医師に向いているのか悩んでいる人へ 洗脳の話も添えて

「覚悟のない者は医者になるな」

医者に対して身を粉にして働くことを要求する者は世の中に多くおります。


「君に問う」で有名な文章で、長々とポエムが書いてありますが、要する「必死に勉強して自己を犠牲にして働け」というわけです。

ネットのなかった昔は外野から雑音が聞こえてくることはなかったでしょうが、こういった声が医学生や医学部受験生の耳に入るようになってきました。


18歳で適正なんかわかるはずがない


医学部受験生に向けて語ります。

医学部医学科というところは、他学部他学科と比べると変わっており、学問の場というよりは医師養成のための専門学校という表現が実態を表しているように感じます。卒業生のほとんどが臨床医ですし。

法学部卒業している人で法律に関わらない仕事をしている人の割合はどれくらいだろうと考えると、医学部医学科の異質さがわかるでしょう。

他学部では課されないのに医学部では課される面接といい、よそではさほど問われない、医師としての適性がやたら重視されます。

しかし、これまで働いたことすらわからない高校生に適性なんてわかるのでしょうか。

今までバットを持ったことが一度もないのに野球が得意かどうかわかりますか?今までペンを持ったことが一度もないのに絵が得意かどうかわかりますか?

実際に患者さんから採血をすることすら、医師免許を取った後です。

18歳の高校生の時点で、自分に適性があるかどうかなんてわかるはずがありません。


医師の適性って結局は何ですか?


そもそもあれこれ口出しをしたがる人たちは、医師としての適性が一体何なのかはっきりした上で口出しをしているのでしょうか。

医師として必要な適性は挙げていけば色々あるかと思われます。

頭の良さ
手先の器用さ
体力(特に睡眠不足耐性)
パラメディカルスタッフと良好な関係を築くコミュニケーション能力
自分とは世代の異なる患者と話ができるコミュニケーション能力
治療のメリット・デメリットを秤にかけられるバランス感覚
金銭面や家族関係も考慮した治療の出口戦略を練る能力
病院やクリニックの売上を上げられる能力
アップデートし続けられる継続力
家庭を犠牲にしても平気な鈍感力


適当に列挙しましたが、もちろんこれだけでなくもっと多くの要素があるでしょう。

上記の10個の要素が正しいのかどうかは置いといて、他人について医師に向いているか否かを評価する人たちは、果たしてこういったことを考えたことがあるのか疑問です。

彼らの言う「いい」医師というのは、「自分にとって都合のいい」医師ではないでしょうか。


あなたが医師にならなくて得する人たち

子どもの頃は良くわかっていませんでしたが、大人たちはポジショントークばかりです。

良い悪いではなく、ただそういったものだというだけです。

そもそも医師への道は、医学部定員によって厳しく制限されており、医師免許を貰える人は毎年ほぼ同じで、医師免許というのは限られたパイなわけです。

あなたが取ろうと思えば取れる医師免許を取らなかったら、他の人に医師免許が行き渡ることになると。

医学部定員は高度成長期からずっと上昇してきたわけですが、1980年代から将来医師余りになる可能性があるということで定員数を抑制する方向に転換しました。

21世紀になってからは、世間の風当たりに厚労省が耐えられなくなって多少定員を増やしましたが、また2020年以降からは抑制する方向に動いております。

医師の数を抑制しようと厚生労働省に圧力をかけている者として、社会保険料を抑制したい財務省もあるでしょうが、日本医師会の存在も忘れてはいけません。

名前からすると全ての医師を代表している団体のように思われるかも知れませんが、開業医の団体で勤務医とは無関係です。

同業者が増えすぎると商売上がったりになるので、日本医師会からすると医学部定員が増えすぎるのは不都合です。

一方で医学部定員が絞られると、それだけ狭き門となって自分たちの子どもを医学部に入れることが厳しくなりますが、そこで「覚悟のない者は医者になるな」と発言するわけです。

