子ども時代の体験という呪縛|窓ぎわのトットちゃん
黒柳徹子さんをご存知の方は大勢いると思いますが、『窓ぎわのトットちゃん』という本はご存知でしょうか?この本は黒柳徹子さんが小学生時代を過ごした『トモエ学園』での出来事が書かれている自伝的な物語です。あとがきで黒柳徹子さんが「トモエ学園はユニークな学校だった」と振り返っている通り、僕もこの本を読みながら心が踊りました。たとえば、校長の小林先生がリトミックを熱心に勉強して授業に取り入れていたことです。トモエ学園が創設されたのが1937年(昭和12年)、今から85年前にリトミック教育を日本で初めて実践的に取り入れた学校があったことに、「リトミックって新しい幼児教育じゃなかったんだ!」と気づいたのです。そんなトモエ学園の素敵な物語を、トットちゃんの目線で笑いあり涙ありで描かれています。そう、『トットちゃん』という名前は黒柳徹子さんのことで、小さい時は人のしゃべってる音が自分流に聞こえちゃっていたそうです。「テツコちゃん」と呼ばれるのを、「トットちゃん」と思い込んでいた。おまけに、「ちゃん」までが自分の名前だと信じ込んでいたそうです。だから、『トットちゃん』なのです。
そんな日本の戦後最大のベストセラーになった『窓際のトットちゃん』ですが、大勢の人が教育について考えさせられるキッカケになったことが、この本の大きな功績ではないかと感じています。ご多分に漏れず僕もそのひとりであるため、こうして筆を執っているわけです。いろんな人が影響を受けたのであれば「日本の教育はさぞ子供たちにとって良い環境になったのだろう」と想像しますよね。でも、どうでしょうか?日本の教育に不満を抱いている人が多い印象があります。たとえば、失われた30年と言われる経済の低迷が続いていますが、イノベーションを起こせる人材が生まれないのは、150年変わらない教育システムも原因のひとつだと言われています。また、日本の教育に不満はあるものの、その現状を変えようと行動に移せる人は少数であると感じています。よく見かける調査結果では、行動しない人が70%、行動した人が25%、行動に移して継続する人が5%だそうです。僕の肌感覚では3%くらいの人しか行動しないと思っています。「日本の教育は時代遅れだ。変えないといけない!」と同じ考えの人たちと議論を交わしても、それだけで何かを達成したと錯覚してしまい満足してしまう。または、できない理由を雄弁に語ってはいないでしょうか?僕もそうだったのですが「日本の教育制度が悪いから、自分の理想とする教育を目指すことができない」と考えていたのですが、どうやらそれは勘違いだったと、ある映画を鑑賞したことがキッカケで気付くことができました。それは『夢見る小学校』というドキュメンタリー映画で、主に『きのくに子どもの村学園』に通っている子供たちのようすをカメラに収めた映像です。校則はない、通知帳はない、国語・算数・理科・社会の授業もない、そんなユニークな小学校で、のびのび過ごしている子供たちの姿が印象的でした。「日本の教育制度が悪いから、自分の理想とする教育を目指すことができない」と考えていたことが、間違いであったと気付かされたのです。「今の教育制度でも理想の教育を目指すことができるんだ!」 そして「そんな教育を実践している人が日本にもいるんだ」と、とても驚き心が躍った感覚を今でも覚えています。
さて、そんな不満を抱いていた日本の学校教育システムが作られたのは150年前(1870年代)で、同じことを同じペースで同じやり方で同じ年齢の子だけでの学級、社会とのつながりがなく、すでにある正解を勉強する画一的なレールを敷いた教育システムです。ひとりの先生が教壇に立ち、35人の生徒が一方向に並べられた机に向かって座り、黙って先生の話を聞いている。そんな光景を子ども時代の僕は、もちろん疑問に思ったりすることはなかったのですが、大人になってから思い返してみると、ちょっと気持ち悪い光景だなと感じています。誰かが考えた正解を覚えるだけの授業で、自分で考えて自分なりの答えを導き出す経験を積み上げてこなかったのです。だから、今では「日本ではイノベーションが生まれなくなった」と言われたりします。こんな話を中学生の頃に聞いた記憶があるのですが「発明は苦手な日本人だけど工夫するのが得である」という趣旨の内容でした。僕が子供だったころ、新聞のテレビ欄には『Gコード』というものが載っていました。
その Gコードを使って、日本では『ビデオ・プラス』という専用リモコンが発売されました。これが画期的で、昔はテレビの録画をするときは、ビデオに日時を入力して予約の設定をしなければなりませんでした。僕はよく父親にテレビの録画を頼まれていたのですが、この予約の入力を間違えたり、忘れたりすることがよくありました。そうしたら、当然、怒られるわけですよ。だから、8桁の数字を入力するだけでビデオに録画予約ができる、このリモコンを子供心に「すげ~便利じゃん!」と感激していたわけです。そう、アメリカ人が発明した Gコードを使って、日本人はさらに便利な専用リモコンを作ったように、発明するよりも工夫してブラッシュアップするのが日本人の強みなんだっていう話だったと思います。だから、昔から日本人は物事を工夫する方が得意で、イノベーションを生み出せるのは、ほんの一握りの人たちだったのではないかと思っています。
