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源氏物語のてびき

源氏物語を読むときの参考資料。

並びの巻

並びの巻と紫の上系物語を分けて読んでみましょう。読んだ時の混乱が少ないかもしれません。

並びの巻と紫の上系物語

光源氏二次創作系図

古典「源氏物語」の系図とは若干異なるが、史実とは符合している。そしてこの系図は、実名こそ伏せているがすべて実在の人物で、架空の人物は一人もいない。
さて、こうして史実と照らし合わせながら『新史・源氏物語』を執筆していくうちに、私は思わず唸り声を挙げてしまった事実にぶち当たった。それは「少女」の巻の朱雀院行幸のシーンで、「がく所とほくておぼつかなければ、おまへに御ことどもめす(楽所が遠くて音楽がはっきり聞こえないので、琴などを帝の御前にとお呼び寄せになる)」とある部分である。この部分に関して私が『新史・源氏物語』で設定したこの年に関する古記録を調べているうちに、これと全く同じ記述が見つかった。その古記録とは醍醐天皇皇子の式部卿宮重明親王の日記『吏部王記』で、そこには「朱雀院御幸。帰徳之間楽所頗遠、絃音不分明。詔右大臣云、『操絃者近候宣歟』(朱雀院に行幸する。楽所が遠くて楽器の音がよく聞こえないので、帝は右大臣に「楽人をもっと近くに呼ぶように」とお命じになった)」とある

https://www5b.biglobe.ne.jp/~freema/genji/zakkiH7.htm

「前坊と光源氏と朱雀帝は兄弟であり、一番兄が前坊、その次の弟が光源氏、一番下の弟が朱雀院となる(もっとも、ほかにも兄弟はたくさんいた。男は20人、女は8人である)」

ちなみに私が想定した実在の「光源氏」の兄の中には、即位せずに亡くなった皇太子が、史実として存在している。また、前坊と朱雀院は母が同じである。すると、20歳過ぎの子供がいる女性が40歳近くになってまた出産したことになり、少し不自然である。しかしこれもまた史実なのだから仕方がない。」

https://www5b.biglobe.ne.jp/~freema/genji/zakkiH6.htm

モデル?たち

源高明

『源氏物語』と源高明 : 光源氏ならざる皇子 森田, 知之 國文論叢,57:168-181
https://da.lib.kobe-u.ac.jp/da/kernel/0100477500/0100477500.pdf


(弘徽殿)

(前坊)

本院御息所

朱雀帝

斎宮女御

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