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ムステリアン

 ムステリアン文化とは、ヨーロッパにおける中期旧石器時代人が有した文化でフランス、ドルドーニュ地方にあるル・ムスティエ遺跡が発見されたことにちなむ。7万5千年前から9万年前までに発生し、40000〜35000年前頃まで続いた。

石器
 ルヴァロア技法による石器製作を特徴とし、典型的なものは、あらかじめ円盤状に整形したルヴァロワ型石核から定型的な剥片を作出するとするものである。

分布
 主に北アフリカ、ヨーロッパ、近東でムスティエ文化の痕跡が見られるが、シベリア、アルタイ地方までその分布が見られる。

ムステリアン論争

1980年代以前

 ムステリアン期のネアンデルタール人の社会とそれ以降に登場した上部旧石器時代(後期旧石器時代)の社会とは本質的に異なっていたのか、あるいは基本的に同じであったのかという問題が広く論争を巻き起こしてきた。当初、両社会間はほぼ全領域にわたって異なっていると考えられており、上部旧石器時代には、新人がネアンデルタール人に取って代わり、剥片よりも石刃を主体とする技術を導入し、骨、歯牙、角を道具の材料として広く使用し、そして、個人の世界を芸術を通して概念化したと説明された。
 R・デネル(1995)は1983年の段階で「ムステリアン論争の泥沼」と題して現状を次のように分析している。

侵入してきた新人集団にネアンデルタール人が取って代わられたこと、中・西部ヨーロッパの上部旧石器時代最古の石器群はムステリアンを基盤に発展をとげたものとみられること、石刃石器群は中部旧石器時代層からも知られていること、そして、動物相の証拠からは、生業戦略が中部旧石器から上部旧石器への移行に際して大きく変化したようにはみえないこと、これらのことは、すべて確定した事実ではないのである。洞窟壁画と彫刻だけが、上部旧石器時代に特有でムステリアン期にはない基準として残っているにすぎない。
R・デネル〔先史学談話会訳〕1995:99-100

1980年代-1990年代
 デネルはムステリアン論争の問題点を次のように指摘し、新たな見解を示している。

 これらの意見の主な欠点は、「なに」を狩っていたかということに重点をおきすぎ、食物や他の資源が「どのように」入手され、使用されたのかということをほとんど考慮していない点である。繰り返しいうが、更新世の生業についての動物相の証拠は、それを生み出した行動戦略というもっと広い脈絡において考えられなければならない。行動戦略は、ソフトの面でもハードの面でも、技術の使用を通して機能するのであるから、ムステリアン期と上部旧石器時代の技術の違いをある程度細かく調べることから始めるのが有効である。
R・デネル〔先史学談話会訳〕1995:101

 この指摘は、安斎正人氏のいう「モノ」から「コト」へというパラダイム転換と同様な立場にあるように思われる。「どのように」という考古学的研究はかなりある。
・道具はどのように製作されるか
・道具はどのように使用されるか
・食糧はどのように調達されるか
・文化はどのように伝承されるか
・環境へどのように働きかけるか
など...。
 デネルは、上部旧石器時代には、道具が製作される際の「工程」数がかなり増えることに着目し、ネアンデルタール人と新人の技術の決定的な違いをなしているという自身の見解を示している。

ムステリアン期(そして、それ以前)の技術は基本的に「即席的」なものであり、短い一工程の作業を繰り返している。それに対して、3万年前以降の製作物は構想から完成にいたる間にいくつかの製作工程を含むことがしばしばある。この両技術の違いは、加工される原料の「種類」の違いというよりもむしろ必要な技術と工程の「数」にあり、さらに一つの道具を作る際、最初にデザインしてから製品を完成させるまでに必要な概念化の度合にあるといえよう。
 これらの解釈は、なぜ骨や歯牙、角が上部旧石器時代以前にはほどんど使用されていなかったのかを説明する助けとなるだろう。すなわち、一工程だけの作業でそれらの材料から道具をつくろうとしても無理なのである。たとえば、木の枝をみて、そのなかに槍を「イメージ」することは誰にでもできるし、実際、わずかに枝の形をかえるだけで槍をつくることもできる。しかし、角の断片から作る逆刺のついた尖頭器のようなものは、別々の作業を順々に行うことなくしてはつくれない。こうした問題は主として知力に関わるものである。
R・デネル〔先史学談話会訳〕1995:106(筆者強調)


近年の動向
 昨今、2022年12月、スバンテ・ペーボ氏が古遺伝学の分野でノーベル生理学・医学賞を受賞したことで話題となったが、近年のゲノム研究の飛躍的な進展により、現代人はネアンデルタール人と一部交配をしながら拡散していったことが分かってきている。このことでネアンデルタール人に対する認識が大きく変わりつつある。
 石器研究においては、デネルも指摘するようにかつてより両文化は連続的に移行していったという見解が指摘されていた。つまり、ルヴァロア技法と石刃技法は、その移行期にあっては両要素の流動性が認められていた。後期旧石器時代初頭 Initial Upper Palaeolithic(以下 IUP)の石器群は、ルヴァロワ方式の要素を組み入れた石刃剥離技術に特徴づけられるインダストリーをもち、IUP石器群および類似した石器群は北アフリカから東北アジアに広く分布することが分かってきている。日本では2020年に長野県佐久市香坂山遺跡においてIUPに類似した石器群が発見され、列島への人類流入プロセスを考える上で大きなインパクトを与えている。
 このように見ていくとネアンデルタール人が新人に交代していった要因は、ますます知力に帰するものではなくなってきているようだ。そして、DNAと文化をどのように認識すれば良いのかという本質的な問題が浮かび上がる。確かに、ネアンデルタール人伝統としてルヴァロア方式と新人伝統として石刃技法が存在するのであるが、この相違がDNA(知力)に決定させられたものであるのかは改めて考えなければならない。文化とは結果的に人種的な分布と同じ範囲に広がっていることもあるが、両者に因果関係はない。アメリカ人の夫婦の赤ん坊を田舎暮らしの日本人の伝統的な環境で育てたならば、その子供は日本人というべきである。現今の研究者がまず恐れているのは、もし、ネアンデルタール人が新人と同等かそれ以上の知力を備えていたにも関わらず、新人よりも劣った存在として差別的にあつかってしまうかもしれないということだ。ネアンデルタール人の子供が現代社会で育てば我々となんら違わず複雑な言語を習得し、スマホを使いこなすようになるかもしれないという言説すらある。今後、ムステリアン論争は、研究者の置かれる社会的な立場に大きく影響を受けかねず、本質的な議論を避けるかたちで大きな潮流をなして展開していくかもしれない。今後の動向に着目したい。

引用文献
R・デネル〔先史学談話会訳〕1995『経済考古学ーヨーロッパ先史時代の新しい区分ー』同成社

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