、コメントやTwitterのリプライなんかで教えていただきたいな。映画を宣伝する側なのにお願いをしてしまって、ごめんなさい。

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作品のインタビューやパンフレット、原作本に在る言葉を読んでいろんなことを考えました。1年前も考えていたけれど、今では私自身の思考が変わっていることに気付いたり。

この作品の感想をツイッターにのせたおかげで仲良くなれた友人がいたり、先日たまたま友人にお薦めしたら観てくれて嬉しくなったり。


作品の内容そのものだけでなく、それに付随する記憶も含め、ふとした時に思い出して少しだけ助けてもらう、そういう私にとってお守りのような作品です。これからもそうだと思います。
もし、機会があればみなさんに是非『生きてるだけで、愛。』を観てもらいたいです。
またどこかのスクリーンで上映されることがあったら、おかともと一緒に(!笑)劇場に足を運びましょうね。

それでは。

映画チア部京都支部 岡本

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