×数字 ◎人間

感染者二桁に減り良いほうのニュースにカウントされる人たち 俵万智

この短歌を読んでハッとさせられた。

コロナが流行り始めた頃は、数人の感染者でもたいそう恐ろしく思えたのに、爆発的に流行してその数字が増えれば増えるほど実感が持てず、増えたり減ったりするその数字をぼんやり眺めていた。いま第何波だっけ。緊急事態宣言とかまんぼうとか、何が何だか。非日常はものすごい勢いで日常になってしまった。だからこの短歌にあるように、感染者数がぐっと減った時には「良かったねー」とのんきに思っていた。

流行に落ち着きが見えたという点では確かに良いのかもしれないが、人数が多かろうと少なかろうと、誰かが病気にかかることはまったくもって良くない。命を落とす可能性だってある。もし自分や身近な人が感染して、こんなふうに「良いニュース」として扱われたら「何も良くないんですけど!?」って気持ちになると思う。

単なる数字として見ているから、まるで体重が減ったかのように「感染者数が減って良かった良かった」なんて思ってしまっていたけれど、その向こう側には死と隣り合わせになっているかもしれない患者さんや、その家族友人、治療にあたる医療従事者の方などがいるのだ。

非常事態で摩耗し、どんどん感覚が麻痺していく中でも、そのことを忘れず短歌として作品に昇華した俵万智さんはさすがだなと感動する一方で、コロナとはまったく関係の無い同人活動について思いを馳せた。これもまた、「数字」の話である。

同人(二次創作)界隈では「せっかく作品を生み出しても、全然RTや感想がもらえない」といった類の悩みが散見される。正直、気持ちは分かる。ものすごい絵がうまかったり、おもしろいお話がぽんぽん作れたら、たくさんの人に認めてもらえるだろうなあ、とか、あの人またバズってていいなあ、とか。特に才能のないわたしは思ったりもする。

才能がある人でも、ジャンル自体に人が少なかったり、対抗カップリングがものすごく人気だったり、様々な要因でなかなか反応が来づらいケースもある。また、傍から見れば充分すごいのに、自分の期待よりは下回っているからと落胆する人もいる。

けれど先程の感染者の話に当てはめて考えてみると、たとえ数字が多くなくとも、その向こうには確かに誰かがいる。顔が見えなくても、声が聞こえなくても、生きている人間がいる。生身の人間が貴重な時間を割いて自分の作品を楽しんでくれて、しかもわざわざ反応までくれている。たとえ1人でも、それってとてもすごいことじゃないだろうか?

それよりもっと増えたとして、20人なら野球ができるし、40人なら学校の1クラスだし、100人いたらイナバの物置の上にみっしり集まるレベル。

数字だけだと味気なく思えても、「人」として数えたらめちゃくちゃ多いと感じませんか。私だけかな。いや、そんなことないと思いたい。

私自身ブログをやっていて、アクセス数は平均して20~30/日くらい。プロのブロガーさんは1日に何千人ときているから決して自慢できるような数ではないんだけれど、自分ではすごいことだと思ってる。毎日コンスタントに、それだけの人がアクセスしてくれているんだ。このすごいというのは別に「私の記事がすごいんですよドヤァ」っていうのじゃなくて、世界中の人と繋がれるインターネットはすごいなーという意味合いです(私が書くのは日本語の記事だから基本国内だろうけど)。

もしインターネットがなかったら、毎日20~30人が私みたいな素人の書いた文章を読みに来るなんてありえないので。インターネットは匿名で利用できるしなかなか画面の向こうの存在を感じられなくて、だからこそ誹謗中傷で溢れたりもするけれど、その向こうにはちゃんと人がいるんだな、と思ったら結構見方が変わって。それに気づかせてくれたのが俵万智さんの短歌でしたよ、という話でした。おしまい

追記
ブログ更新滞っていたのは読者が少ない……と落ち込んでいたわけではなく(むしろいつも読んでくださる方、ありがとうございます)単純にやることが多くて手が回らなかったからです。3月中に何本かあげたい……。

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