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1960年代生まれの、すちゃらかオヤジです。 細々とYouTube 動画なんかも作って…

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1960年代生まれの、すちゃらかオヤジです。 細々とYouTube 動画なんかも作っていますが、もっと簡単に気楽に発信出来たらななァ、思ってNote始めました。 大昔のガジェットや、不便でもおおらかだった当時の様子を、語って行きたいと思います。

最近の記事

C62と紅蓮の炎

今は、梅小路鉄道博物館で、のんびりトロッコを引いているC62が 複々線の東海道線をマジ本気で走った時のお話。 昭和47年 白鷺号 昭和47年10月、梅小路機関車館の開館に伴い動態保存としてC62が北海道から呼び戻された。 いよいよお披露目ということで、C62の牽引で京都、姫路間を「白鷺号」として運転されたのだが、その後計画されている動態運転への試金石でもあった。 編成は、当時最新鋭の12系客車12両。 特急つばめ、急行ニセコを牽引したC62にとっては、久しぶりの晴れ舞台と

    • 学生時代、国鉄で乗客案内のアルバイトをしていた頃のお話。 (その2)

      案内放送、初心者駅の事務室、普段は運転主任を長として、2〜3名の職員が詰めている。 繁忙期はそれに加えて2名程の学生バイトが応援に加わる。 学生バイトは、整列乗車を促したり、行き先案内が主な業務だが、繁忙期なだけに、時には伝令に走ったり、自分の出来る範囲で職員の補助も買って出た。 今回は、その中から、駅の案内放送に纏わるお話。 接近ランプ。 ビーッというブザー音と共に接近ランプが点灯。 このランプ、ウグイス色の長方形の箱に▲●◼️の穴が開けられていて、それぞれ山陰線、上

      • 学生時代、国鉄で乗客案内のアルバイトをしていた頃のお話。 (その1)

        たたき上げO助役と、秀才T助役どちらが優れていると言うお話じゃなくて。 経歴は違えどこの2人、Fラン学生の私から見れば眩しい存在だった。 英語、わかんねェ 乗客案内掛としてホームで立っていたある日の事。 外国人の2人連れがキョロキョロしている。 「Can I help you」なんて言葉が出る筈も無く、出来の悪い学生の私は、柱の影に隠れ、忍者の如く気配を消していた。 が、彼らは私をみつけ、こちらにやって来た。 どこかへ行きたいのだろう、何やら喋りまくっている。 オマケに

        C62と紅蓮の炎

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          1, きっかけから、試作まで。(1) それは、ひとつのコメントから始まった。 私のYouTube動画にコメントが付いた。 「動画が気に入ったから、Noteで紹介しても良いですか?」との事。 この時までNoteと云う存在を知らなかった。 調べてみると、ライトなクリエイターが、発信できるプラットフォームらしい事が判った。 動画じゃなく、1枚の写真や、数行の文字で伝えたい事だってある。 発信の窓口を広げようと思った。  (2) Noteって、何? Noteって何が出来るのだ

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