学力のある非医師家系の高校生がキツイこと言われて医師になることを断念すればそれだけ、跡取りを医学部に入学させやすくなるわけです。

開業医たちの中には、子どもを医者にすることに対して凄まじい執念を持っている人もいます。

一部の者は裏口入学にまで手を染め、一部の私立医もそれを受け入れている状況です。

医師の仕事はキツイキツイと騒ぎながら、自分の子を金で跡取りにする行為は矛盾しているように思えてなりません。

彼らは何千万円も使ってまでして自分の子を過酷な環境に置きたいのでしょうか。

違うでしょう。

自分が引退してからも地域住民のためにクリニックを維持したいのなら、開業したがっている医師に頼めばいいわけで、無理に自分の子どもに継がせる必要はないはずです。

ロビー活動の強力さは全米ライフル協会を見れば一目瞭然です。

銃による大量殺人事件がいくら起ころうが銃がなくなる気配は全くありません。

「覚悟のない者は医者になるな」は、ポジショントークに利用されています。

もちろん理想を持って医師として働いている人が本心から言っている場合もあるでしょうが、現実として自分が得するための建前として利用している人もいるのです。

綺麗事を言う背景は一体何なのか考えていけば見えてくることがあります。

あなたが実際に医師になるかどうかは別として、医学部進学を断念する裏でほくそ笑んでいる人がいるのは事実です。

競合相手となりうる若い芽をあらかじめ潰しておくのは人生に成功する上で重要な要素です。

良心の呵責があって他人を潰したくない人はいるでしょうが、自分自身が潰されないように防御はきっちりしておきましょう。

僕個人の意見を言っておくと、医師としての適性なんかやってみないとわからないのだから、医学部定員を増やして医師として向いてないとわかったのなら方向転換するほうが健全だと思っております。

18歳の高校生に重い決断を強制して、医学部進学後はほぼ全員が臨床医になることが果たして正しいと言えるのでしょうか。

しかし、現実には日本医師会のロビー活動もあるでしょうから、そのようにはまずならないでしょう。


人は変わる


人というものは、変化するものでして、それが余計に医師としての適性の判断を難しくさせます。

輝かしい実績を持つとある医師が教授選で破れ、冷や飯を食わされるようになってから別人のようにやる気を失ってしまったケースもあります。

学生時代にはコミュ障丸出しで、到底医師として向いていなさそうな人も、実際に医師として働くようになってから本人の努力で医師らしく患者と接することができるようになったケースもあります。

これまでとある科で働いていても、途中で気が変わって別の科で働き始める人もいます。

若い頃理想に燃えていたのにグロテスクな現実に打ちのめされる人もいる一方で、飄々としたタイプが淡々とハードワークしている様子も見かけるので、人生どうなるかわからんものですよ。

18歳やそこらの気持ちなんてあてになりません。

受験生はアレコレ考えても仕方ないので、とりあえず受験勉強しましょう。

人の見る目なんかあてになりませんし、数分後に先頭で何がゴールするのかが何かを予想するだけの競馬ですら簡単には当たらないんですから。

受験勉強を頑張って結果を残せれば、少なくともコツコツと勉強できる能力の証明にはなります。

みっともないのが、働いたことすらないのに医師像について語る浪人生です。

僕の高校の同級生にもいましたが、目の前の勉強に取り組めないというのは真剣さが足りないんじゃないんですかね。

つべこべ言わずさっさと参考書や問題集を先に進めろやと。


ただし再受験生は慎重な判断を


医学部再受験をする方は少なくなくもちろん目指すのは自由ですが、医学部再受験を万人にはオススメしない理由は何個もあります。

一部の人は、医師はインフラなのだから云々と言って若い人だけが医師になるべきという考えの人もいますがそういう意味ではありません。

表に出てくるのは成功例ばかりですので、よく考えた上で臨んでもらえたらと思います。

まずはそもそも合格できるのかという問題です。

厳しいようですが、医学部再受験成功者にはもともと18歳の頃に勉強ができていた人が多いのが現実です。

自分の知っている範囲では、東大非医学部出身者がゴロゴロいてそうじゃなくても高校時代に早慶や旧帝大レベルに達していた人ばかりです。

〇〇から逆転、というフレーズは非常に魅力的ですが、医学部再受験の成功者はもともと勉強ができた人が順当に合格するケースが多いです。

また、医学部は医学発展のために存在する一方で医師の職業訓練校という側面もあります。

都合のいい手駒が欲しい人にとっては、若ければ若いほどいいわけです。

過去の例だと、群馬大学医学部で合格点を取りながら50代女性が不合格にされたケースがあり、その方は年齢差別ということで訴訟を起こしましたが敗訴となっております。

ちなみにですが、慶應大学工学部卒ということでもともと勉強のできた方です。

文部科学省の元局長が息子を東京医科大学に裏口入学させようとしたことがきっかけで多くの医学部において年齢差別が行われていたことが広く知られることになって医学部の入口から年齢制限はこれから撤廃される可能性もありますが、重要なのは医学界のお偉方が若い労働力を欲しがっているという本音は変わらないということです。

医学部入学後の進級や医師国家試験合格についてはあまり心配する必要はないでしょうが、卒業後には実際に働くことになるわけで、ポリティカルコレクトネス的には表立って差別されることはないでしょうが裏ではどうなるかわかったものではなりません。

