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塹壕陣地の突破方法って知ってる?

第一次世界大戦の西部戦線は、互いに塹壕を張り巡らして戦線が膠着したことが知られている。

その塹壕陣地はどのように突破するのか、今日はみんなで将軍になった気持ちでこの突破方法について考えてみよう。

塹壕の突破方法について最初に真剣に考えなくてはならなかった将軍は、日露戦争期の乃木希典である。彼は、日本陸軍第三軍司令官として、海軍の要請に応えて当時世界最強の要塞と言われた旅順の攻略のためにこれを突破する必要があった。

日露戦争期の突破方法は以下の通りである。

砲撃

塹壕に潜む兵士を殺傷し、無力化してから占領を狙う。小型爆弾を塹壕に投げ込む戦法もよくとられた。

歩兵による突撃

砲撃が終われば、生身の人間の突撃である。
そこにあるのは戦争の本質、前に散らばる尸を超えて機関銃の嵐の中を前進するのみである。隊が塹壕についた時に生き残ってるのは何人だろうか。

このように、塹壕陣地の攻略の基本は砲撃と突撃の繰り返しである。その本質を理解した乃木希典はまさに「肉弾」を以って旅順を攻略しようとした。その結果、6万人の死傷者を出し一時期は司令官解任の恐れもあった。(明治天皇が今乃木を解任すれば乃木は自殺するだろうと仰って解任はなされなかった)また、司馬遼太郎の「坂の上の雲」という歴史小説でも乃木は凡将として描かれている。

しかし、塹壕陣地の攻略の基本は上記であり、乃木が取った戦略以外での突破はなかなか考えられず、乃木の戦略は貶されるどころか、これ以降の戦争でも諸外国によって参考にされていく。

日露戦争が終わり、世界は第一次世界大戦に突入する。各国は前線構築の後、乃木希典の戦法を参考に砲撃と突撃を繰り返す。

しかし、塹壕側も改良が加えられていて砲撃をやり過ごすための待避壕の作成や塹壕陣地を何重にも張り巡らせることで容易には突破できない前線が構築された。なお、それでも突撃は繰り返し行われ、人的資源が前線で無限に溶けていくことになる。

その膠着した前線を打開するために考案された戦術をこれから述べていく。

毒ガス

毒ガスを撒いて、敵の兵士を無力化させるという意図から行われた。最初に行ったのはドイツである。当時、戦争での毒ガスの使用は制限されていたが戦争時に国際法など無力なのかもしれない。初期は呼吸器に作用するものだったが、ガスマスク等で対応されたために皮膚に触れるだけで作用する猛毒へと変化した。ただ、風はコントロールできないため自軍への被害もあり、次第に使用されないようになる。

坑道戦

地下道を掘って相手の塹壕の下まで行き、爆弾を爆発させるという戦法だ。ただ、掘るのにはとてつもない時間がかかる。

イギリス軍はメシヌの戦いで坑道戦を実施し、地下に仕掛けた600トンの爆弾で1万人以上のドイツ兵を殺傷した。だが、この時のトンネルの掘削には2年半の作業期間を要するなど、あまりにも時間がかかりすぎるため、特殊なケースを除けば実用的ではない。
『塹壕 Wikipedia』

戦車

ついに来た。タンク。戦車は機関銃や有刺鉄線をもろともせずに走行するため、前線を打開するには非常に有用であった。のちに、幅の広い窪地(対戦車壕)が設けられるとそのチートっぷりは制限される。また、対戦車のための砲(対戦車砲)も開発されることになる。

空爆

ついに飛行機も戦争に使用するようになる。これ以降、塹壕はあまり有用な戦略とならないようになった。


いやあ、戦争というのは恐ろしいですね。
今日は塹壕の突破方法について話しました。
人間は自分の生死がかかる時が一番何かを発明する力が湧くのかもしれません。

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