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『ひまわり』鑑賞記録

1970年に公開されたヴィットリオ・デ・シーカ監督の『ひまわり』を観ました。
修復されて映画館にかかるという噂を聞いて、映画館で観る気満々でしたが、呆気なく公開終了してしまい、配信サービスで鑑賞。

映画の冒頭から、あの音楽とひまわり畑が映し出されて、一気に惹き込まれました。
主人公は強気で美しいジョバンナ。
アントニオと出会い、勢いでの形だけの結婚式をあげる。
それでも共に過ごすうちにお互いへの情は深まる。
そんな中、アントニオは戦争へと送られてしまう。
生きて帰ることだけを祈り待ち侘びたが、
戦争が終わった後も、アントニオは帰ってこなかった。
役所からは行方不明と説明されるも納得できるはずもない。
ジョバンナは彼を探しに、彼が送られたというロシアへ向かう。

物語はこんな感じで、なかなかの悲劇でした。
音楽もその悲劇を煽っていきます。
でも「それでも人生は続く」というところがミソなのかなと思いました。
悲劇の後、真実を経て、人はまた生きていくし、あったことを忘れることはできないのだろうなと。

タイトルにもなっているひまわりについて、
個人的にここに深い意味はないのだろうと思うのですが、
この映画を観ると、やはりひまわり畑のシーンは脳裏に焼き付きます。
きっと今後もひまわりを見るたびにこの映画のことを、
あの音楽と一緒に思い出すことになるでしょう。
だからひまわりなのかな、と短絡的に思いました。

これは物語の本筋に関係ない話ですが、
個人的に映画冒頭に出てきたいちゃつきの中で
ジョバンナのイヤリングをアントニオが飲み込んでしまったシーン。
謎のユーモアのセンスに笑えました。
劇的なシーンが目立つように、案外、繊細なことはしていないのが
冒頭のシーンで表現されていたということかもしれません。
名作と言われる映画だから、何となく構えてましたが、
何だか拍子抜けして気楽に見ることができました。

戦争の描写などはやけに長かったし、
復員した兵士たちが汽車から降りて家族の元へ帰るシーンの
家族がそれぞれに愛する人の写真を持ってここだよと出迎える様子は
ああこれもまたこの映画が残り続ける所以かなと思いました。
戦争映画としても、また娯楽映画としても、観ることができる作品ですね。

久々に鑑賞記録を書きました。楽しいものですね。
映画自体はずっと観てるので、今後もちょこちょこ書いていきたいところです。


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