奮闘する8才
映画「友だちのうちはどこ?」
大きな仕掛けはないけれど、誰にでも起こりそうなハプニングの連続で、見ているうちにどんどん感情移入して、最後まで見入ってしまう作品です。
小学校に通うアハマドは見るからに気の弱そうな少年。席が隣で、アハマドに輪をかけて気の弱そうな少年モハマドは書き取りの宿題をノートではなく紙切れに書いてきて、「また同じことをしたら退学にする」と教師に叱られ、泣いてしまいます。それなのに、アハマドはモハマドのノートを持ち帰ってしまい、友だちが退学にならないように家までノートを返しにいこうとします。
ノートを返すこと、友だちを退学にしないことが主人公アハマドのスーパーオブジェクティブ、貫通行動です。そこへ、いろんな外的プレッシャーがかかり、アハマドはなかなかノートを返すことができません。
映画のセオリーどおり、第1シークエンスで主人公がどんな性格で、どんな環境で生きているか(日常)をとても分かりやすく描いています。
・アハマドは小学校に通っている
・小学校には遠方のポシュテという村から通学する生徒がいる
・アハマドは、教師に叱られる隣の席の生徒が心配(アハマドの性格)
・アハマドは転んだ友だちを抱き起して、落としたものを拾い、汚れた服を拭いてあげる(アハマドの性格)
・アハマドの母親と祖父母は次男のアハマドに厳しい
・イランの小学校では宿題とノートがとても大事。ノートが生徒の命線
母親や祖父母はろくにアハマドの主張を聞かず、一方的に「行くな!」「宿題をしろ!」「パンを買いに行け!」「煙草を持ってこい!」と指図するばかり。わたしの母や祖母もこのタイプでしたので、アハマドにとても感情移入しました。それでもアハマドは「友だちが退学になっちゃう」からと、モハマドの暮らすポシュテに走って向かいます。アハマドはモハマドの家がどこか知らず、ポシュテの町をさまようことになるのですが。ポシュテが日本の尾道のような雰囲気なのも、この映画の魅力になっていると思います。
描かれたのはテヘランのような都会ではなく、地方の村ですが、イランという国のライフスタイルもよくわかります。まず第一に、封建的というのでしょうか、大人の男が非常にえらそうにしています。
・お父さんや教師といった大人の男は常にふんぞりかえっている
・お母さんは子育てに洗濯、料理と常に忙しく働いている
・アハマドの通う学校の生徒は男子のみ
・家には靴を脱いで入る
・ごはんはワンプレートで、床に皿を置いて食べる
・住宅の玄関ドアが木製から鉄製にかわりつつある
アハマドも十年もしたら、あんなふうに、ふんぞりかえる大人の男になるのでしょうか。
わたしがとても好きなのは、モハマドが履いていたのと同じ茶色いズボンが洗って干してあるのをアハマドが見つけるシーンと、やはり茶色のズボンを履いている男の子と出会うシーンです。「茶色いズボン」というエレメントが場面に登場するたびに「あ! 家が見つかった?」と、アハマドと観客の共通認識がつながります。クライマックスに、泣きながらアハマドがとる行動も、アハマドの友だち思いな性格が表現されています。名作とは「人間を表しているかどうか」に尽きると言われますが、この作品はまさにそのとおりです。
もし、イランに、当局による映画への検閲や妨害がなかったら、 アッバス・キアロスタミ監督はどんな映画を撮ったでしょうか。もっと作品が見たかったですが、2016年にパリで他界しています。キアロスタミ監督がイランのコケールで撮影した3作「友だちの家はどこ?」「そして人生はつづく」「オリーブの林をぬけて」はコケール・トリロジーと呼ばれています。