無言の彼
僕が30歳くらいのときだろうか、子どもたちと実家に帰ったとき、母から前日に同級生が亡くなったことを知らされた。
彼とは小中学校が一緒で家も近所だったので、小さい頃に何度か遊んだ記憶があった。
彼は不思議な子で一言も喋らなかった。何を聞いてもうんともすんとも言わない。そんな子だった。
毎日学校にちゃんと来るし、一緒に登下校する友だちもいるのに、だれも声を聞いたことがなかった。
あるとき、誰かが「家の前を通ったら、『ママ〜』って言ってたよな!」と、からかったことがあった。僕も周りにいた皆と一緒になって笑った。それが嘘か真かは分からなかったけど、彼はやはり何も言わず、だけれど悲しそうに笑っていたのを覚えている。
中学生になってからは彼との記憶は無い。生徒数の多いマンモス校だったし、それぞれ気の合う友だちや部活の仲間とつるむようになったから、彼とはもう遊ぶことは無かった。
翌日の告別式はちょうど仕事が休みだったので、参列することにした。
母が勧めてきたのもあるが、あのときの悲しそうな笑顔の彼に償いたい気持ちもあったのだと思う。
彼の死を知ってから、彼との思い出をもう一つだけ思い出した。
彼の母親が「いつも仲良くしてくれてありがとう」と言って映画に誘ってくれたことがあった。彼のお母さんに連れられて、彼と僕と友だち2人で映画を見に行った。
映画と言っても映画館で上映するようなものではなく、夏休みに市民会館の小ホールとかでやっている、確か浦島太郎とかかぐや姫とか、とにかく小さな子どもが見る昔話の映画だった。
映画の後マクドナルドに行ってハッピーセットを食べた。
おまけのおもちゃはデジタル腕時計だったと思う。オレンジとか黄色、黄緑色、ピンク色のクレイジーな色合いだったような記憶がある。
そのあとしばらく遊びに行くときに着けたり、ちゃんと大事にしていた記憶があるけれど、いつの間にかどこかに無くしてしまった。彼との思い出もそんな風にどこかにしまい忘れてしまった。
斎場に着いて「新生活」を受け付けで手渡した。
これは豆なのだけど、群馬県にはスタンダードな香典と「新生活」という、香典返しを辞退する香典がある。
このときが身内以外で初めて参列する告別式だったので、事前に母にレギュレーションを教えてもらっていた。
告別式では彼の生い立ちから亡くなるまでの映像がスクリーンに映されていた。司会の女性はすごく無機質な表情と声で、彼はバイク事故で亡くなったこと、婚約していた女性がいたことを教えてくれた。なんとなく涙が溢れてきた。そう、なんとなく。
そんな時、昔話好きだった子の姿が目に入った。
一言も話さない彼との思い出より、好きだった彼女とのことばかり思い出した。腕まくりをして一生懸命リレーを走っていたあの子…
読経が始まると斎場から出ていってしまった。「どうしてだろう?」と考えているうちにお焼香が終わっていた。
棺で眠る彼は僕の記憶の中と同じで一言も喋らなかった。参列した人たちで百合や菊の花を飾った。
一言も喋らない彼の表情は、僕の記憶の彼とは違い穏やかな顔をしていた。
出口へ向かうと彼のお母さんが「内田くん、ありがとうね」と、映画に連れて行ってくれたときと同じ笑顔で送り出してくれた。
僕は彼がどんな声で笑うのか未だに知らないのに、僕は毎日大笑いしながら39歳になってしまった。
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