価値観を「認める」とは何ですか


コード
パターン1:  →/
パターン2: →←
パターン3: →→

パターン1: 相手の価値観を一応尊重しているが、特に反発も同意もせず、関係を断つ。
パターン2:相手の価値観に反発する。本人に直接反発する場合。
パターン3:相手の価値観に同意し、受け入れる。

私は何が正しいのか分からない。一般に価値観の多様性を認めることが良いというような風潮があるが、認めるとはどういうことなのか、私には分からない。
すべて相手の価値観に合わせることは自己の価値観を尊重できていない。かと言って反発せずに関係を断つのも問題の解決になっていない。しかし、反発することは自身の価値観の押し付けになってしまう。
 こうした場合、どのように問題を解決していったらよいのだろうか。対話を続ける意思があることが重要なのか、価値観が違うから関係を切ることはお互いを尊重する最善策なのだろうか。

そこで私は考えた。そもそもそのような人とそのような話をしなければならない状況になった経緯は何かと。遡ればことの発端に行き着く。そこに根本的な責任があると考えてはどうか。人とトラブルを起こした時点よりもその人とトラブルにならなければならなくなったのは誰の責任なのかと。それは自分ではないのか。
違う価値観は根本的に認められないからこそ、そうした価値観を受け入れざるを得ない、受け入れることが正しい考えて何とかしようとしている時点で無理がある。自己性とは差別化から確立するのだから。その差別化が極端に表に出ない程度の距離感で人と関わる臆病さが必要だと思う。

ケーススタディ
結婚生活で相手が浮気をしたとする。その責任は誰にあるのか。本当に浮気をした人なのか。その人と結婚すると決めた浮気をされた人には一つも責任はないのか。そもそもそのような人と結婚すると判断した自分にも責任があるのではないのか。そうでないという人は、強制的に結婚させられたのか。そうではないのならば浮気をされたのことに憤慨して離婚するというのは自身の過去の判断の過失と無責任さを曝け出しているようなものだと思うのだが。結婚したら浮気はダメでしょという正論はつまらないからやめましょう。それが分かっていたら困る人がなぜこんなにいるのでしょうかと考えましょう。それよりも対策ができていたのか、実は浮気に対する価値観の違いで対立したのかもしれないではないか。
浮気が嫌なら結婚する前に浮気をしたら自分子供が一生暮らしていける金銭を払い続けると個人的に取り決めをしておけば良い。しっかりと対策を打っておけばどっちに転がっても良い結果になる。
約束しておいて破る行為はダメだというのは、それは筋が通っている。そうした話し合いもせずに結婚して浮気されて悩むのは自己の判断を軽んじている。

まとめ

私としては、
異なる価値観を認めるというのは、特に認めていなくても認めているよ、という当たり障りのない距離感が保てている場合に限り可能であって深い関係性における価値観の衝突は致命的なので対策を打っておくのが肝要です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?