過去の存在論
私は常々、「過去」とは何であるかと考えてしまう。ある出来事が起こってから時間を経るにつれて、 私のなかで過去の出来事は様々に変容していく。それはもう事実ではない。
部活動の監督に殴られたのは私を見込んでくれているからだと良い方向に受け取るか、 ただの暴力だと受け取るかで過去の解釈が二極化する。そして当事者の救いになるのは前者であり、境地に追い込まれているほど、被害者は自分を洗脳させることに成功する。彼らは社会人になっても監督に恩義を感じているという。とても幸福そうに見える。だから私も彼らの前でそれを否定はできない。彼らは素直に自身の非を認め、殴られたのも当然だとい う。だから、過去に何の恨みも残していない。多くの人間にとって、パーソナルな過去は負の記憶である必要はない。
ここに問う。過去や未来という概念の存在論的な意味は何なのか。
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