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知りたがりで、よく笑い、「為せば成る」が口癖の僕の父親【父親像】

どうも、日刊【書くメシU30's】マガジン月曜担当の佐々木(@moto_ssk)です。

日刊【書くメシU30's】マガジンは今日から第4週に突入しました。

毎週テーマを変えて更新してまして、今週のテーマは【#父親像】です。

先週は【#尊敬する人】をテーマに書いてきましたが、誰も「父親」や「母親」という、自分にとって一番身近な存在をあげてなかったですね。
これは個人的におもしろい発見でした。まあ身近過ぎるが故に恥ずかしいというのもあるかもしれません。
でも、父親や母親はこの世に生まれるうえで絶対に欠かせない存在。

そして、U30世代の僕らもいつかは親になるかもしれません。(既に親になってるメンバーもいます)

ということで、U30世代からみた【父親像】をテーマに書いていきます✍️

目次
・僕の父親は「知りたがり」
・僕の父親は「よく笑う」
・僕の父親は「レールを敷かない」

僕の父親は「知りたがり」

僕の父親は、生まれも育ちも、そして現在も鳥取在住の人です。

若かりし頃は建築家を目指していたこともあって、手先は器用だし、几帳面だし、「周りがどう言おうと俺はこう思う」という頑固気質な部分を持ってます。書いてて思いましたが、僕の内面は父親から受け継ぎましたね(笑)

そういう気質があるからか、何に対しても自分の意見を言いたがります。

"言いたがります"と表現するとなんだか厄介な感じですが、「自分はこう思う」ということをきちんと言ってくれるんですね。

意見を言うためには、意見を言うだけの材料が必要ですよね。
僕の父親は「言いたがり」でもあり「知りたがり」でもあるんです。

子どもの頃はこの「知りたがり」が嫌で嫌で仕方ありませんでした…(笑)

そんな「知りたがり」を象徴するエピソードがあります。

とある日、遊び部屋でパワプロ(野球ゲームです)をやってたときのこと。何時間も遊んでる僕に、父が「そんなに面白い?」と聞いていたんです。
当時は楽しんでるときに話しかけられるのが嫌で、正直めんどくさいと思ってたんですが、面白いよと返答。すると、「どうやって操作する?」「このモードは何?」とどんどん質問が…

元々「ダビスタ」とか「シムシティ」とかやってた父なので、ゲームに抵抗感はないんですが、いずれもシミュレーションゲーム。野球ゲームのように、常に操作が求められるものに興味を示すのが意外だったんです。

そんな出来事があってから数日がたったころ、父が僕にこう言います。

「俺が作った選手と戦ってみて」

は!?と思いつつ、父が作った選手を見ると「つ、強い…」。
僕が知らぬ間に父は野球ゲームに取り組み、選手を作成していたのでしたw息子との共通言語を探していたのかもしれませんが、それはそれは衝撃でした。と同時に、父の「知りたがり」気質に感心したものです。

子どもの頃は嫌で嫌で仕方なかった「知りたがり」という気質ですが、当時の父と近い年齢になってきた今思うのは「なかなかできることじゃない」ということ。興味関心を持ってくれたことが素直に嬉しかったです。

僕の父親は「よく笑う」

僕の父親は、息子の僕が言うのもなんですがめちゃフレンドリーです。

高専の頃、よく自宅に友達を連れてきたり、テスト前には僕の家で勉強合宿なるものを開催したこともあります。そういうときは決まって前日、ひどいときは自宅に連れてくる直前に「今日、友達来るから」と告げるのですが、いつでも「あ、そげか」と言い、受け入れてくれました。

僕が父の立場なら「え!?聞いてない!」とか言いそうですが、そんなことは一切言わず、友達が来たら「お、こんにちはー!」と笑顔で迎えてくれ、小話をしてくれました。友達からすると「友達の父親と話す」ということ自体が稀だったようで、とても喜んでくれていたのを覚えています。
それに「モトの親父さん、話しやすい」とも言ってくれてました。

話しやすいのはなぜか?と考えると、僕の父親はよく笑うんですよ。
よく笑うからか、友達も話しやすく父と会話してくれたんだと思います。
これは僕や妹たちに対しても同様で、会話をしながらよく笑ってました。

正直、父に対して話づらいと感じたことは一切ありません。

それは、なんでも聞いてくれるし、「言いたがり」の気質のため何に対しても自分の意見を添えるし、なによりよく笑ってくれたから、ですね。

僕の父親は「レールを敷かない」

ここまで話しててなんですが、子どもの頃は父親のことがめちゃ怖かったです。「知りたがり」「よく笑う」のエピソードも僕が高専に入ってからの話です。中学を卒業するまでは本当に怖かったですw
特に小学校のころですね。正直、褒めてもらった記憶がありません。

テストで満点をとって帰っても、家に帰れば父にオリジナル問題を出題され、それが解けるまで何時間でも指導されました。小さい頃は食べ物の好き嫌いが多く、母の料理を残すことが多々あったのですが、とある日「せっかく作ってもらったものを残すな」と食べ切るまでリビングから離れることを許してくれませんでした。時に「吐いてでも食べ切れ」と言われたことも…

今思うと、僕が「これでよし!」と満足することを阻止してたと思うんですよね。こんなもんじゃないぞ、と。そんなところで満足するな、と。
何より、人の道を外れる行為を許すことはありませんでした。

それは、礼儀や作法、裏切り、嘘、などなど。そういうときは徹底的に怒られました。いつも「親しき中にも礼儀あり」「信頼は一瞬でなくなる」と教えてくれました。逆に、そこさえ守れば何をしても尊重してくれました。

「俺の言うとおりにしろ!」「いや、それはダメ。こっち」という、敷いたレールの上を歩けというようなことは一切しませんでした。
その代わり、口癖のように言ってたのは「為せば成る」という言葉でした。

先日、5~6歳の子ども向けにプログラミング教室を開催したんですね。
「子どもたちに教える」という立場を通して、ある意味「親」という疑似体験を通して、まさに"レール"について考える機会でした。


僕もいつか「親」になることを考えると、
・この教育でいいんだろうか?
・子どもにどんな機会を提供したらいいのだろうか?
と悩む場面に出くわすような気がしてます。というかぜったい出くわす…

そんなときは、僕の父親の
・知りたがり
・よく笑う
・レールを敷かない
を思い出し、自分のアレンジを加えた父親像に挑戦しようと思います。

普段は福岡、鳥取と離れて暮らしていることもあり、対面して話す機会はめっきり減ってしまいました。でも、父にはまだまだ教えてほしいことがたくさんあるので、会ったときはお酒を飲みながら、腹抱えて笑いながら、話をしようと思いますw

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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