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『ジョーカー』と世界に一つだけの花

どうも、モトタキです。もちろんのこと、ネタバレなんて何も気にせず書いていきます。

今回、書きなぐるのは話題作と呼ばれ、そして問題作ともされる『ジョーカー』。もはや言い尽くされたような作品であり、逆に言い尽くすことのできない作品だ。自分が受けた衝撃を届けることにしたい。映画のどこまでが真実かを当てるゲームに参加してはいないので、それを求める人は回れ右でご容赦を。

それにしても、この作品の面白さというか、視聴した人の感想が分かれる傾向こそ、話題になる第一の要素だろう。

バットマンのダークナイトの系譜にあるという人もいれば、ダークナイトのジョーカーとは別人の「はじまりのジョーカー」だという人もいる。あるいは、これは完全にシリーズから切り離された作品だと感じる人も。

作中のアーサーの言葉にもあるように、「主観を自覚させる作品」ゆえにこうも様々な意見が生まれるのだろう。少数派であればあるほど、負け組であればあるほど、そして自分がそちら側の人間だと自覚していればいるほど、共感は高まっていく。そうすると、どんどん、作品の見え方も変化していく。

ジョーカーは、自分の中にジョーカーを生み出す作品とはちょっと違うのかもしれない。ジョーカーは、自分の中のジョーカーを自覚し、その感情に名前をつけてくれる作品なのだと言いたい。最初からジョーカーが居ない人にとっては、ただの湿っぽい映画に見えるかもしれない。それはとても幸せなことだ。マジョリティなんだろう。電車の中で女性にポテトを投げつけ、音痴な歌を歌った、あの人たち側なのだろう。だったら、よっぽど退屈な映画に感じたはずだ。

つまり、これは『シン・ゴジラ』や『マッドマックス』のような、一つの衝撃を体験して、みんなで語り合う類のものではないのだと思えてくる。ひとりひとりのジョーカーを持つ人たちが、そのジョーカーがどんな姿をしていたのかを、わかる人同士でこっそりと見せ合うような作品なのだ。

というか、そうしないと危ない。もし、ジョーカーが存在しない人と一緒に見に行こうものなら、ジョーカーを自覚した人にとっては、こう、なんていうか、綺麗な花を咲かせてもらいたい。そんな気持ちになってしまうからだ。だって、もはや、自分にとっての、ジョーカーにとっての、上層民にしか見えなくなってしまうのだから。

この『ジョーカー』には、幾つもの名シーンがある。細かな演技もある。僕はいつもどおり、初見一発で拾えるだけ拾ってから書くスタイルだ。二回目以降の視聴で見えてくるものもあるのはわかるが、書き残しておくのは初体験で生まれたものにしておきたい。

ぼくは、やはり覚醒の後が好きだ。覚醒をどこにするのかは難しいが、TVショーに出ているあそこだ。スタータレントに呼び出され、本来なら舞い上がる。だがジョーカーはキレている。その理由は、「笑いものにしようとした」のに気付いたから。

他人から見れば喜劇だが、当人にとっては悲劇である。踏みつけても気にもしない人たちが、自分の体の上に伸し掛かり、苦しむ姿を見てはニヤリと笑う。歪んだ笑み。本当の悪は誰だって、そりゃあもう、こんなマウント社会そのものに決まってる。

なあ、今は誰も彼もがマウントを取りたがる。それで笑顔になろうとしてる。なんなんだ、この世界は。上層は下層を踏みつけて笑う。それだけじゃない。下層の人間も徒党を組んで、同じ層の人間の足を引っ掛けて転ばせて完膚なきまでに蹴り尽くす。

果てには、唯一の肉親の母親が自身に脳障害を負わせた第一人者だと知る。見知らぬ父親や、父親候補も、全てが否定をしてくる。薬を求めれば、国が打ち切る。カウンセラーは話を聞かない。誰も自分を見やしない。誰もが自分を利用してる。誰もが、自分の不幸で生活を成り立たせている。

そこで成功体験が頭によぎる。いや、ずっとわかってた。それが成功体験と呼んでいいかどうかを迷っていただけだ。ヒーローになるつもりはなかった。

いつものように他人の嫌な場面に居合わせて、いつものように自分の嫌な笑い出す病気が発症して、いつものように誰かが自分でストレスを発散しようとした。そしたら、たまたま同僚から銃を渡されていて、たまたまそれを撃ってしまって、たまたま警察に捕まらずにすべてを殺すことができた。

不幸しか重なっていない。だが手に入れたのは幸福だった。光だった。自分を雁字搦めにした鎖はこんなにも脆かったのか。何故だろう。馬鹿らしくなる。笑いが込み上げる。そう、つまり、自らも笑う。全て悪だ。悪は滅びる運命だ。なら、好きに滅ぼしてしまえばいいんだ。

悪が滅せられていくのはなんて綺麗なんだろう。全員燃えてしまえば、それで満足なんだ。だって自分には何もない。憧れていた職業も、憧れていたのかどうかもよくわからない。そもそも、才能が足りてない。これがないと、辿り着けるはずもない。

同僚も信じられない。唯一は、優しくしてくれた、誰も傷つけることができなかった、無力な小人の友人だけ。それも、自分に対して牙をむかなかったなんていう、消極的な理由だけしかない。それしかない。殺さなかったのは、自分の敵ではなかったから。

もしかしたら、敵だと思った存在をひとりひとり倒していけば、敵がいなくなって楽園が待っているのかもしれない。そんなわけはない。ジョークだよ、ジョーク。でも、そんなジョークに身を委ねてみたくなる気持ちはわかるだろう。だって、この世はクソッタレで、だからこそ燃やせばよく燃える。美しいんだもの。

恋人に関しては幻。もはや、癒やしも何もない。ちょっと待てよ。この世界がそもそも幻なのなら、何をやってもいいんじゃないのか。自分自身も幻のようなものだし。そもそも、なんでやらなかったんだろう。歯を食いしばって、涙を流して、何のために堪えてきていたんだろう。誰のために堪えてきたんだろう。どうして自分の人生を誰かの糧にしてやらないといけないのだろう。わからなくなったな。

こういうことを考えたくなる。そんなジョークの一つも言いたくなる。とてもご機嫌な映画だった。タイトルの世界に一つだけの花は、ほら、なんとなく、わかるだろ。言わせるなよ、面倒くさい。きっと、言っても君にはわからないよ。

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蛇足コラム「笑い考」

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