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作品に対しての考察  その1

20代、作品とは何か?を毎秒考えていた。
ソンタグの写真論を中学生の時にわからずとも読んでいた僕は、作品について畏怖の心のようなものが染み付いていた。
記録と作品の違いから作品とはどんな人が撮るのだろうとおもっていた。
記録は誰にもできるが作品とは?出てくる多くの写真家と自分はあまりにレベルの差があって追いつかないものだと思われた。
立場やスタンスが作品を作るので自分にはできるわけはないと、そこで完全に作りモノの世界、広告写真を目指した。
80年代、このように考えた写真少年は多かったのではないか。
現在のように写真集も書物も検索できない時代、先輩たちが使うこれは作品ではない、という言葉がどれほど傷ついただろうか。
しかし今から思えば納得である。
僕の写真はどの文脈にもなかった。新しく学んだものを表現するだけ。それも表面をなぞるだけ。
写真学校や同世代のウケ狙いの写真は作品といえるのか、今でもそう思う。

1983年、イタリアに撮影旅行に行った。ベニスのカーニバルである。隠された顔の裏に興味を持った。
その写真は翌年、日本カメラで5ページにわたって掲載された。しかし、僕の捉えたものは表面的に過ぎないと感じていた。
その時、パルコで 砂丘”の展示が行っていた植田正治さんに雑誌を見せに行った。
“憶えていますよ、梶原さん(当時の編集長)が見つけたのですから大したものですよ”と言ってくれた。
その時も質問した。”写真が作品になる瞬間はどんな時なんですか?”
氏が何を答えてくれたかは失念してしまった。
僕は朝起きて毎日サン・マルコ広場にいく途中、お気にいりの店でピザを買い、食べながら歩いたこと。
氏はウンウンと言って聞いてくれた。それだけ。

時間は経って2017年
植田正治さんの生家に招かれた時、氏の撮影したスペインのプリントを見ることになる。
”音のない記憶”という写真集の原版である。
試行錯誤の跡が見えるプリント。それはロバートフランク的な異邦人の目をもった旅日記のようだった。
”写真が作品になる瞬間っていつなのですか?”
僕の問いが35年ぶりに解けた気がした。
その時に教えてもらったのだが僕がわからなかったのかもしれない。
作品は撮りに行くものの途中にあるのかも。
作品を撮りたいという気持ちを作品にした方が良いのかも。漠然な思い。


答えになっていないかもしれない。
作品はその人の立場、スタンスの中にあるのとも。

当時の雑誌のセレクトを見ると、僕がここぞとばかりに撮った形式美ではなかった。
メイプルソープや当時のファッション写真を意識していたが、梶原編集長のセレクトは旅の情感を伝えるものになっていたことを思い出した。
二十歳そこそこの若者が見た精一杯の世界がそこにあった。

21歳の時の僕の初めての作品だった。


引っ越しの後、その時の作品が出てきたら写真をあげようと思います。

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