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映画から読み取るリアルの素晴らしさ

どうもリヒトです。最近リアルってなんだろう?と考えることが多いです。

デジタルが生活の欠かせないものになってからしばらく経ちますが、そんな未来をSF映画は予言したかのように描いていますよね。

そんなSF映画といえば好きな映画があります。「レディプレイヤー1」です。あの映画は「なりたい自分になれる」というバーチャル世界の特徴を面白く描いてる作品ですよね。

そしてバーチャル世界を描いた作品でありながら「現実の素晴らしさ」に言及している作品でもあります。

今回は「レディプレイヤー1」ともう一つリアルに言及している作品「フリーガイ」を比較した映画考察の話になります。よろしければしばらくお付き合いください。

※この映画は「レディプレイヤー1」「フリーガイ」の内容に言及します。ネタバレにご注意ください。

2つの世界から観る「現実」

「レディプレイヤー1(以下レディプレ)」と「フリーガイ」ですが、どちらも現実について触れている作品ではありますが、その描き方は違ったものになっています。

レディプレは知っている方も多いと思いますが、「現実だけがリアル」という名言がありますよね。

ハリデー「現実は恐ろしくて苦痛に満ちているけど、うまい飯を食べられる唯一の場所なんだ。なぜなら、現実だけがリアルだから」


これは現実も大切にしようという意味なのですが、「現実じゃないと美味しいものは食べられない」というセリフに映画館で共感した記憶があります。

対して「フリーガイ」では「今生きている時がリアル」と言っております。これはガイが「リアルじゃなければ何しても無意味だろ?」と親友のバディに言った時の反応です。

バディ「リアルじゃないのがどうした?困っている人を助けようとしてるじゃないか。俺がリアルじゃなくてもこの瞬間はリアル。愛するものを助けようとしている。それがリアルじゃなきゃ俺はわからない。」

そしてガイの名言「ただの良い日ではなく素晴らしい日にしよう」に繋がるわけです。

これはガイを励ますバディの言葉ですが、考え方を変えればこれは「現実だろうがバーチャルだろうが今自分が体験していることはその人にとってリアル」と解釈出来るのではないでしょうか?

現代人は2つの世界に生きている

ここでもっとわかりやすく例えるとしましょう。今の現代人は2つ以上の世界に生きている人が多いと思います。

それは現実の自分と、SNSやゲームを楽しむバーチャルの自分です。

Twitterが僕は好きなんですが、Twitterも楽しくてよく触っています。ではSNSは現実なのでしょうか?

僕はSNSでのキャラクター(自分)はバーチャルだけどそこで得たつながりはリアルなものなんじゃないか?と解釈しています。

本当に感動した気持ちが「リアル」

じゃあ改めてリアルってなんなんでしょうか?僕は「感動」が現実を1番感じる瞬間だなと感じます。

美味しいご飯を食べた瞬間。映画で感動した瞬間。新しいものに出会った瞬間。物事がうまくいった瞬間......とか。

現実でもSNSでもゲームでも感動しているのは自分自身の気持ちなので、本当にリアルなものと言えるのではないでしょうか?

そして映画ってバーチャルの体験でもありリアルの感動を味わえるコンテンツなのかなとふと思いました。

映画に没入していると物語の中に入った気分になるかと思いますが、それってバーチャル(ノンフィクション)に入り込んでいると言っても良いのかなと最近感じます。

皆さんはどんなものにリアルを感じますか?

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