未だに医学界というのは昭和のヤクザ的な香りを残しているところですから。具体例を挙げるとヤバいのでやめときますが。

次に生涯年収です。

医師の給料は、色々なルールで規定されておりますが、最大のルールは「医師何年目かで決まる」ということです。

医局を離れたりフリーランスに近い立場であれば別でしょうが、医師の世界も基本的には年功序列なのです。

1年医師になるのが遅れるとどのタイミングの給料が消えるかというと卒業直後ではなく定年直前の1年分の給料です。

医師は金を追求せずに患者のために働くべきだという考えは立派ですが、それは生活に困らないだけのお金が確保してから初めて言えることです。

そうなると医者のこれからの待遇悪化が問題でして、これから日本という国全体の国力が落ちていく中で年間の医療費には上限があるので頑張りさえすれば良くなるという単純なものではありません。

苦しくなって自由診療の世界に参入したとしても、自分が苦しくなる頃には他の人も同じことを考えているわけで、過当競争によりさほど果実を享受できない可能性は高いでしょう。

今までは医者の給料は最低でも年収1000万円あって、1500万円とか2000万円プレイヤーも珍しくない業界だったので、他のどの業界にいたとしてもほとんどの人は医学部再受験成功でペイできたでしょうがこれからは怪しいものです。

最速で合格できて留年も国試浪人もなしでいけたとしても、6年間の学生生活と2年間の初期研修を終えないと最低限のことすらできないわけで、そこから投資した時間やお金のリターンを得ようとしても果たしてどうかってところですよ。

可処分所得も見逃せない点でしょう。

医師に限ったことではないことだと、所得が増えると保育料の増加や各種手当ての減額や社会保険料の増加や累進課税が重くのしかかってきます。

同じ1億円を稼ぐにしても500万円を20年間続けるのと1000万円を10年間続けるのは大違いで、この点から見れば医学部再受験というのは非効率的な稼ぎ方です。

また割引現在価値の問題もありまして、簡単に言うと今の1000万円と10年後の1000万円は同じ価値ではないということです。

キャッシュを受け取るタイミングを後にズラせばズラすほど投資などで得られたはずの運用益を入手することができず、利回りがさほど大きくなくても複利で回ることを考えるとバカになりません。

医師限定の話だと、患者や製薬会社からの☓☓がコンプライアンス面から考えると今後は貰いにくくなるでしょう。

清廉なベテラン医師の中には自分は受け取らずに働いてきたと訴える人もいるかもしれませんが、直接懐に入ることはなくても医局運営にアレが使われて間接的にそういったベテラン医師も恩恵を受けています。

今後はそれなしでやりくりしていく必要が出てきて個々の医師に負担がのしかかってくるかもしれません。

金銭面だけでなく医師の仕事のやりがいの低下の問題もあって、かつてはお医者さま扱いでしたが、官僚の権威が失墜したのと同様に医師も落ちぶれてしまいました。

中には高い給料貰ってるんだからと僻み根性丸出しでぶつかってくる者もいる始末です。

医療の発展そのものは喜ばしいことですが、助かるのが当たり前になってくるとありがたみがなくなってきまして、誰も水や空気を普段はありがたがっていないのと同じです。

福島大野病院のように結果が悪いだけで訴えられる事例も起こったせいで、訴訟対策のための仕事が溢れることになり現場は余計消耗することとなりました。

あとは、高齢者が増えたことで仕事の質そのものが変わりました。

多くの病気を抱えており、中には手術に耐えられない人もいますので、特定の病気を治すスペシャリストというよりは総合的に判断をできるジェネラリストに医師の仕事がシフトしてきました。

医療ドラマで取り上げられている格好良い仕事の割合が減ってきます。

救急を取り扱っているドラマを見てあれをジェネラリストと思う人もいるかもしれませんが、実際のジェネラリストがやっていることは違います。

到底ドラマにはできない泥臭い仕事があるのが現実であり、その割合は今後増えてくるでしょう。

やりがいのある仕事というのは人それぞれで難しいことですが、これまでのやりがいとは別のやりがいを見出していく必要があるでしょう。

最近の医療ドラマに憧れて医師を目指すのは危険で、むしろ白い巨塔を見て、俺も権力闘争するぞと意気込むほうが医師として長続きすると思います。

内科、外科、総合診療科、救急科などなど具体的な科の選択に移りましょうか。

臨床医として働くのなら最終的には専門の科を決めますが、その際にも年齢が影響してきます。

医師として一人前のレベルがどこなのかは人によって考えは色々でしょうが、科によって早く一人前になれるところと時間がかかるところがあります。

医師としての勉強は座学だけでなくて、上級医について直接教わったり見て技を盗んだりすることも勉強です。

いわばギルドのような徒弟制的側面があり、ぺーぺーのうちは初歩的なことを教わって徐々にレベルアップしていくわけです。

ここが、科によって大きく差がつくところで、心臓外科だったら最速で医師になったとしても執刀させてもらえるのがアラフォーになってからという可能性もある一方で、白内障手術なら1年で執刀させてもらえます。

