見出し画像

『天上の花』(監督:片嶋一貴)

さて、年を越す前に備忘録しておきましょう。

「ポリタスTV」11/24配信の回で取り上げられた映画、『天上の花』。
番組のオンエア以前から、漫画家の瀧波ユカリさんはTwitter上で「製作陣、出演者のDVに対する認識が低解像度である」として疑問を呈しておられました。


◯瀧波ユカリのなんでもカタリタスTV #9|瀧波ユカリさんとの濃厚雑談。今回のテーマは「萩原葉子の『天上の花』からDVを考える」。DVの普遍性と家族問題|ゲスト:瀧波ユカリ(11/24)#ポリタスTV
(番組の視聴には有料会員登録が必要です)

https://youtu.be/7wxjXdWIPjY


番組ではより具体的に「問題点」をピックアップして取り上げており、俄然興味が湧いてきたためさっそく原作を購入、読了の上、映画も見てきた次第です。


【DVへの解像度】


前提として、映画は総合芸術であり、作品の顔である監督や主演俳優のコメントと、作品の持つ「質」とは必ずしもイコールではありません。

その上でまず初見の印象を述べると、瀧波さんの指摘されているDVへの解像度は決して低くないように思えました。
三好の自分本位で理不尽な言動と、それに伴ってエスカレートしていく暴力の描写は、迫真の芝居で思わず目を覆いたくなる・・・・・・ように見えてしまうのがクセものであると(殊にシスヘテロ男性である私の視点で鑑賞した時にはその轍を踏みがちであると)、時間を経るごとに感じてきました。

【「いい感じ」にご注意】


インディーズ映画ですから、各所予算のなさは目につきます。
ロケで戦中らしく見える場所と、アングル的には極力ヨリ画の世界で、家屋のセットや美術の作りが多少甘くてもゴマけるように撮っている。
それを暗に裏付けるかのように、俯瞰で街並みを見せるなどのヒキ画は一切出てきません。ヒキ画で出てくるのはすべて自然の風景か、せいぜい家屋の全体像程度。
それは一種の演出テクニックであり、限られた制作予算で「ふつうに観られる」映画に仕上がっているのは、プロの仕事として評価に値するでしょう。


問題は、そのプロ仕事の結果、「まあまあそれなりに観られるもの」にまとまってしまっている事、それ自体であると言えるのではないでしょうか。
映像業界の人間は「いい感じで」というフレーズを口癖のように多用しますが、まさに「いい感じ」の絵作りと編集/コンテクストによって、三好のDVに問われるべき罪が透明化されてしまっていると言えます。

【慶子殴って自分も殴る=プラマイ0】


例えば、随所に見られる「打ち消し表現」はどうでしょうか。
慶子を殴った後で自分を殴るという(これ見よがしな)行為に走ったり、
また終盤の(たぶん映画オリジナルシーンだったと思うが)戦後の場面、夫と子どもを失った娼婦を買い、「上に乗ってもらっ」たりする三好の描写など(三好は慶子とセックスしている最中、上になろうとした慶子を突き飛ばし、「女が男の上になるなんて!」と激昂している)、東出昌大氏の「愛する女性を殴る衝動は自傷行為に近いのではないだろうか」というコメントに合致する描写が確認できます。

慶子を殴るのは三好の愛の暴走ゆえであり、自身をも傷つける事で都度精算されているのだと、暗に語っているかのようです。


【語り手=葉子の不在】


また明らかな疑問点として、語り手、狂言回しとしての葉子の視点はオミットすべきではなかったようにも感じました。
原作をすべて映像化すると尺的に長くなりすぎることは想像できるが、例えば片渕須直監督の『この世界の片隅に』のように、モノローグとして演出されたナレーションを付すなど、方法は考えられたと思います。


【時系列のパズル】


場面の提示順=時系列の改変も問題ありだと言えます。
前述の「打ち消し表現」とも関わるが、すべての前提となる「慶子と一緒になるために元の妻と離縁までした(なのに慶子そっちのけで「子どもたちのため」と言って仕送りをしている)」
これが朧げにやっと語られるのが中盤、離縁状を突きつけるシーンに至っては、エピローグに配置されている。
同じように、空襲が酷いのもあって仕方なく三好について行った慶子の事情もはっきりと描かれない。

原作を前篇、中篇、後篇に割るとしたら、映像化されたのは前篇の一部と、中篇全般。後篇は殆どオミットされています。製作上「重要でない」と判断し、割愛したであろう事は想像に難くありません。
それは第一に予算の問題があるし、またすべてを映像化すると1本の映画としては[一般的な観点で言えば]長くなりすぎるという懸念もあるでしょう。

とはいえ、その結果として生じている文脈の欠落(欠如)≒三好の病的なDV気質と、その三好についていかざるを得なかった慶子のバックグラウンドを意識しなければならないが、
原作を読んでいない人にとっては、時制やそれら登場人物の事情を噛み砕くのが一苦労な作りになっているのは疑問です。

【制作体制の危うさ】

製作予算1500万という数字からして、スタッフ1人当たりにどれだけの負担が集中し、また「無償のサービス」によって支えられているのかというのは懸念されるところではないでしょうか?
(単純な比較はできないが、15〜30秒のTVCMを1本作るのに必要な予算は、どんなに安くても600〜700万(サービス仕事なら300万)。大手企業の物になれば1000〜3000万ほど。
繰り返しますが、商習慣上、各セッションの予算配分はブラックボックスな部分が多いし、映画とCMだと価格設定も違うと思うので単純な比較はできません)

それにしても、これだけしっかりとした脚本を書いて、五藤氏の脚本料10万はあまりにも酷です。
しかも五藤氏に無断で改変しているとなると、かなり男性視点のフィルターでDV描写が悪い意味で「浄化」されてしまっているとも考えられます。

****************************************************

ということで、多方面でモヤの残る仕上がりになっています。
やもすれば日本映画製作現場が孕むジリ貧さ(男のジェンダーバイアス、低予算の下で横行するやりがい搾取)の一端を示す赤信号として捉えられるのではないでしょうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?