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映画『ABYSS アビス』呪われた男女の恋の結末

前作『逆光』の公開から約一年。俳優・須藤蓮さんの長編デビュー作 となる新作『ABYSS アビス』が、10月20日から関西公開を控えている。
三島由紀夫などを扱う、純文学的な前作とは打って変わった今作のストーリー。一言でいうならば、今作には”呪い”という言葉があてはまるのではないだろうか。

まず初めに作品全体を通して印象的なものとして、”光の変化”を挙げたい。
ケイという男は、ギラギラとした人工のネオンライトに当てられながら、暴力にまみれた夜の街から抜け出せずにいた。だがしかしルミと出会うことで、彼はようやく違う光を浴びることになる。例えば、それはルミと訪れる公園で二人に注がれる“陽の光”のことだ。ケイの表情や言動を見ずとも、このような光の移り変わりをカメラがとらえることで、ルミが彼にもたらしたものや、彼自身の変化を観客は感じ取ることが出来るのである。

二人にとってここでの公園と夜の街は、言ってしまえば日陰と日向のようにその境界線があいまいで、時間がたてばやがて暗いところに飲み込まれてしまう。ケイはずっと陽の当たる場所に、ネオンの街から離れたどこかにルミと一緒に逃げてしまいたかったのである。
そして、逃避行の舞台として選ばれた海は、公園よりもさらに暖かい光が遮られずに容赦なく降り注ぐ場所であった。スクリーンに映し出されるそれは、まさしく二人にとっての桃源郷のようである。束の間ではあるが、二人はそこで“痛みのない時間”を過ごすのである。
このような光のグラデーションをカメラが捉えることで、単なる場面の転換だけでなく、ルミとケイの関係や願いの形を観客に伝えることに成功しているのだ。

C)2023『ABYSS アビス』製作委員会

※以下、物語の結末に関するネタバレがございます。ぜひ鑑賞後にお読みになることをオススメいたします。

では“呪い”とは何なのか。それは二人の逃避行がクライマックスに差し掛かった時、牙を向き始める。
紆余曲折の末、追い求めた桃源郷にたどりついたにも関わらず、結局二人は渋谷に戻ってくる。痛みしかない、喜びのない生活が二人のもとに帰ってくる。

映画を観る者の中には、渋谷に戻るという判断に強い反対を覚える人もいるだろう。そして、それはケイとルミにとっても同じである。できることならばずっと、明るい町で海を見ていたかっただろうが、それができなかった。二人が痛みのない生活を送ることを“呪い”は許さなかったのである。物語の終盤では、それぞれの前にそれが姿を現す。ルミの場合は逃れられないほどの借金という具体的な“モノ”となって、ケイの場合は女遊びやママ活などをいとわない“性”となって観客の前に映し出される。渋谷の街でかけられた二人の本質の中にある呪いは、陽の光ごときでは浄化されていなかったのだ。

この作品が痛々しいほどの恋愛を描いているのは間違いない。確かにそこには、お互いの傷をなかったことにするために求め合った男女の、悲しい別れがあった。だがそれ以上に観る後に残るのは、渋谷の街が人にかける“呪い”への恐怖心である。

東京にでることなく、あの町で「海の目」を見ないように気を付けてさえいれば、ユウタが死ぬことは無かっただろう。人を死に至らしめる“目”が海にしかないと勘違いし油断したユウタは、知らぬ間に“都会の目”と目を合わせ身を投げ出した。そしてケイとルミもまた彼と同じレールをたどり、より深く夜の渋谷に身を沈めていく。呪いを解かない限り、二人はレールを進み続ける。その先にある“死”に彼らは気付くのだろうか。この映画は純粋な恋愛映画でもあると同時に、スクリーンを覗く誰かへの警笛にもなりえる作品なのかもしれない。

今村

上映情報
京都: 出町座 10月20日(金)~
大阪: シネ・リーブル梅田 10月20日(金)~
兵庫: シネリーブル神戸 10月20日(金)~

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