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大作家の晩年

映画「シェイクスピアの庭」

なぜこの邦題になったのか分かりませんが、原題は「All is true」。
ウィリアム・シェイクスピアの晩年を真実に基づいて描いた作品です。
シェイクスピアは1616年に52歳で亡くなっています。その3年前の1613年、活動拠点であったロンドンのグローブ座が火事で焼失したため、彼は劇団を引退して故郷ストラットフォード・アポン・エイヴォンに戻りました。
そこには妻アンと二人の娘スザンナ、ジュディスが暮らしています。
つまり、シェイクスピアはロンドンで劇作家として働いている間、単身赴任だったわけですね。

再び同居したとき、シェイクスピアは49歳、8歳年上のアンは57歳。シェイクスピアがロンドンで活躍しだしたのが1590年代初期とされるので、およそ20年間、妻子と別居していたことになります。当然のことながら、突然帰ってきたシェイクスピアについて、妻や娘からしたら「どうして帰ってきたのか」と冷たく懐疑的で、年金や相続の心配が始まります。ドラマの葛藤の始まりです。これが温かく「おかえりなさい」と出迎える円満家庭なら、そもそもドラマにはなりませんからね。

シェイクスピア家の抱えている心のもつれは、主にふたつ。
ひとつは、シェイクスピア最愛の人がアンではなくサウサンプトン伯爵であったこと。アンはこの事実をシェイクスピアの書いた詩集によって知ったというのも、詩人の妻であるがゆえの悲壮です。
もうひとつは、息子のハムネットが11歳で急逝したこと。シェイクスピアはロンドンにいて、ハムネットの死に目に会えませんでした。そのことをシェイクスピアはずっと悔やんでいます。
このハムネットの死に、家族の秘密が隠されており、長年の秘密を打ち明けることでようやく、シェイクスピア一家のわだかまりは解れるというストーリーです。
シェイクスピアという人のイメージは面白おかしくて、疲れ知らずで、いろんな高貴な人の寵愛を受けて、生涯を奔放に生きた劇作家だったのですが、この作品で描かれる彼は、全く違いました。
でもすべて、シェイクスピアという一人の人間の真実。どんな作家にも筆を折る日はやってくるのですが、シェイクスピアはそれが49歳で、ちょっと早い気がします。

当時の法律で、財産は男子が継ぐものであることから、シェイクスピアのそれは長女の夫の懐に入り、アンが夫からもらった遺産は「ベッド」だったようです。57歳のアンをすでに80を越えたジュディ・デンチが演じていて、本物のアンはこういう人だったのだろうなーと思わせるものでした。それもそのはず、ジュディ・デンチはロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのメンバーで、英国アカデミー賞を10回受賞している大女優。わたしの中では「アイリス」のアイリス・マードック役*での印象が強いお方です。

この映画を初見したBunkamuraル・シネマは来年、2023年に解体予定。渋谷から映画館がどんどんなくなっていきます。

*「愛することを教えてくれたあなた。今度は忘れることを教えて下さい」「結婚でどこかにたどり着く必要はありません。結婚は公共交通機関ではないのです」など数々の名言を残したイギリスの作家