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シルクロードの旅(25)ウズベキスタン共和国ヒヴァ市 ヒヴァとかブハラとかが、ほんとに昔のイスラム系オアシスなんだなって思うよねって話。

ヒヴァ駅に到着!!

この駅は最近できたらしい。ウズベキスタンでは大統領が変わってから(2016年-)観光に力を入れるようになって、最近ではレギストラーツィアを廃止にしたり、このヒヴァ駅の様に観光地に向かって鉄道を敷いたりしてるらしい。でも前の大統領(イスラム・カリモフ任期23年)も国民からすごく慕われていたらしいよ。

ヒヴァ駅から旧市街の西側にある今日の宿に向かって歩きます。

ヒヴァの街は観光地としての再整備の真っただ中で、それまで旧市街の街をかこっていた普通の人々が暮らしていた街をぶっ壊してどでかい道を通していました。そこは人が普通に暮らしていてでかいバザールもあったのですが、観光地としての再開発のために全て潰したようです。少し寂しいですね。

ここは町並みが広がっていたはずですが、、。

ここはバザールがあった場所ですが、、。

歴史的な重要性がない普通の人々が暮らす場所は重要じゃないのでしょうか、、。いろんなことを考えさせられます。

飯を旧市街の中の屋上レストランで食べました。観光地価格でしたね。ちなみにこれは18:55ですが、おそらく昼飯として食べています。

夕日がすごくきれいでした。

本日のお宿。

宿の縁側でゴロゴロしてると、フルーツを食べさせてくれるロシア人がいました。彼は、ロシアのサンクトペテルブルクに住んでおりそこからバイクでここまで来たそうです。(いやスケールデカすぎ)私が、「ロシアと違ってここは砂漠の中の極暑地帯。バイクで旅をしたらしんどそう。」と聞いてみいると「世界っていうのは100mでも進めば、同じものは一つとしてない。人も、街も、たとえ砂漠であっても。本当だったら、自転車で旅がしたい」と言っていた。(達観している観もあるし好奇心がえげつないよこの人)持ってる水がお湯になるからそれで料理をするんだと言っていた。

その後彼は日本は教育がいいよといいます。(この発言の真意は、ロシアは資源大国であり、ロシア政府の武器は人ではなく資源にある。でも日本は資源がないから、人材を武器にして世界と戦っているという事。)ロシア政府は人に興味がない、興味は資源だけに向いている。と言います。(実際、プーチン政権の支持基盤は資源輸出による経済成長にあるという。国民がこういう感想を抱いているという事は知らなかった。)

僕は日本の教育はそんなにいいものではないと反論します。日本では勉強のプレッシャーに耐えかねて自殺してしまう人もいるんだ。という話をしました。そうすると彼はそういうことは想像もつかなかったよという顔をしていました。

さらに今度はロシア人の幸福の在り方について話が進んでいきます。教育がない中ではもはや幸福になる方法は薬かウォッカしかない。警察は賄賂を組織から取るためにヤクの販売を見過ごしてると彼は言い、ロシア人ならみんな大好き毎晩ぐびぐび国民的ドリンクのあのウォッカを、あんなものは酔うためだけのものと一刀両断する。あんなものは美味しくないんだ。あれを飲んで現実世界から逃げて幸せになっている気分を味わっているだけだ。と彼は言った。幸せになる方法を間違えてるよと。これは真理かもしれない。それはロシア人だけの真理じゃなくて、日本人にだって言えることだ。見たくない現実から顔をそらすためにストロングを購入しまやかしの幸福を見ていないだろうか、、。

さらにモスクワのことを彼は嫌いだという。(最初はサンクトペテルブルクから思う首都へのやっかみかと思ったけど違った)そこは人々は近くにいるのにみんなスマートフォンに夢中で他人に冷たい社会だ。と言っていた。それは東京も同じだね、と言った。(やっぱり大阪の人が東京の人は冷たいとかいうやっかみと一緒だったかもしれない)

