成長意欲高い後輩エンジニアに「焦って成長してもいいことない」って話した話

「できるようなるためにどうすればいいですか…」

職場の後輩(20代男性エンジニア)が深刻な面持ちでそう漏らしました。

どうしたの?と彼に尋ねると、

「できると思ったことも蓋を開ければ時間がかかるし、かといってなんで時間がかかるかもよくわからないから何も成長できてない気がするんです…」

だと。うん、めっちゃわかる。俺もそうだった。

今日はそんな彼に話した「成長をどう自己認知するか?」について。

ひとつの場所に囚われすぎない

まずはじめに僕自身の話を紹介します。

学生時代、学生NPOにて企業や学生、メディアを巻き込んで就活イベントを運営していたので働くことに対してワクワクしていたし「俺はやっていける」と鼻高々でした。ようするに自惚れてました。

いざ入社してみると、その鼻は見事にへし折られたのであります。

というのも全然思うように結果がでない。頼まれた機能を期日までに実装できない、相談ひとつロクにできない、目の前のことしか見えず他のことに気が回らない、まさに自分が描いていた"仕事できない人"そのものでした。

同期はいないし、一番年齢が近い先輩でも5歳離れてたので愚痴的なことも吐けない。次第に「自分はダメだ。できない」ということばかり考える毎日で、できるようになったことなんて何も思いつきませんでした。

そんな折、学生NPO時代の仲間から同世代の新卒だけを集めた飲み会をするから来ないかと誘いが。同期がいない僕はすがりつくような思いで参加。

飲み会にはエンジニアだけでなく、営業、事務、人事、コールセンター、などいろんな職種の人がいて、業界も様々。すでに結果を出してる人もいれば、同じように悩む人もいたり、早くも辞めると豪語してる人もおり、まさに十人十色。

おかげで自分を客観的にみることができました。ひとつの場所(職場や人間関係)に囚われすぎていると、外からみたら微々たる差でも雲泥の差のように感じてしまうなと。まさに井の中の蛙状態。

これを機に、行ったことない場所に出かけたり、会ったことない人と交流をもったり、読んだことない本を読んだり、自分がいる「井」を拡げるように拡げるように意識的に手を出していくようになりました。

たくさん歩いた方が足腰は強くなる

その後輩に伝えたのは「もっといろんなことに手を出すといい」と。

あまり成長に囚われるのではなく、興味をもったことはとりあえず手を出してみて、自分の経験値を積む方がいいよという話をしました。

朝ドラの「スカーレット」で主人公の師匠もこう言っています。

近道はないねん。あってもな近道はお勧めせえへん。なるべく時間をかけて歩く方が力がつく。歩く力はな、大変な道の方がようつく。よう力つけとけ。今しかできひんことや!

けんすうさんも以前「キャリアのVSOP」に関するnoteのなかで同じようなことを言ってました。

20代のうちは、とにかくいろいろ行動して、いろいろ経験するのが「正しい努力」としちゃうのです。

スカーレットの師匠にしてもけんすうさんにしても年代や時期に応じた戦い方があるということを説いているんですよね。

僕は「キャリアのVSOP論」を最近まで知らなかったのですが、周りの環境に恵まれたこともあり、結果的に「VSOP論」的な20代を過ごせたように思います。それこそ様々な経験をしてきました。

本業のエンジニアのみならず、研修講師したり、学生NPOの社会人メンターしたり、ブログ始めたり、介護施設で1日体験したり、フルマラソン完走したり、子育てしたり、キッズプログラミング教室に携わったり、パパNPOで絵本読みしたり、ライターコミュニティ運営したり…

これらが今後どんな作用を及ぼすかはわかりませんが、現時点ですでに本業であるエンジニアの仕事に還元されている部分もありますし、新たな目標を持つに至り、来年から別ステージに挑戦していくことにも繋がりました。

経験しっぱなしで終わるのはもったいない

就活したことある人なら経験あると思うんですが「自分の強みって何!?」と頭を抱え、気づいたら1日たってた…なんてことありません?

強みにしても、自分の得意なことにしても、本当はあるはずなのに目を向けてこなかった、認識しようとしてこなかっただけかもしれません。

「キャリアのVSOP論」に沿って様々なことを経験しても、経験をとおして何を感じたのか?なぜそう思ったのか?を自分で認識できなければ、永遠に自分探しツアーのチケットを握りしめる日々が続くかもしれません。

その後輩にも「せっかく取り組むならしっかり反芻しようね!反復作業で終わらないためにも。」と伝えました。

「反芻」とは牛や馬の食物を摂取する方法のことですが「繰り返し考えること」という文脈でよく使われます。

さっきの「経験をとおして何を感じたのか?なぜそう思ったのか?」を振り返る行為がまさに反芻。

同じ本をなのに1回目と2回目で刺さる箇所が変わった経験ないですか?

反芻は「同じものなんだけど少しずつ形を変えている」という特徴があります。形を変えては取り込み、再度もどしてまた形を変えて…の繰り返し。

自分のアウトプットから学ぶこともひとつの「反芻」です。

反芻していくと「自分の特徴」に気づくことにもなるし、それは「自己認知できてる」という精神的余裕に繋がっていくので、じゃあ次はこれやってみよう!という前向きなモチベーションにもなりやすい。

僕にとってnoteやTwitter、ブログはひとつの「反芻」ツールです。

「できる」までのロードマップを描く

様々な経験と反芻を習慣化できるようになると、その時点ですでに大きく成長してると思いますが「俺はできる」という納得感はほしいですよね。

もちろん所要時間とか金額といった測定可能なものがあればいいですが、後輩のように「できる」の状態が自分でもよくわからない、漠然としてる状況であれば測定可能なものを探すことでまた悩みそうなもの。

僕のおすすめはできないと思ったとき「何があればできたか?」もセットで振り返ることです。あとは「今は…」という枕詞をつける。

「今はできない。できなかったのは◯◯だったから。◯◯のために△△があればできたかも。時間をかけずにすんだかも」という感じです。

結局、漠然としてるのが根本原因なので「できる」までのロードマップをまず作る。それが用意できれば進むだけになります。その積み重ねかなと。

おわりに

人間の「成長」は動物や植物の成長と違って「大きさ」で表すことができないので認識するのも難しい。しかも自分の成長となると特に。

だからあまり深刻に考えすぎない、というのも手だと思います。

ひとつの場所に囚われすぎず、遠回り大歓迎で様々な経験を積んで足腰を鍛え、反芻しながら歩いていけば、気づけば思いも寄らない場所まで歩みを進めてると思います。

とはいえまずは漠然な状態からの脱却。まあ焦らずで。

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