もし再受験生だったら専門の科をどう選択するでしょうか。

初期研修を終えた頃には既にアラフォーになっているようでは心臓外科などの一人前になれるまで時間がかかる科は選択しにくくなります。

知り合いの再受験生にも、実際に働き始めてから現実を思い知って医学部入学当初の夢を断念して違う科にシフトした人がいます。

そして、悪名高き新専門医制度ですが、特に内科が煽りを受けております。

内科にも消化器内科とか循環器内科とか色々ありますが、内科専門医については内科全体の資格を取ってから専門に進むという特徴があります。

かつては内科認定医をすぐ取れてその後に循環器内科専門医とか呼吸器内科専門医とか専門医資格を取るキャリアパスでしたが、新制度では内科専門医を取ってから各々の専門科に進むので、〇〇内科専門医になるのに時間がかかるようになりました。

また、この新専門医制度には医局人事の問題も絡んできます。

少し昔話をすると2004年にスタートした初期臨床研修制度ですが、病院側と研修医が直接雇用関係を結ぶことで、大学医局の権力を弱めることになりました。

そこで大学医局に権力を取り戻したいお偉方が目をつけたのが新専門医制度で、専門医試験を受けるための条件を厳しくし始めました。

専門医の質を担保するという名目を使いながら、一方では専門性とは無関係な過疎地で強制的に働かそうとしており矛盾しているように思えます。

建前はどうあれ結局は大学医局に人事権を取り戻して若手医師を使い倒すのが目的で、医局から離れて生活することは以前より難しくなると予想されます。

再受験生の中には、家族がいる方もいるでしょうが、入局後には単身赴任も覚悟しなければならないかもしれません。

一言でまとめるとこれまでのような旨味は減っているのでよくよく考えましょうということです。

サクッと医学部に入れる学力を持っている、またはどうしても医師になりたいのだという熱い情熱があるというのでなければ、個人的な意見ですが苦労してまで目指す道ではない気がします。

あとは何かしら業界にコネや利権を持っているとかですかね。

医者家系出身者が医者になるのとマグルが医者になるのとでは旨みが全然違いますし。


人は変わる(洗脳)


しかしまあ、大人たちのポジショントークの多さたるや実に酷いものです。

ポジショントークとか洗脳とかそういった類のものは知らなければある意味で幸せなまま人生を終えることができたのかもしれませんが、一度知ってしまうと元の世界には戻れなくなってしまうまるでマトリックスの世界ですね。

これまでずっと虚構を見せられていた状態で赤いカプセルと青いカプセルを用意されて前者を飲んでしまうと元には戻れないと。

洗脳に対して我々がどう対策を取るかというとシンプルに距離を取るしかないのではないかと。

少なくとも僕は他に方法を知りません。

さて、洗脳という単語が初めて世界中に広まったのは朝鮮戦争後でした。

当時の中国共産党が捕虜である米兵を洗脳し、帰国した彼らが見事に共産主義者となっていたことに関してCIAは報告書を作成したという流れです。

具体的なノウハウというと書籍でも色々書かれているので省略しますが、飴と鞭を巧みに使い分けて自己批判をさせて判断力を奪うために飢餓状態や睡眠不足状態に置くわけです。

このやり方は普遍的で、自己啓発セミナーだったりカルト宗教における洗脳にも取り入れられています。

周りの人との縁を断つように仕向けるのも有効です。

そういえば、イケハヤとはあちゅうの2人は大学なんか行かずにオンラインサロンのほうがいいと主張して自分たちのオンラインサロンに誘導してましたね。

周りの人間関係を縛るという意味では非常に有効で、実際に感化されて大学をやめてしまったアカウントもtwitter上でチラホラみかけました。

まずは本業の負荷を落としつつ副業にコミットすればいいのに、脱社畜という言葉に惹かれて初手で仕事をやめちゃった人も多いんでしょうね。

とはいえ、洗脳は魔法ではないのでいずれは解けてしまいます。

その方法というと身も蓋もない話でございまして、前述の共産主義者に仕立て上げられた米兵たちは帰国した当初はアレな言動だったわけですが、時間経過とともに自然に元に戻って彼らが共産主義革命を起こそうとすることはなかったんですよね。

