舐めとんか?
こんばんは。
攻撃的なタイトルで始まったことを、まずはお詫びいたします。
最近まで、「障害者アートの輪」と言うところで、よく活動していました。
障害者アートの輪とは?
なんらかの障害のある人達が、アートによって自立する事を目的としている団体です。
活動と言っても、募集に応募したのは、片手で数えるほどですが。
そこでは、アート的な価値はあまり重要視されず、全体への平等性の方が重んじられています。
金銭も全体に、平等にとなります。
もちろん個人契約に至る場合もあるので、その時は追加料金として報酬が支払われます。
そこにとある作品を応募して、見事に入選。
展覧会、商品化、雑誌への掲載、ホテルで買い上げられ展示。
などなど、1作品で、それなりに儲けを出してくれている作品がありました。
なぜ過去形かと言うと、原画は捨て去られどこにも存在しない、幻の作品となってしまったから。
ホテルに飾られているものはレプリカみたいなものです。
何で捨てたのかと言うと、
私が結婚して引っ越す日が近く、
実家を片付けたい父が、私の作品を全部捨てたのです…
断捨離されてしまったのです…
私の作品に価値が出て来たのはその後の話でした。
それで、今回ミュオグラフイアート展を経て、
だんだんと経歴が付くにつれて、
「あれ?作品って後から価値が付くの?捨てたらダメじゃね?」
と、家族で後悔したのです。
両親は私の作品をゴミのように見ていました。
落選した大きな作品、大学で描いた作品たちが、部屋にはたくさんありました。
私自身も、たいした事のない作品、なんてつまらないんだろうと思っていました。
障害者アートの輪で入選したものも、
結局は障害者福祉の観点から平等にみんなに与えられてるんじゃないの?
と、両親も私の作品には価値を感じていませんでしたし、母に限っては、グランフロントに展示される私の抽象画よりも、姉が趣味で描いている写実的な絵を評価していました。
完全に私は両親から舐められていました。
グランフロントにチャレンジする時も、
「あんた絵なんか描いてへんやんか、何を出すの?出来へんやんか(笑)」
と、母に辛辣な言葉を浴びせられました。
私は5年間大阪芸術大学の通信教育過程で、必死で学んで来ましたし、合間には美術の会に所属してデッサンを必死にやりました。
母にとってそれは無かったことになっているようでした。
とにかく、舐められている。
そんな悔しさをバネに今日まで頑張って来れたのかもしれません。
来年は、神戸市民美術展へチャレンジします。
来月は、東北Art to youへチャレンジします。
私の作品はダメなんかじゃないんだ。
そう思って、これからも頑張るわよ(笑)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?