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お『NEW』な私(花吹雪×シロクマ文芸部)

花吹雪のなかに気づかぬうちに迷い込んだ。朝の底には八重桜の花弁が一面に広がっていた。朝の誰もいない駅近くということも相まって、その光景が人里離れた湖の湖面のように見えた。

ハンドバックからリップクリームが零れる。
私という人生の蓋を、ぱかっと開けてみると、迷い色の濃いワインみたいな虚無感で満ちているな、と思う。

だから、毎朝の通勤に利用するイェールタウン・ステーションに施された春の訪れを祝うささやかな装飾にも気づけなかった。

先週、デイオフの日に行きつけのカフェに向かう途中、職場の同僚に声をかけられ、濡れた地面から顔をあげた時に広場の装飾に気づいたのだ。
同僚とのとりとめのない会話はあまり頭に入ってこなかった。
それよりも自分がずっと俯いていたことに驚いた。
視界は広く、ダウンタウンの隙間に青く突き抜けた、レモンが似合いそうな空があった。

「そんなお気に入りの花を枯らしてしまったみたいな顔をして、まだ、忘れられないのかい?50年に一度咲くリュウゼツランみたいな花じゃないんだ、確かに人生は貴重さ、でも人生の一瞬一瞬をダイヤモンドみたいに扱ってたら、人は生きていけないとも思うんだ。だからさ、忘れろとは言わんが、何か新しいことをしてもいいんじゃないか?そうだ、これから時間ある?天気もいいし、俺イングリッシュベイ行こうと思っているんだけど、一緒にどう?」

私は適当な理由をつけて断った。
同僚はいい人だと思う。
職場の上司の家族と一緒にプールに行ったり、誰かが風邪をひいたら必ず率先してシフトに入って、無理をさせないようにしたり。
もしかしたら、彼と一緒にイングリッシュベイに行けば何かが変わるのかもしれないとも思ったのに断ってしまった。
昔から私は人の善意に居心地の悪さを感じてしまう。
眩しくて泣いてしまいそうな。
どうしてだろう?何も悪いことが起きなくたって、他人といても傷つくし、一人でいても傷ついてしまう。
まるで、カッパを着ながら更に傘をさしても雨に濡れているような、そんな感覚。


髪についた花びらを払う。電車が駅構内に滑らかにとまった。
車椅子のおばあさんが下りてきた。
私を一瞥してエレベーターの方に向かっていた。
車椅子のタイヤには何個かのガムが張り付いていた。

ブザーがなる。慌てて車内に移った。
車内の掲示物にもガムが張り付いていた。
オレンジ色のガム、水色のガム。海外特有の派手なというか不健康そうな色合いのガム。
そうか、私は海外にいるのだ。

恋人と別れて逃げるようにバンクーバーにきて、もう何年が経つだろう。
3年か。
こうしてみると、自分探しということの出鱈目さがわかる。
私は何か変わっただろうか?
そういうことを考えると日本を出る時に置いてきてしまった元彼を思い出す。

「スピノザは人間には自由意志がないっていうのさ、つまりこういうことなんじゃないかな、決定論者なんだよ、よく言うだろう?人を変えることはできないから自分が変わるしかないって、でもさスピノザはやっぱりそれを否定するんだよね、つまりつまり、人は自分のことさえも自分の意思では変えられないって」

珈琲が好きな人だった。
スーパーの安い豆を1000円くらいで買ったキャンプ用の珈琲セットでいつも、飲んでいた。
彼と過ごした日々の中には幸福な瞬間もあったけれど、いつも珈琲セットでコーヒーを淹れて飲んでいる姿を思い出す。

コーヒーが好きなのに、こだわるだけの知能はなくて、いつも不器用に豆をこぼしていて、読書が好きなのに、彼が話す知識はいつもたどたどしくて、なんだか、彼がなりたいもののすべてが上手に彼の手の中から零れてしまっているみたいに思えた。
そんな彼の背中は冬の木立のように、いつも自覚のない寂しさに満ちていた。

電車が走り出す。
車内の人は4月の装いだった。

これから仕事に行って、夜に帰ってくる。
明日は早いから晩酌はできない。
私は何をやっているのだろう。
そのスピノザさんとやらは結局何が言いたかったのだろう?

人は自由意志がないとことにさえ気づけば、少しは気が紛れるということだろうか?
なんだかそれって、仏教の煩悩みたい。
最終的には私も頭を丸めて、バンクーバーにある寺に出家でもすれば悟りの領域に踏み入れることができるのだろうか?
ということは、私は変わりたいのだ。どういう風に?
それはわからない、だからバンクーバーまで来たのではないか。
900ドルのリビングルームを借りて晩酌するためではない。

車窓は地下の暗いトンネルが果てしなく続いている。錆びたブレーキ音。
次の駅に停車。
席が空いて、私はそこに座った。
ここにアルコールさえあれば、馬鹿になって、日頃頑張っている自分を祝福できるのに。

次の駅に止まる。
キャリーケースを引っ張ってきた、典型的なアメリカ人みたいな女性が私の横に腰を下ろした。

ココナッツの強い香水と、化粧っけはないのに、高い鼻や、くっきり二重の目、細い顔や輪郭が羨ましい。むらのない金髪もきれいだ。

そのアメリカ人女性は羽織っていた白いカーディガンを脱いで、自分のお尻の下に敷いた。

その仕草の途中、右ひじの外側にタトゥーが見えた。
日本以外の国ではタトゥーなんて別に珍しいものではないから普段なら気にも留めなかった。
けれど、今、私はそのタトゥーから目が離せない。

『NEW ERA』
もう一度読もうとした瞬間に、電車が地下を抜けて、4月の陽光のなかに、突っ込んでいった。

眩しさに目じりが痛くなった。
彼女のタトゥーが白い陽光のなかで踊っているように見えた。

私も
『NEW』になりたい。
ビルの影が何本が通り過ぎてから、桜吹雪のなかに電車が隠れた。

ブロンドの女性の横顔は凛とした決意に満ちているように思えた。
これまでの挫折した困難も一緒に『NEW ERA』として生きて行くぞ、という決意表明。

私は自分の心のなかに、古くから刺さっていた棘の感覚を思い出した。
お酒なんて飲んでいる場合でもないのかもしれない。

結構やりたかったことってあった。
でも投げ捨ててしまっていた。
才能という幻想が人に諦めを導く。

けれども、無防備にそういったことに挑戦してみてもいいのかもしれない。
鬱屈とした日々のスパイスにはなるし、もう前に進むことに不要な色々なことだって考えなくてもいいのかもしれないし。

ブロンドの女性はスマホでナンプレをしていた。

とりあえず、どうしようか、私。
いや、『NEW』な私よ。

とりあえず、タトゥーでもいれてみようか
『NEWな私』って。
春だし。


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