そんなビデオの録画方法ひとつとっても、時代は変化し続けています。もはや「録画する」という概念も薄れているのではないでしょうか。今では、映像はビデオ・オン・デマンドでいつでも好きな時に観ることができますし、スマートフォンの登場でどこでも楽しむことができるようになりました。そう、インターネットが一般に普及したことで、いろんな情報に手軽にアクセスできるようになった現代人は「江戸時代の人が1年間に得られる情報を1日で処理している」なんて言われています。そして、生まれたときからインターネットが身近にある世代を『デジタルネイティブ』と言うそうです。150年変わらない答えを教えるだけの教育システムと、インターネットでググれば、ほとんどの答えがわかってしまう世界を生きているデジタルネイティブ世代は、どのような価値観を持っているのでしょうか? 「検索する」という行動が当たり前にある人たちにとって、答えが必ずあるという状況は当然で、自分で考えて自分なりの答えを導き出す、または正解のない問題に取り組むということが苦手なのではないか、と僕は考えているのです。今もなお続く、ひとりの先生が教壇に立ち、35人の生徒が一方向に並べられた机に向かって座り、黙って先生の話を聞いている学校の風景。窓ぎわのトットちゃんの舞台である『トモエ学園』とは対照的だった。黒柳徹子さんも「この学校が何よりも変わっているのは授業のやり方だった」と書かれているくらいです。トモエ学園では、1時間目の始まる時にその日の時間割の全部の科目の問題を先生が黒板に書くそうです。そして「どれでも好きなものから始めてください」と言う。そうしたら、子供たちは自分で考えて1日のスケジュールを決めるのです。つまり、先生から指示されるのではなく、子供に決めさせる《選択の自由》が与えられている、素晴らしい取り組みだと僕は感心しました。教室内では、作文の好きな子が、作文を書いていると、うしろでは物理の好きな子が、アルコールランプに火をつけて、フラスコをブクブクやったり、なにか爆発させてたりする光景は、どの教室でも見られることだったそうです。わからないところは、先生に聞きにいくか、自分の席に先生にきていただいて、納得のいくまで教えてもらう。黒柳徹子さんは「これは本当の勉強だった」と仰っています。 デジタルネイティブ世代では情報がより共有の財産となり、保有していることの価値が無くなりつつあります。たとえば、敏腕の経営者に教えを請うために、経営塾に通い儲ける方法を教えてもらうなどの行為です。今までは希少価値のある情報を隠して持ち、必要としている人に提供することがひとつのビジネスモデルでした。しかし情報が民主化したことによって、答えが存在するものはインターネットで簡単に世界中の人たちがアクセスできるようになりました。デジタルネイティブ世代の人たちは情報の流れるスピードが圧倒的に速くなり、その副反応として考えることに面倒くささを感じているのではないか、というのが僕の考えです。 SNS や動画投稿サイトでは、目の前にどんどん魅力的なコンテンツが提供され続けられます。何も考えなくても次々とクリックして、コンテンツに見入っているのではないでしょうか?能動的ではなく受動的に、世界中にいる頭の良い人が作り出したその仕組みにハマってしまい、自分の頭で考える行動を奪われている。そのような体験が頭の中だけで成立してしまい、あたかも自分自身がそこにいるような疑似体験で満足してしまう。そんな中毒性もはらんでいるのかもしれません。だからデジタルネイティブ世代は能動的に体験した感動が欠如しがちで、行動する人と行動できない人とで人生の幸福度に大きな溝があるのです。
一般的には「火薬」「羅針盤」「活版印刷」が人類の三大発明として挙げられていますが、僕は人類の三大発明を「紙と筆記用具」「電気」「インターネット」だと考えています。その中でも、僕が生きている時代に生まれたインターネットが、やはり大きな影響を与えてくれました。良くも悪くもですが。僕がインターネットに触れたのは25年前、その当時は「ダイヤルアップ接続」といって、常時接続ではなくその都度インターネットに接続していました。それは料金が従量制だったからです。ホームページを読み込んだら回線を切断してページを読む。ページを読み終えたら、また回線に接続して次のページを読み込んで、また回線を切断する。少しでも料金を節約するために、そんな面倒なことをしていたのが懐かしいですね。