とてもいい会話だった。このときの会話は僕の今のロシア観を決定づける会話になっています。近いうちに音連れて自分の感覚で感じてみたいです。次の日そのロシア人はさっそうとバイクに乗ってどっかに行きました。目的地は無いそうです。また会おうな。


さて翌日。

ヒヴァ旧市街の共通観光チケットを購入します。

ヒヴァ(ウズベク語: Xiva、露: Хива、ペルシャ語: خیوه‎、英語: Khiva)は、ウズベキスタンの都市。16世紀初頭から20世紀初頭まで存在したヒヴァ・ハン国の首都であった。ホラズム州に置かれ、ホラズム州の州都ウルゲンチの南西に位置する。ブハラと並ぶ中央アジアの宗教都市であり、「聖都」の名前で呼ばれる。綿工業と製陶が町の主産業となっている。ヒヴァの旧市街イチャン・カラは、1991年にウズベキスタン国内で初めてユネスコの世界遺産に登録された。

中央アジアと西アジアの各都市に存在する内城のうち、無傷の状態で保たれているのはヒヴァのイチャン・カラのみであり、封建的・イスラーム的都市国家を知る上で一級の資料となっている。イチャン・カラは東西約450m、南北約650mに広がり、やや東に傾いた長方形をしている[1]。城壁の高さは7-8m、基部の厚さは5-6m、全長2.2km、面積は26ヘクタールに及び、周囲を外壁のデシャン・カラに守られている。かつてヒヴァには城壁に死者を埋葬する旧習があり、埋葬された人骨の一部は城壁の表面に露出している。イチャン・カラの建築物は大きくアルク(城郭)、マドラサ(神学校)、モスク(寺院)、マスジッド(霊廟)に大別される。20のモスク(寺院)と20のマドラサ(神学校)と6基のミナレットなど、50以上の歴史的建造物と250以上の古い住居が残る。ヒヴァの町の始まりとなったという伝承が残されているヘイワクの泉は、パフラヴァン・マフムード廟の中庭に存在する。1740年にイランのナーディル・シャーの攻撃によってイチャン・カラの建造物の多くが破壊されたが、これらの建築物はおよそ18世紀から19世紀にかけて再建された。1969年にイチャン・カラ全体が、博物館都市に指定される。1983年に大規模な旧市街地の改修工事が実施され、歴史記念物地区の建物は保存・改修され、老朽化が進んだ一部の建物が取り壊された。周辺の居住区では古い家屋の撤去と建て替えが行われ、街区の様相は大きく変化した。現在は約3,000名の人口を有し、日本人も1名居住している。

カリタ・ミノル(クク・ミナル) - 高さ28m。当初高さ109mを予定して建設が進められていたが、ムハンマド・アミーン・ハンの死によって工事は中断された。

日干し煉瓦を始めてみたよ。

ここにも中国の支援が。一路一帯だろうか。

美しい町だ。こういう町が昔はこの地域に点在していたんだろう。そこにはハンの國があったはずなんだ。

ミナレットの上から見る景色は絶景。遠くにはアムダリア川。ミナレット内部の階段はものすごく急

お昼ご飯はプロフです。おいしい。ウズベキスタンのプロフは絶品です。

夜もおんなじところで食べました。「まーたきたのかい。」と笑いながら言われました。ごめんなさい。近くに安そうな店他にないんだもん。(ヨーグルトかける餃子みたいなやつとパンの中に肉が入っているグンマーという料理)

夜ビールをスーパーで買う(ポートランド)

ナンを貪り食う堀君。

以上ヒヴァ。ここはもう、以前のキャラバンの雰囲気はなく完全に観光地でした。それでも、ハンの支配した時代を知るには最適の場所だし。美しい町並みだった。次回、シルクロードの旅シリーズ最終回。楽しかった夏も終わりです。


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