見出し画像

大人の成長期 もやもやの奥にあった感情のこと

以前読んだ何かに、「もやもやすることは、大人の成長期がきた証」みたいなことが書いてあった。
最近私にも成長期がきた。
長い間、どん!と居座っていた大きなもやもやの塊が、成長期のおかげでほぐれたように感じることがあった。


数年前パーソナルスタイリストの講座を受講した。
その卒業生と先生がおしゃべり配信をするという通知がきて、もやもやしていた。
そもそも、以前からその人たちの活躍を見る度にもやっとしていたから、今回はいい加減向き合わなきゃと思った。

もやもやの原因は、私にはできていない、学びを活かしてお金を稼いでいること、仲間がいて楽しそうなことに嫉妬しているからだ、って頭で決めつけていた。
だけど、そう言葉にしても気持ちは全然すっきりしない。
こういう時は、まずはざっくりした大きなことから、友達のように自分に言葉の前提や意味を質問していくようにしている。
例えば
「Kimaちゃんにとってファッションとか装うってなに?どういうものなの?」
「どうして講座に申し込んだの?」
「学びを活かすってどういうことを言ってるの?」
など。
その回答にも同じように質問していく。

質問のこたえから出てきたこと①

小さい頃はデザイナーになりたかった。
私にとって装うということは、小さい頃からいつでもどこででも、想像するだけで十分に楽しさを感じさせてくれるもの。
それが現実の世界だと、
想像を下回ってしまう、自分のセンス、能力のなさやキャパシティー不足にがっかりするものになってしまう…。
それに、お金も限られているし、人の目も気にしなきゃいけなくて、たくさんの制約がある息苦しいもの…。
と思い込んで、現実はこういうもの!と決めつけていた。

でも同時に、現実がどうであれ、装うことやファッションは、
ただ見るだけ想像するだけで楽しくて幸せな気持ちになるもの、大切な心のより所、という認識はずっとずっと心にあったんだ、と気づいた。

イメコンとかTPOとかの理論やマナーを気にする前に、まずは生きていく日々の中で、想像でも現実でも心から楽しみたいものなんだって改めて気づいた。


だから、もやもやの原因は、先生や卒業生たちが、ファッションや装うことを楽しめていることが羨ましくて仕方がなかったということだった。

質問のこたえから出てきたこと②

私が心底怖くて嫌だと思っていることも言語化できた。
それは、センスがなくてダサい、頭が悪い、この2つを言われたり思われたりすること。
この2つには、私の中では場の空気を乱すことも含まれているみたい。
だから、
そう思われるぐらいなら想像だけでいい、
現実は想像を下回るんだから、こんないけてないものを身に着けてても仕方ないよね、私まだ本気出してないだけ!って心の中でいつも言い訳をしていた。
眩しいものに八つ当たりしては、怖いことから目を背けていたんだな。

これからのこと

ダサいし頭悪い私ががんばったところでさぁ、って拗ねてないで。
やりたいんだからやっていこうよ、って思えた。
辛いなと思ったら休憩してもやめてもいいんだし。
人から笑われても、そっかー、やってみたかったんだ、これ好きなんだーでいいんだよね。
私が私を否定せずにいればいい。
恥ずかしいー!辛い!って感じた時には、励まして寄り添うよって自分に約束できたら、怖いことでも始められるように思った。

今までずっと、たくさん心に鎧を着て武装することで、傷つかないように必死だった。

私にとっての大人の成長期は、今まで自分を守るために一生懸命着込んだ、たくさんの鎧を少しずつ脱ぐ時期がきたと知らせてくれるものだった。
そして、鎧がなくても大丈夫と思える私になっていくことが成長なのかなと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?