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続・マリエンヌと東京



これを書いたのは気がつくともう3年前。

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他のところに住んでみたいといいながら
一瞬宮崎を経由したのにも関わらず

結局また、東京に戻ってきてしまった。

住んでるところは正確にいうと「東京」ではないのだけど、
便宜上東京ということにしておく。


なにせ、「便利」なのだ。

国が違う旦那さんと一緒に
楽しく暮らすための基盤づくりをするには
いろいろ考えた結果やはり「今は東京」が最善策、ということになった。

いわゆる、消去法での選択というやつだ。


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住む場所を変えてから
めっきり総武線を使うことは減った。
というかほぼ皆無だ。

まさかわたしが地下鉄ユーザになるとは思っていなかったが
毎日某地下鉄に揺られながら、渋谷を通過する。

40歳があと数年で目前だ、となってきたときに
思わず出てきた心の声は「渋谷は若すぎる」
という謎のものだった。

先日、久しぶりに夜の新宿に降り立った。

20代、バリバリ働いていた時に
いやバリバリではなかったな、ぼんやり働いていた時に

夜の飲み会で新宿に降り立つと
なんだか色めき立っていたような気がした。

40代目前、今はどうだろうか?
時間にするとたった2時間くらいだったはずなのに
すっかり吸い取られて目がちかちかした自分がそこにいた。


「新宿も若すぎる」

またそんな謎の声が頭に鳴る。


その時に一緒にごはんを食べていた
わたしのかわいい友達と新宿駅に向かって歩く。


その友達と歩いていると
いつもなぜだか不思議なイメージや記憶が頭に沸くことがある。
ちなみになぜかはわからない。

その時も、
「新宿の喧騒がわたしを救ってくれた瞬間」を
なぜだかふと思い出した。


文字通り、誰も周りに関心がなくて
もちろんわたしにも関心がなくて
泣いてようが怒ってようが絶望してようが
ただただ放置する街。放置してくれる街。

そういえば、ただそこの中に身をおいて流されたいな、
なんて思った20代もあったな、と。


今はその瞬間を救ってくれるパートナーも
心をくみ取りあえる友人もいてくれる。

それだけで十分になってしまった。

もしくは、そこまで絶望的なさみしさに
身を置ける強さがなくなってしまったのか?


東京は違う違うといいながら
まだあとどのくらいわたしは(正確に言うとわれわれは、か)
「東京」に住むのか。


また心の声がする。
「表参道も若すぎる」


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