見ろと言われたので見に行きました

僕は芸術が全くわからない。芸術家は、ピカソとかゴッホとか、いわゆるみんなが知ってる有名な人しか知らない。博物館や美術館もあまり行ったことがない。

渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムにて、4月17日まで「ミロ展」が開催されており、この広告を電車で見かけた僕は何故だか行ってみようという気になった。芸術が全然分からないのだが、分からないからこそ好き嫌いも行くためのハードルもないし、それに「○○展」というものにほとんど行ったことがないので、ふらっと行ってふらっと帰ってこようくらいの気持ちで行ってきた。

正直に言って、あまり分からなかった。何というか抽象的な絵ばかりで、素人が一目見てもうお~!と思うようなこともなかった。しかしそんな中でも、何故か惹かれた作品が2つだけある。

「焼けた森の中の人物たちによる構成」
この作品は、分かりやすく言うとグレーバックの中に塔が描かれてあるもの。そしてその塔の真ん中には目が描いてあり、「太陽の塔」のようでもある。これだけだったらおそらくすぐスルーしてしまっていたのかもしれないが、塔の根元が2股に分かれて足のようになっているのだ。しかも、片方は紫がかったピンク、片方は黄土色に染まっている。
紫の方は、足が曲がって天井に伸び、その先っぽには三角屋根のようなものがついている。さらに足元には、よく見かけるウイルスをデフォルメしたイラスト(丸にトゲトゲしたものがついているやつ)がくっついている。もう一方の黄土色は、つま先が、行き過ぎてよくわからなくなって迷走したファッショニスタくらいとがっており、それも天井まで伸びていて、しかもその先には顔がついている。
この題名の意味するところは何なのだろうか、長考してしまった。よく見ると、塔の真ん中の顔は不敵な笑みを浮かべているし、黄土色のつま先の顔は目が点だけなのに真っ向から見つめられている気がする。「焼けた森の中」で、塔の真ん中の顔は不敵な笑みを浮かべているサイコパスのように見え、他方つま先の顔は、焼け野原の中何もかも諦めてしまったが故の表情にも見える。だが一方、塔の真ん中の顔は諦めるしかなくなって逆に笑うしかなくなった顔に見えるし、他方つま先の顔は、感情を見せないサイコパスにも見える。この二つの顔がともに、両方の意味を持ち合わせているように感じた。この絵の得も言われぬ不気味さに、何故だかしばらく目が離せなかった。

「ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子」
こちらはブラックバックの中にいろんな顔を持つ人物がいるのだが、肝心の「ゴシック聖堂」も、「オルガン演奏」もどれがどれを表しているのかが分からない。一面ブラックの中央が楕円形にグレーで塗られているのだが、それが聖堂なのだろうか。それとも、一面のブラックを聖堂と見立て、楕円形のグレー部分をオルガンと見るのか。「踊り子」といわれても中の人物たちは足がなくて踊っている感なかったり、そうかと思えばよく見ると少しだけ足があってその足はハネていたりと、何とも不思議な絵。その不思議さに、しばらく心奪われてしまった。

今まであまり興味を示してこなかった「○○展」というものに、今回のことで少し興味が湧いてきた。これから暇な時には、展覧会や美術展などに足を運んでみようと思えた。
いい休日になった。


#休日のすごし方

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