見出し画像

思想を持つ作品、銀魂(空知英秋は考えてるよ、という話をするから銀魂の誤解を解かせて欲しい【中編】)

前編では、銀魂はストーリー漫画であること、そして空知先生は各方面へ配慮しているという話をしました。今回は、銀魂のどのような描写から空知先生の考えが覗けるかについて、具体的に掘り下げていきます。

つまり、誤解2を解きたいということです。

銀魂はなんでもアリではありません。

銀魂には思想とルールがあります

では、その銀魂の思想とルールとは何か

思想:→人間をカテゴライズで分けない

ルール→悪い事は悪いと描く

これです。

本編ではこの銀魂の思想について語りたいと思います

人間をカテゴライズで分けないという思想を持つ作品、銀魂

人間って、色々なカテゴライズの仕方あるじゃないですか。性別とか国籍とか。空知先生はそういうカテゴライズに敏感な人だということは読んでいて非常に強く感じます。

銀魂で最も意識されてるカテゴライズは、やはり性別だと思います。空知先生にお姉さんがいる事が関係しているのかは分かりませんが、彼はフェミニスト寄りの思考を持つ男性なのではないでしょうか。

なぜならセリフやキャラの立ち回りを見ると、明らかに「日本には女性差別が根強い」「日本には(男女共に)ジェンダー役割を押し付ける風潮がある」という事を意識した上で、意図的に描写されている所が非常に多くあるためです。ではその例をいくつか挙げていこうと思っています。

①「漢」ではなく「侍」

気概がある人の事を「男でも女でもなく漢」って言う表現があるじゃないですか。でもこれって、読みとしては"オトコ"なんですよね。決して"オンナ"とは読まれない。

空知先生は一般的に「漢-オトコ」と表現されてきたものを「侍-サムライ」と表しています。

国語時点で調べると、侍は男性に限定されたものではなく、あくまで「主人に使える家来」という説明です。つまりニュートラルな性別なのです。

②婿入りが描かれる

今まで読んできた漫画やアニメ作品(とりわけ少年誌)での嫁入り描写は数あれど、婿入りを描いた作品がどれくらいあるでしょうか。銀魂では(全て未遂で終わるとはいえ)複数回の婿入り描写があります。

その1。さっちゃんが初めて出てくる回で、ワンナイトしたと勘違いした銀さんが責任を取ろうとする時、「こんな俺でよければ貰ってください」と婿入りしようとします。

その2。柳生篇ラスト、近藤さんが巨大ゴリラのバブルス王女に婿入りしかけます。(同様に、2年後の近藤さんとバブルス王女の結婚式)

"ジャンプ"で"10年以上前"に婿入りが当然のように描かれる事って、凄い事なんです。
もしかしたら、「銀さんは社会的地位低いしな」「バブルス王女と近藤さんさんだと王女の方が地位上だしな」と思う方もいるかもしれません。

しかし近年完結した長期連載のジャンプ作品であるNARUTOの一例を挙げます。私はNARUTO大好きなのですが、最終回において続々とカップリングか成立したこの作品でも、一組も婿入りした夫婦はありませんでした。
ナルトとヒナタの組み合わせでは里の名家の本家の長女である(つまり正真正銘の跡取りである)ヒナタが、うずまき家に嫁入りしています。
シカマルとテマリの組み合わせでもそうです。テマリは砂の国の姫ですが、隣国の一般家庭の奈良家に嫁入りしています。
もちろん、岸本斉史先生は悪意を持ってこのように描いたわけでは決してないでしょうし、彼のジェンダー意識が日本人男性の標準的なそれに対して劣っているわけでもありません。むしろ「強い女性を描く」ことにおいてナルトの連載が始まった当時では進んだ価値観の持ち主であったと言えます。ただ単に、日本では婿入りに比べて嫁入りの方が圧倒的にポピュラーであるため、結婚=嫁入りという描き方になってしまうのです。
どんなに女性の地位や家柄が良かろうが、女性が男性の家に入る事が普通だと捉えられる。しかし、銀魂では主人公である銀さんと、国家組織の長である近藤さんの婿入りを描きました。

また近藤さんの婿入りは、柳生篇の"承"にあたる、お妙さんが強制的に嫁入りさせられそうになって「私、みんなの元に帰りたい」と涙を流した構図と対になるように描かれています。
最後強制的に婿入りさせられそうになって「俺、みんなの元に帰りたい」と泣く近藤さんの結婚式を、かつて強制的に嫁入りさせられそうになった女性がぶち壊して救出しました。
ここでは「意に添わぬ結婚」を、女だけのものとしてじゃなくて屈強な男にも対応させて描いているのです。
よくある構図として、結婚式に待ったをかけるのは男性の役割ですが、ここではその男女が逆転しています。

「よくある」「普通」「セオリー」「テンプレート」
それをしっかりと把握した上でなければこの描写はできません。

もちろん、銀魂のジェンダー観についても所々首を傾げる所はあります。
例えば九兵衛がバベルの塔建設を阻止するのに男に惚れさせるのが有効だと考えるシーンなどです。
性的指向は育て方に依らない先天的な物であり、男に惚れる=女らしくなるとは限りません。

けれどそのように多少気になる箇所も、それはほとんど学問上の区分けや認識の話であって、結局

男も女もオカマもレズも年齢も生まれも職業も関係ない。お前はお前だ

という考えが根底にあるため、15年前の話を読んでも大事な所は踏み外してはいないのです。

銀魂のジェンダー観のあれそれは、女子キャラの月詠がボコボコに殴られたり、九兵衛が柳生篇の後も男装をし続け、同性への恋心を抱き続け、最終的に「男でも女でもない、僕は僕だ」というセクシャリティに落ち着く所とかそういう所に出てると思います。

