朝焼けの時間が好きと言えるということ
「ねぇみて、空がこんなに綺麗」
夕焼けや朝焼けを眺めるのは、母の趣味だった。
また、そんな母と眺める夕焼けや朝焼けが好きだった。
次第に朝焼けや夕焼け自体が好きになった。
朝と夜が曖昧になり、
陽が落ちているのか登っているのか分からないような時間。
この10分や20分の限られた時間に感動して涙することもあった。
だが長い間、空が好きということを言えなかった。
「アピールだと思われたくない」
夕焼けが好きだというと、芸術肌みたいにアピールしているかのように思われるかな。
気取ったようにうつるかな。
変に思われたくないな。
そんなふうに思い始めたのはもう小学生に上がった頃だったと思う。
異色と見做された瞬間に刃が向くような環境の中では、思いを言葉にするよりも、空気を読むことの方が遥かに重要だった。
特に外では天真爛漫に振る舞っていたので、
その内面の繊細さは自分の外での振る舞いに似つかわないと思った。
朝焼けや夕焼け、空を眺めることが大好きな自分と、外でおちゃらけて振る舞い明るい人間と言われる自分。
どちらを優先するかでいうと、もちろん外側の自分だった。
朝焼けの心を奪うような景色はいつしか、自分の心の中だけの景色になった。
そんな自分を「それも自分だ」と思えるようになったのは、
そんな自分を「そのままで良いんだ」と思えるようになったのは、
繊細と外交性を併せ持つ特質を持った人が、
世界には5%いるということを知った時。
私はこれだ!!
と思ったのと同時に、
この繊細な自分を手放さなくて良いのだということにすごく安心をした。
この通勤の時間帯に見上げるこの素晴らしい朝焼けを、
いまは友人にも、会社の人にも、誰にでも「好きだ」と言える。
外で明るく振る舞う自分も、
朝焼けに心打たれる自分も、
全て同じ自分。
これで良いのだと素直に思える。
今日の朝焼けは、とても綺麗だ。
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