大河ドラマって楽しく見られればそれでいいと思ってるんですけど

自分は大河ドラマをよく見る方だ。
最初に見た大河は「武田信玄」。中井貴一が信玄役で、自分は小学校高学年だった。
これが面白かったので、その後も見続けた。

おもしろかった作品もあったし、いまいちだなというものもあった。
いまいちと感じると、見ない回があっても平気になったりして適当な見方になる。
でも時間をかけて作っているだけあって、どうしようもないなという作品は私の知る限り皆無だったと思う。

で、目下放映中の「光る君へ」。
まあまあ、というのが自分の印象である。
平安時代中期を取り上げたのは勇気あるな、という感じ。

この作品に限らず必ずと言っていいほど話題になるのが、「これは史実なのか」問題。
出来事自体の有無や解釈のほか、時代考証的にどうなの、というのもある。
「光る君へ」に関しては、専門家でもない自分でも、例えば親兄弟であっても成人した男女はあんなに易々と対面して話したりしないななどはわかる。

でも、だからなんだというのだ。

他の様々な大河でも、あんなことはありえないだのなんだの聞くのだが、そしてもちろんどんな感想を抱こうと自由なのだが、大河ドラマだからって何をそんなに史実通りであることを求めるのか、ということである。

でも、あまりにも著しい改変だと自分もちょっと、と思うかもしれない。
織田信長が本能寺で死ぬではなくて鴨川に身投げする、とか。
もちろん新しい史料が出てきたら話は別である。

そもそも史実どおりに作ろうとした場合、それは信頼性の高い史料ではっきりと裏がとれることしか描けないことになるが、そんなことしたらおよそ50回に及ぶドラマを作るのは難しいだろう。

…つまり「史実どおりか」を語っているように見えるけれど、「自分がイメージしているのと違う」ということを訴えているに過ぎないのではないか。
自分も含めた多くの人は一次史料に当たっているわけではないだろうから、イメージ自体が過去の先行作品によって作られているはずで、その作品が史実通りなのかと言えばおそらく違うだろう。

あるいは、よく知られた歴史上の人物の違った側面に光を当てることが制作意図にあるとしたら、当然「イメージが違う」ということにはなる。

自分は大河ドラマを「歴史的な人物や出来事を題材にしたドラマ」と思って見ているので、おもしろく見せてくれればそれでよいと思って見ている。
「光る君へ」でも、紫式部と道長が若い時からの男女の仲だったというのは、まあ多分ないな、とかましてや幼い頃市中で出会っていた、とかないな、と思って見ているが、そんなもんじゃないのか。
近年の大河でも、主人公の正妻とのロマンスがまずまず描かれるが、それだっておそらく創作だろう。でもよいではないか。
(個人的にはロマンスなしで結婚も当時そうだったんだからそれでもいいのではと思うけど、ダメなのかな)

2011年の大河「江」で、主人公の江が歴史上の重要局面に居合わせすぎだ、という批判があったように記憶している。
自分はこのドラマは18,19回目あたりで見なくなってしまったので詳細はわからないのだが、この時代のドラマで女性主人公というのが難しいから、「江がそんなに立ち会うのはおかしい」というのはそもそも描き方に別アプローチが必要だったということなんだろう。
「そんなに居合わせるのが不自然」と思わせるようなエピソードの構築の仕方だったのかもしれないが、主人公不在のシーンがあっても構わないだろうし(実際にそういう描き方はたくさんある)、群像劇風に仕立ててもよいだろうし。
つまり史実ではありえないことが問題なのではなく、実際にはドラマとして作り方に難あり、みたいなことなんだろう。
話は逸れるが、同じ田渕久美子の脚本でヒット作「篤姫」が2008年に放送されたが、世評に反し、最後まで見たけれどもそんなにおもしろかったかといえば甚だ疑問である。
第6回目くらいまでの、篤姫と肝付尚五郎との創作てんこ盛りラブコメ風味のあたりは楽しく見たのだが、時間が進み幕末の動乱期、江戸・京都・薩摩三箇所でのそれぞれの動きを同時に見せる段になると、それぞれの出来事の絡み合いが感じられず物足りなかった。

いろいろ書いてしまったけれど、そんなことありえん、というのは大河ドラマでもそれ以外のドラマでもあるわけで、その嘘をうまく吐いてほしいな、というのがドラマファンたる私の願いなのである。

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