それから「ISDN」「ADSL」「光回線」「Wi-Fi」「5G」へと回線の高速化を続け、インターネットに常時接続している世界が当たり前となりました。僕はそんなインターネットの進化を見てきたのですが、生まれた時からインターネットが存在していた人たちは、世界中の情報へ簡単に触れられる環境が拡がっています。回線が高速になったおかげで YouTube に代表される動画コンテンツが、いつでもどこでも手のひらサイズで視聴できるようにもなりました。とても便利ではありますが、情報過多の時代では一般的な正解が知れただけで満足してしまう、そんな負の側面があるような気がしています。わかった気になりできた気になる。本来は学んだことを実践しないと意味がないのに、その手前で満足していないでしょうか?また SNS が普及したことで、家族、友達だけでなく、有名人や顔の知らない相手とも簡単につながれるようになりました。2005年頃には「リア充」という造語が流行ったように、今まで目に入らなかった他人の生活が可視化されて、他者との比較が当たり前の世界になっていきました。さらに、インターネットの登場で個人でも情報を発信できるようになり、特に発信力のある人を『インフルエンサー』と呼び、世間に認知されるようにもなりました。「自分もあの人のように頑張ろう!」と前向きになれる影響を受けられれば良いのですが、必ずしもそうとは限りません。「あの人と比べて自分はダメな人生だ…」と自分を肯定できず心が傷ついている人もいます。また声の大きい人や世間の偏っている意見が強さを増し、違う意見に対しては無慈悲な石を投げる人が目立つようになりました。無意識に他人の価値観や同調圧力に身を任せてしまっているのではないでしょうか? トモエ学園ではいろんな子供を受け入れていたそうで、自然と子供たちは一人ひとり違う人間であることを学んでいたのでしょう。たとえば、運動会ではハンディキャップを持っている子が1等になっちゃうんです。競技は校長先生が、むしろハンディキャップを持っている子が活躍できるように考えていたのです。普段生活している中で意識することはないでしょうが、ちょっと視座を変えてみるだけで、いかに世界が普通の人たちの基準で作られているか感じられるでしょう。今では『多様性』という言葉が独り歩きしてるように感じていますが、常に他人と比べて生きている人が大勢いるのが現実で、そこに息苦しさが存在しているかもしれません。
僕は『発達障害』と診断された子供たちが放課後に通ってくる施設で働いています。『児童指導員』なんて言うちょっと偉そうな肩書を与えられているのですが、子供を指導するだなんて思ってはいません。敬意を払い対等な目線で接するように心掛けています。トモエ学園の校長先生は「助けてあげなさい」と言わなかったそうです。小児麻痺など体に障害をもっている子がいたにもかかわらず。もちろん非情な人というわけではなく、いろんな人間がいること、障害を持っている人も身近にいること。そんな体験ができる環境をトモエ学園で実現することで、お互いが手を取り合うことが当たり前だということを子供たちに教えたかったのかな、と僕は想像しています。子供時代の体験は、その後の人生に大きな影響を与えるものです。黒柳徹子さんは校長先生から「君は、ほんとうはいい子なんだよ」と言われたことが、生きる大きな力を与えてくれたと語っています。子供時代を過ごした環境はとても重要です。その環境には人との関わりも含まれます。たとえば、僕は中学生になるまで、夏休みは毎年両親の実家がある福島県飯舘村で過ごしていました。1ヶ月まるまる田舎で駆け回っていたのです。田んぼや畑はもちろん、広大な山があり、牛やニワトリを飼っていて、養豚場の経営や林業もやっていました。そして、穏やかな福島弁を話す人たちとの交流。都会とは違う自然に囲まれて過ごした体験は、僕の大きな財産となっています。僕は運良く素晴らしい環境で過ごすことができたと思っていますが、自分の子供時代をそうは思えない人もいるでしょう。ほとんどの子供は人間関係が限られていて、親や教師が大人の中心的な存在となります。だから、子供時代に出会った大人の数が少なかったら、多様な価値観に触れる機会がなく偏った考え方になるかもしれません。よく「親は選べない」と言われます。ある意味ガチャ、運なのです。では、どうすれば子供によい教育を与えられるのか?僕の考えは大人が変わることです。そう、あなたが子供のためにと思い自分を変える、良き人格者を目指す努力を始めればいいのです。不満を抱いている日本の教育を変えるのは難しいけど、自分を変えるのは心意気次第です。知らず知らずに子供の頃に植え付けられてしまった「普通はこうだよね」といった、誰が考えたのかもわからない社会の慣習に縛られてしまっている。その呪縛を解くために、自由に物事を自分で選択して生きればいいのです。
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