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47 人生はバナナダイエット

 前回は、他人の言うことを聞くというのはそれがどんなに良い事でもそしてもっともらしくても、誰かに同調を強いられる可能性が高いという話でした。私たちはそういう時に自分の思考の主導権を容易に誰かに渡してしまうものです。よく考えてみればとても怖い事です。

 ところで、私ですが、私は私がここに書いている事が正しいですよ、真理ですよ、普遍的な何かですよ、そしてあなたはこうすべきです、などとは金輪際申しませからご安心ください。私はあなた自身がすべきあなたの思考を奪い取ってしまいたいとは考えません。むしろ私に従わないでくださいと言いたい方です。なぜならば、私はこの世の中の全ての人が皆違った考えをしている方が楽しいと考えるからです。その考えが私の考えと完全に相入れないものであって、話し合ってもどうにも合意に至らなかったとしてもです。その方が健全だと考えるからです。

 さて、今回の本題に入りましょう。今回のお話の発端は私の家の中での事です。つまり、私の妻の事になります。私と妻はもう結婚してから20年にもなりますが、未だに相入れないところが多々ありまして、それが日々の生活の中で軋轢になっていたりします。ですが、それはそれで構いません。二人が同じ考え、同じ感覚であるとしたら健全ではないと考えるからです。

 本題と言いながらまた回り道していましたが、いよいよここからが本当の本題です。実は、妻はYoutubeのトーク形のチャンネルが大好きです。(私はトークは好きでなく音楽しか聴きません) それで、何かを聞いて納得したのか驚いたのかわかりませんが時々私にその知識を披露してくれるのです。たくさんありすぎて忘れましたが、コロナワクチンの害の事をはじめとしてこれからはインデックス投資はダメのようなのを経て猫がお腹を上にして寝る時はこうだというようなものまでありました。そう言われても私は一応聞いておくだけで終わりです。

 皆さんの周りにも私の妻と同じような人はたくさんいます。たくさんどころかそんな人ばかりと言って良いはずです。ずっと昔に、みのもんた氏がテレビでバナナダイエットというのを紹介していました。その後の出来事はご存知かと思いますが、スーパーの果物売り場からバナナが消えました。さて、それで日本人の肥満は解消されたでしょうか? そんなわけはありません。その後もココアがあり、何がありといろいろ笑い話のような事が飽きもせず繰り返されています。

 そうなりますと、こうした事が何度も起きてしまうのですから、あのバナナダイエットブームはみの氏の責任ではないとわかります。何らかのきっかけで私たちはバナナダイエットの時と同じ思考方法をとってしまうのです。話は戻りますが、私の妻がまさにそれです。どういう事かと言いますと、たった一つの印象的な (印象的に見えるようにデコレーションされた) 知識を提示された時に、それ以外の知識をこれまで自分が保持していたものも含めて全てポイポイッと思考のテーブルから追い出してしまうという事です。そしてその知識がある事に対する思考材料の全てとなってしまいます。

 (建築デザインを学んでいた)大学でレポートを提出しなければならない機会が何度かありました。同じ課題のレポートを皆提出するのですが、この時にもバナナダイエット効果が現れていたのを思い出します。レポートの内容を読ませてもらうとそれがよくわかります。この人は印象に残った1冊の本だけでレポートを書いたな、と。大学レベルでレポートを仕上げる時には1つの考え方だけを優先して採用するわけにはいきません。少なくとも代表的ないくつかの考え方を全て相対化していなければ自分自身の思考にはならないからです。

 仕事の中でも同じでしょう。見積は1社だけでなく数社のものを比較しますし、技術的な事でも比較は必要です。新しい知識がすぐに古い全てにとって換わってしまうほど簡単なものではないはずですから、新しい知識は古い知識たちの仲間に新たに加わったに最新の一つ過ぎません。本来、知識というものは思考のパラメータを増加させる為にあるものですが、その逆をやってしまうのです。どうも人の脳はポンッと簡単な1つに置き換えて終わり。本当の意味ではそれは思考の結果ではなくて思考の放棄です。その結果はバナナダイエットですし、詳しくは言いませんが例の伝染病関係で起きていた事実に基づかない知識の流布だったり、挙げれば切りがありません。これは仕方ない事です。(仕方ないと諦めない方が良いのですが)

 さて、ここまででも私たちの脳は残念なものだとわかったのですが、実は本当に困るのはその後の結果です。バナナダイエット、やってみたけれど効果があったのか無かったのかがわからないうちに別のダイエット法がやってくるか、単に時間とともに忘れてしまう。そして、成功にしろ失敗にしろ何かが残ったかといえば何も無い。何も残らないのです。これがバナナやココアに限らず、伝染病や社会問題でも環境問題だったとしても「これが正しい!」とポンッと入れても時間とともに消え去ります。何も残らないですしその後にまた「正しい!」とポンッと入ったものとの矛盾にも気付きません。パラメータが少ないせいでそこまで考えが及ばないからです。

 そうしているうちにどんどんと年月は過ぎ、人は宿命的に歳をとります。これが正しいと信じて特に考えることもなく採用していた生き方、皆もそうやっているからと疑うこともなくやってきた生き方も、今度は先方からお断りの連絡を受けるのです。「バナナダイエットは若いうちだけのものですよ。さようなら」

 いえいえ、私の言っているのはバナナの話ではありませんよ、人生の話です。でも、そうなったらもう遅いのです。今となってはこのやり方が正しかったのかそうでなかったのかもわかりません。


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