距離を取って時間が経てば自然と戻るということです。

医学部に話を戻すと、意図せずして洗脳には適した環境がそこには整っていて、不幸にも(?)医学部に入ってしまった学生たちは何年かかけて医者に仕立て上げられるんですよね。

他の学部とは違い実習が多めのカリキュラム、大学生にしては忙しくないスケジュール、一学年で100人ほどしかいない狭い人間関係、医学部限定の部活などの合せ技で教員単独では成し遂げられないほど巧みに学生たちの思想を適切な形に仕上げていきます。

医学部の部活について知らない人のために補足しておくと、大学の部活というと六大学野球とかそういうのをイメージする人が多いでしょうが、そこまでのガチ勢が揃っているわけではなく実質サークルです。

ただ、入れるのが医学部生限定で拘束時間がサークルにしてはキツめで、人間関係が一般的なサークルより狭いと言えます。

6年間の学生生活で医者としてあるべき姿を叩き込まれ、卒業後に実際に医者として働く中でも思考の矯正は行われていきます。

僕自身の経験からすると、上からの教育以上に睡眠不足の影響が強い気がします。

当直明けにも働いて連続36時間労働とかすると冷静な判断力なんて失われるわけで、かつて医畜していた頃を振り返ると何であんなバカバカしいことをしちゃったんだろうと思うこともありますが、当時はたぶんそうするしかなかったんですよね。

一線越えてプッツンしちゃってしばらく経ってから落ち着いて考えられるようになったと。

これまで長々と書いてきましたが、医者という存在はそれっぽく作り上げることができるので学生さんたちは自分に適性があるかどうかなんて気にする必要などないと思うんですよね。

嫌でもそうされてしまいますが、それは患者サイドにとってはメリットが大きいとも言えるでしょう。

医療のトリレンマとして、安さ、質、アクセスの良さの全部を満たすことはできないと一般的には言われておりますが、世界の中で日本は比較的それら3つをハイレベルな水準で満たしており、その皺寄せは奴隷労働する医者に来ているのが現状です。

立派な医者に仕立て上げられなきゃ医療レベルは落ちるわけで、教育の社会的意義は大きいと言えるでしょう。


飴を用意できなくなった医者の世界


とはいえ、医学生や若手医師の全員を一流の医者にするのは現実的には不可能で、プッツンしたり、燃え尽きて廃人になったり、過労死したりする人たちもそれなりに出てくるわけです。

亡くなった人はどうしようもないですが、燃え尽きた人に対してもセーフティネットというか報酬は一応用意されてまして、やりがいに乏しいけれども金にはなる仕事があるんですよね。

また大学病院で上りつめられなくても開業医になるという選択肢もあって、今とは違って昔はほぼ100%成功できました。

もちろん上のほうに行けた層にもご褒美はありまして、患者や製薬会社からの☓☓とか色々とあったわけです。

金銭とは違いますがお医者様というかつて得られた尊敬も報酬と言えるでしょう。

医学生を洗脳して医療の世界に放り込んでもなんとかなったのが昔なんですが、これからはそう簡単にはいかずに討ち死にする医者が続出してくるんじゃないですかね。

日本という国そのものが貧乏になってきてその余裕もなくなってきたので仕方ないんですが。

そうなると医者としての適正というと、討ち死にしても本望と思えるかとかそうならないようにリスクヘッジをかけられるかとかそういったことが医者として問われる適正になってくるのかもしれません。

そのあたりの事情を敏感に察知しているのか、医者としてあるべき姿になるよう洗脳を受けても効かない医学生や研修医も増えつつある印象で、やはり洗脳には飴玉も用意しないとダメなんだなと感じます。

中国共産党だって、共産主義者として望ましい言動を取れるようになった米兵に飴玉をちゃんと渡していたわけですから。

卒業後は入局して研修し、大学院にも入って無給医として働きつつ専門医資格と学位を取って、お礼奉公をしつつ留学もするという伝統的な医者のキャリアを歩もうとする人は減るんじゃないんですかね。

そんなことしてたらお金なんか全く貯まらないどころか下手したら赤字ですから。

いくら崇高な志を持ってようが食いっぱぐれるようじゃ論外ですよ。

恒産なくして恒心なし、です。

最後に、金とキャリアについて語った偉い某外科の先生の言葉で締めたいと思います。

「40歳までは親か嫁に食わしてもらえ」

今思えば、乱暴なようで現実を捉えている優しい言葉ですね。

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