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幻のロリコン小説家・筆坂友一郎

筆坂友一郎というロリコン小説家がいる。『CANDY POT』(さーくる社)や『Sweet Lowteen』(黒田興文社)、『Alice Club Sister』(白夜書房)、『小説アリス』(綜合図書)などのロリコン誌をメインに活動していた官能小説家で、戦後の焼け跡を舞台に少女の性の目覚めを描くなど、独特のリリシズムを湛えた作品を書いていた。

以前、『サテュロスの祭典』というブログで読んだ覚えがあるのだが(当該記事は現在見当たらず)、彼は日本共産党の元党員であったらしい。サテュロス氏の言を信じるなら、戦後の焼け跡といった舞台設定を行った背景には、共産党的な反戦・平和思想があったのかもしれない。

筆坂の小説は、オムニバスに何作か収録されている程度で、他のロリコン作家、斉田石也や川本耕次のように単独での単行本化はされていない。今となっては作品へのアクセス自体が困難な作家である。

そんな彼の人となりを知ることのできるインタビューが唯一『BAD TASTE』vol.2(東京三世社)に掲載されている。「ロリコン作家の華麗な日常 ―残り少ない時間をロリコンとして生きてゆきたい―」と題したそのインタビューで、彼はロリータ・ウォッチングの趣味を軸に、自身のセクシュアリティと現実との折り合いについて語っている。その中で、ロリコンの矛盾について語った部分を最後に引用する。

私は少女に声をかけることはしない。ましてや少女にイタズラなんかしない。いけない妄想は家に帰ってビデオを再生し、二次元に取り込まれた少女でするし、処理は右手ひとすじだ。
実際、ロリータ・コンプレックスというものは、妄想の積み重ねで構築されている独り善がりの愛情といえる。ロリコンがとらえている、可愛いだとか素直だとか純真だとかいう少女像は、現実の少女の姿ではなく、ほんとの少女は、汚くて憎らしくて素直さにはかけるし残酷でさえある。良く言って天真爛漫、悪く言ってわがまま。それが人間的に未成熟な証拠で、だから少女なのだが、そこのところをどういうわけかロリコンは歪曲してとらえている。外見からする愛らしさや一面のすなおさを増大させ、妄想に妄想を積み上げ、出来上がった虚像に恋い焦がれている、というのがロリコンのほんとうの姿だ。
また、未熟な少女とセックスしたいというロリコンのせつなる願望も(五才の幼女のオ〇〇コに挿入したいというぺドフィリーもいるらしい)未熟な少女というものは当然性器も未熟で、成人であるロリコンとセックスなど出来るはずがなく、百歩譲って、万が一セックスに応じる少女がいたとしても、セックスに応じるようなあばずれな「少女」ではもはやロリコンの要求する少女ではないという矛盾が生じ、結局のところ、現実に少女とセックスするのは不可能なのだ。
ロリコンの私がいうのもなんだが、ロリコンは自分に都合が悪いことは頬被りして、都合のいいところだけを要求するという、わがままというよりも未熟な精神の上に成り立っているといえよう。
だから私の場合、自分でウソと承知してロリコンを楽しむようにしている。
遊びというほど無責任ではないが、真剣になるのにはロリータ・コンプレックスは危険すぎるからだ。
自分で撮ったビデオの少女を再生しながら、一人あらぬ妄想をして楽しむのが私のロリコンライフの基本、想いのたけは小説に書けばいい。

筆坂友一郎「ロリコン作家の華麗な日常 ―残り少ない時間をロリコンとして生きてゆきたい―」
『BAD TASTE』vol.2(東京三世社)123頁

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