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『ユービック』を読んで思い出した別離と罪悪感

こんにちは!
「文学を語ろう」で読書会を開催している運営のこもです。

3月6日の読書会ではフィリップ・K・ディックの名作『ユービック』を取り上げました。

ディックは「ブレードランナー」「マイノリティリポート」「トータルリコール」など多くのSF名画の原作を手掛けた作家。
「SF小説」は苦手ジャンルだったのですが、非現実的なシーンも映画のようにリアルにイメージさせる文章力と驚きの展開で非常に楽しく読み終えることができました。
なにより、この小説が1969年に書かれていた、ということが一番の驚きです。
読書会もディックの描くモチーフの意味や特徴など、さまざまな分野に話が流れてとても楽しかったです。

ただ、読書会のあとに改めてこの本を振り返ると、私の心に湧き上がってきたのは遠い昔に経験した別離と罪悪感でした。

ディックには生後40日後に死んでしまった双子の妹がいます。作品に出てくる「半生人」のエマは、この妹を投影しているのではないかと思いました。そして、それはディックの妹に対する罪悪感のようにも感じました。妹が死んだのは自分のせいではないけど、妹が自分の犠牲になって死に、自分が生き残ってしまった、という根拠のない罪悪感があるんじゃないかと。

わたしの子供の頃の写真に一枚だけ、子犬と一緒に写っているものがあります。しかし、アルバムで初めてその写真を見つけた小学生の頃、わたしにはその子犬の記憶がまったくありませんでした。
「この子犬は?」と母親に聞くと、
母は「ああ、コロちゃんね」と言って、幼い私がもっていた子犬のロープをうっかり手離したときに走り出してしまい、運悪く車にひかれてしまったことを教えてくれました。

わたしにはコロちゃんとの思い出も、死んでしまった悲しみもまったくありません。ただコロちゃんを死なせてしまった罪悪感だけがぼんやりとずっとお腹の底にあります。

自分が意識せず犯してしまった罪は、つぐなおうにも償えない。ただ、ぼんやりとした対して重くもなく、だけども軽くもない罪悪感だけがある、不思議な感じです。

コロちゃんのことはめったに思い出さないのに、読書会の準備のためにディックのバックグラウンドを調べ、『ユービック』を読んだら、ふっと湧いて少し胸が痛くなりました。
この痛みは死ぬまでずっと消えないだろうと思うし、きっとディックも同じだったんじゃないか、なんて考えています。

さて。
「文学を語ろう」では、毎月第1月曜19時30分から読書会を開催しています。次回は4月3日、課題本はジョン・ウィリアムズ『ストーナー』です。「正解」を求めるのではなく、文学を通じて生まれた感情をだれかと語り合いたい、そんな方にぴったりの読書会です。
ぜひ遊びに来てくださいね!

ではでは~。
こも

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