少し脱線しますが、近藤さんって九兵衛のこと、九兵衛"くん"と呼んで、「結局女だし」という素振りもなく当然のようにライバル視しますよね。近藤さんは気を使ってあえてそうしてるのか、自然にやってるのか、おそらく後者です。近藤さんと桂の九兵衛への対応って九兵衛の事を凄く尊重していて素敵だなと思います。

③ジェンダー役割を描かない

以上のことを踏まえてお分かりのように、銀魂って徹底的にジェンダー役割を描いてないんですよね。
ジェンダー役割というのは、社会が性別によって与えた役割の事です。例えば女性の仕事は家事育児で男は仕事、といった事。

けれど銀魂は、女子を「飯炊き係」として描かないんですよね。例えば神楽は「家事するから置いてよ」という経緯で万事屋に住むことになってとおかしくないんですよね、ポジション的に

けれど銀魂はそれをしませんでした。どころか、神楽もお妙さんもさっちゃんも月詠も九兵衛も、女子はみんな料理が苦手です。そして男の新八銀時近藤が料理上手という設定。けれど、万事屋の料理当番は平等に当番制。銀魂の連載が始まったばかりの当時、男2人女1人という男女比の組織で「料理は当番制」と描ける作家が一体どれほどいたことでしょう。

あとは銀魂では子供の世話を男性もします。これは日輪さんやお妙さんミツバさんもやってる事ですが、道信、銀さん、西郷さんといった屈強な男たちがやっている様子が描かれました。

しかも、男が家事育児をすること自体は一回も茶化したことがないんですよね。
どころか沖田のセリフ「女は腹抱えて子を産む その分男は頭抱えて子を育てるのが筋ってもんでさァ」にあるように、男性も子供を作った責任として、当事者として子供を育てるべきだと論じています。

15年前に、当時28歳の男性が、女性と同等レベルの男性の家事育児描写を少年ジャンプでさらりと描くという非常に革新的な事を、実は銀魂は成し遂げているのです。

仕事面でも、銀さんは月詠に「結構貯めこんでんだろ」と言ってるし、信女は警察組織のNo.2ですし、こういう風に高給取りで管理職の女性を普通に描いています。他にも、火消しの辰巳や鍛冶屋の鉄子のように、所謂"男性的な"仕事を行う女性も描かれました。これらの事から銀魂の世界のジェンダー観は、今の日本よりも進んでいると考えられます。
それでもエピローグ篇(2年後篇?)の銀魂の世界はまだ「男尊女卑」の世界として描かれています。
信女の「つくづく女を舐め腐った国」というセリフから、空知先生は銀魂の世界をそのように認識している事は確かです。
確かに、吉原の実権は神威に、国の実権は将軍に、真選組見廻組のトップも男、つまりNo.1は皆男性でした。
そして新しい江戸では、吉原の実権は月詠、国のトップはその姫、警察のトップは信女というように、女性がNo.1の立ち位置に着いている様が描かれました。
国を動かすのが男から女に完全に変わったのは少々やり過ぎかもしれませんが、今まで男性ばかりが国を動かしていた銀魂の世界で、その反動のように女性が上に上に立ち、その後徐々に男女半々くらいの割合になっていくのではないでしょうか。

以上の事から、まず空知先生のジェンダー意識やフェミ意識はめちゃくちゃに高いことがわかると思います。

もし彼の意思が日本の標準的な男性のそれであった場合。神楽はきっと万事屋の飯炊き係になっていましたし、信女から「つくづく女を舐め腐った国」なんてセリフは出ませんし、新しい江戸でも管理職は男でした。

一切の悪意なく、そういう風に描かれてたと思います。

さて、人間のカテゴライズといえばもう一つは人種です。

銀魂の世界には人種差別が存在します。

『お前それでも人間か、お前の母ちゃん何人だ』は真正面から人種差別の歌ですよね。昔は割とアウト、くらいでしょうが今は絶対的にアウトです。(流石にこのネタに対しては今では違和感を覚えます。)

他にも、銀ノ魂篇で神楽やキャサリンいざ万事屋の外から出たら、差別的扱いを受けてたじゃないですか。
あの描写は銀魂の世界の綺麗な部分だけじゃなくて、人の弱さとしてそういう一面もあるんだよって意味だったんじゃないかなと思うのです。万事屋はそんな人の弱さを払底してたからこそ差別的な面を今まで読者に見せなかっただけで、あの世界には人種差別はあるのです。

けれど、空知先生は天人である神楽や神威、星海坊主、キャサリン、ロボットのたまや金時の事も"侍"だと描写しました。

特に銀ノ魂篇の虚との戦闘の中で誰よりも"侍"だったのは次世代の新八と天人の神楽でした。
江戸のはずなのに、天人の神楽が侍なんです。物凄くキーパーソンなんです彼女は。地球人じゃない、人間でもない彼らを人種で分けず、

強い信念を持っているものは性別や人種に限らず「侍」である。

として、移民族への差別意識や、多様性への受容の必要性を描いています。

だからこそ実写の「天人なんぞと手を組みやがって」という銀時のセリフはめちゃくちゃに解釈違いでした。

以上、私が銀魂という作品から読み取った空知先生の思想でした。もっと細かい思想は随所に転がっていますが、今回は大きくジェンダー、人種という観点て語らせていただきました。

「空知そこまで考えてねーだろw」と揶揄される銀魂ですが、あの作品はゴリゴリに思想が描かれていると私は考えます。むしろ私は銀魂を空知先生の思想を浴びる作品として見ています。

次回は銀魂のルールについて。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?