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パラサイト、下から見るか?上から見るか?

去年の年末に公開された話題の韓国映画「パラサイト」をようやく見てきました。公開から3ヶ月程度経過しているので、早く見たわけでもなければ、まだ見ていない人もいるので遅すぎることもない。熱狂的に映画を好きでもなければ映画嫌いでもない、「普通」の人。一億総中流の名に恥じぬ普通。映画パラサイトは、中流階級の両隣にいる「富裕層」と「貧困層」の構図を主軸に作られている。

この映画は有名な映画賞をはじめ至る所で評価されており、確かに普通程度に映画が好きな自分にとっても「何か凄い」とわかる程度だった。しかし...

“半地下住宅”で暮らすキム一家と、“ 高台の豪邸”で暮らすパク一家。この相反する2つの家族が交差した先に、想像を遥かに超える衝撃の光景が広がっていく——。
映画「パラサイト」 ストーリー

※多少のネタバレを含みます。

映画に対する感想が分からない

上映終了後、自分にとってどんな言葉が感想として適切なのか分からなくなった。まるで迷路に入ってるようだった。

格差社会を問題視するのも違う気がしたし、冷静に映画としての表現を分析するのも違う気がした。カメラワークが〜とか、上と下の位置付けが〜とか、表現方法に言及して満足する事で、メッセージから逃げたがっているのではないかと思ったからだ。

そう考えてみると、自分が社会問題を生む側としての面を持ち合わせてるとは思いたくなかったんだと気付いた。

社会問題を認識、登場人物に共感、演出を理解…そういった行為をする事で、自分も何かを分かってる風になってはいけないと無意識に思わされていた。それくらい凄い映画だったんだろう。

とは言え自分が富裕層とは思わないし、貧困層とも思わない。
いわゆる普通の人だと思っている。それでも、映画を見て富裕層側の側面を持つと思った。

富裕層は普通じゃないのか?

ここで、映画ではどのように人物像が描かれているか考える。

裕福パク家の人間は貧困キム家に対して、客観的に見て普通に接している。というか映画中では、一家という事に気づいてすらいないし、貧乏とも知らない。

パク父は運転手であるキム父に関して、本人のいない所で不快な臭いについて言及するが、「それもキム父が持つ要素の1つ」と言う程度。格差に感づいたからと言って態度を変えることもない。他者に対して言う事と言わない事をわきまえている印象だった。

相手のいない所で悪く言うのはキム一家も同じだし、やっている事を考えるとキム一家の方がよっぽどヤバイ。

富裕層に対してスネ夫みたいな性格の悪さは全く感じなかった。むしろ良心的ですらある。

映画で一番象徴的だった格差は「臭い」である。
ただ、パク一家は匂いに対して「貧困層のそれだから」嫌悪感を抱いたのではない。「単純に不快だから」嫌悪感を抱いたのだ。

パク一家が持つシンプルな嫌悪感について、心当たりがある。

テレビ番組で見たことがある「現地の御馳走を食べたくない」やつだ。現地の人を明確に差別してはいないが、単純に虫はあんまり食べたくない。しかし、そういう反応はもしかしたら格差を感じさせるかもしれない。
(ちなみにサソリはおいしくなかった)

パク一家の大人が持つ嫌悪感の感覚はそれに近いのではと思った。ともかく、僕にとってパク一家は金持ちではあるが異常者ではなかった。普通だった。

僕たちは貧困層?富裕層?

富裕層が普通だから、そしてその普通に共感できたからと言って自分も富裕層という事はない。

ところで冒頭で触れた「一億総中流」とは何かを調べてみると、wikipediaにこうある。

大多数が自分を中流階級だと考える「意識」を指す。
一億総中流 - wikipedia

「自分は普通だ」と思う意識のことをそう言うらしい。実際どうかとかではなく、意識の問題。

確かに、「あんなにお金持ちじゃないし」とか「贅沢言ってられないしなぁ」とか、金銭的な不足を感じて生きているが、特段状況が悪すぎるとも思わない。そう考えてみると結局、「普通」なのだ。

意識の中にある階級と言うのは相対的なものと考えられる。自然と上を見て「自分は富裕層ではない」と思ってしまいがちだが、一方で無自覚に誰かにとっての富裕層になり得る。

格差も色々

無意識に富裕層になりうると言った。さらに言えば、格差というのは別に所得に限ったことではない。他者に対してあらゆる差を感じる事はある。

個人的な話をすると、「自尊心が低い」事は最近なんとなく気になっていた。自分より出来る他人ばかりを見て、「あぁなんて出来ない人間なんだ...」と思う。

ただ、上述した内容に沿って考えると、他人に対して羨ましい感情もあるが、壊滅的に能力が低いとは思っていない。いくらかできる事はある。そう思うと、またしても自分は「普通」だと感じる。

個人差の凹凸

個人差について、凹凸に例えることがある。

凸凹な面を想像して欲しいのですが、上から見下ろせば低い平坦な更地に見える。下から見上げれば、高原に見える。

同じ凸凹だとしても見方によって、どうとでも解釈できる。
絶対的な評価なんてない。みんな解釈し放題だ。もはや見方すらなんでも良い。

先に挙げた自尊心に関して、自分の能力不足に起因していると思っていた。
しかし、解釈によって能力が高いか低いかは変わる。

そう考えると、自尊心を普通に持っても良いのではないかと思える。
自尊心とは、大それた資格ではなく、見方の問題でしかない。

見上げてばかりいないで、真横から凹凸を観察すれば、気が楽になるかもしれない。
見下ろしてばかりいないで、真横から見れば、謙虚でいられるかもしれない。

いつもと違う考え方をするのは、痛気持ち良い。心のマッサージになる。

パラサイト、下から見るか?上から見るか?

所得格差に関する映画ですが、「普通」「格差」というキーワードで感想を展開した。
パラサイトという映画を見て感想に思いを巡らせていくと、自分の中に現れた新しい視点と、今後の自分や他人との関係に変化の兆しを感じることができた。

自分がなんの観点において、富裕層であり貧困層なのか。それによって、目線の高さが変わってくる。どれか1つが優れているからと言って、全ての分野で誰かを超える事もなければ、逆も然り。

皆さんはパラサイトという映画、どの高さから見ますか?

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