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【歴史】享保の改革を調べてみた。

江戸時代の三大改革の一つ、享保の改革を調べてみた。
あとの二つは寛政の改革と天保の改革とのこと。

会話

A「御三卿って言うのがあってー」
0「水戸だっけ?」
A「それは御三家、御三卿は徳川吉宗が作ったやつで
田安、一橋、清水って言うのがあるよ」
0「へー」
A「吉宗と言えば享保の改革がアツい」
0(調べてみるか…)
0「暴れん坊将軍…!」

解説

享保の改革は当時浮かび上がっていた政治的・経済的な問題を
解決しようと徳川吉宗が頑張った政策のこと。
人事、法治、経済、実学とスキのない改革をおこなったみたい。
仕事しすぎだろ吉宗…まとめる方の気持ちも考えて!
でもすごい!よく幕府を立て直した!エライ!

公事方御定書

法典を作ったらしい。
罪刑法定主義なんてないから裁量と判例っぽいので罪が裁かれる世の中

小石川養成所

医療機関を作ったらしい。
なんと無料で使える。
でも、wikiみると盛況ってわけでもないのかな。
年間200人くらいの利用で8割が全快、1割が病死くらいの感じ。

町火消し

明暦の大火を経験して、
防災の意識が高まったようだ。
防災専門の人員を雇うって実はすごい改革なのでは。

目安箱

言わずと知れた徳川の政治の代表例、
目安箱を設置したのも吉宗だ。
それ以前は捨文と言う非公認の告訴や密告が
主流だったらしいが、
目安箱の設置により幕府に対してそれらが行われる世になり、
ある種の権力の集中を実現したようだ。
(でも目安箱って江戸だけにあったんじゃないの。地方は?)

通貨の改鋳

資金を作ったらしい。

新田の開発

当時手付かずだった土地の開拓を技術者を送り込んで行ったとのこと。
河川の流れを作るような工事が理解されたころのことらしく、
あるいみで技術革新による食糧生産力の向上がみられる。

上米の制

役務を緩和してやるから米よこせや。

所感

全体的に政治が上手。
実行できたのは人事でうまいことやったからみたいだけど。
政治も経済も放置もできて人心も理解できるとか
結構な人だな。
まあ、それも朝廷の後ろ盾があるから民が従うという
方式を強固に作り上げて維持している徳川の力なんですけどね。

注目するべきは、
完全にダメになってからではなくて回復する手段が
残っているうちに手を付けてよい方向に政治を動かしたという点だ。
不足をなくし、過分をなくせば余はうまく回るという事かね。
それにしてもよく人の心理とものの理を理解する人だな。
町人に交じって酒とか飲んでたのかなあ。
場内の周りに有能がいたようにも感じないのだけれども。
歴史の裏にあったかもしれない物語を想像することも
民に許された特権だもんね。
あと漢学だけじゃなくて蘭学が芽生えたのもこのころらしい。
規制緩和=自由の拡大=技術発展の構図をうまくやったんだね。
スゴイ!エライ!
現代においても学ぶことが多い事例なのではないだろうか。

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