運動する人は、美しい。 — かも、noteはじめます。(前編)
初めましての方、こんにちは。株式会社キッカスアンドカンパニー 代表の 加茂 基香(かも もとか)といいます。
このnote、加茂が行っている事業のことをベースに、日々感じたことを綴っていくつもりでいましたが、(書きたいことは山ほどあるのに) 何から書き始めたらいいのかなーとのんびり考えているうちに、あっという間に2月に…
ということで、まずは創業への思いを…と思いましたが…
その前に、つい先日の冬季北京オリンピックで起きたエピソードで感じたことを書いてもいいでしょうか。 (←そういうことしてるから進まない)
タイトルの「運動する人は、美しい」に通ずることであり、私の事業の原点にも繋がるので、 “はじめに” という感覚で読んでいただけたらな。
スポーツを通じて、どんなことができるのか
昨年2021年、夏季オリンピックTOKYO2020が無事開催され、息つく暇もなく、冬季オリンピック・北京大会がスタートしましたね。
ところで、4年に一度開催される”スポーツの祭典・オリンピック”の[ 理念 ] をご存知でしょうか?
これがオリンピックの理念です。
また、シンボルマークである”五輪”の意味も念の為書いておきますと、(私も今回改めて、「あ、そうだったな」と思ったのですが)
という意味を持って生まれたマークです。
さらに、五つの輪が重なり合うようデザインされているのは、
が込められているのだそうです。
素晴らしいですよね。
なんだか、オリンピックって、ちょっとショービジネス色が強く出ているような穿った見方をしてしまいがちですが、純粋にスポーツってこういうことが実現できるはずだよね。と、思い直させられます。
感動があるから、スポーツが楽しい。 ということではない。
さて、2022北京五輪が開催中ですが、少々センセーショナルだったことがありましたね。
高梨沙羅選手のスーツ規定違反。
我々、日本国民からすると、「開催国優位規定だ」とか「メダル候補妨害だ」とか「沙羅ちゃんが可哀想」とか、憤りの感情が芽生えそうです。
私もニュースを聞いた時は、応援していた選手なだけにとても残念な気持ちになりましたし、反対に、高梨選手への批判の声があったことについても、悲しくなりました。
ところで、オリンピックは、スポーツを通じて世界が一つになることを目的としていますよね。
我々が残念に思ったり、憤ったりする理由や、その感情の矛先は一体何だろうと思いました。
規定違反を起こしてしまった本人や関係者
メダルを取るチャンスをなくしてしまったチーム
不透明な規定と、判断を下した委員会
開催国優位に見えるような行為
この事象に対して心無い批判を浴びせる人々
いろいろ考えましたが、
悲しいと感じた理由は、この事象を通じて、
私たちがそれぞれ、共に感動したり、共感したり、といった、心を一つにすることが実現できなかったこと
そのものかなと思いました。
スポーツ選手、ましてオリンピアであれば、この「スポーツの祭典」という舞台は、今まで多くの困難を乗り越えてきたその積み重ねを、自分が力の限りを尽くして頑張ってきた年月を発揮する、最大で最高の凝縮された時間であるはず。
(だから本来であれば順位をつけるべきではないようにも思えるけど、それは今回は言及しないでおこうかな)
その時間を、本人だけでなく世界中の人と共有するから、感動や喜びの感情、悔しさや感謝の想いが世界中で大きな波を生み出し、世界が一つになれるのだと思います。
それが今回、その波を生み出すことができなかった。
だから、多くの人が共感という形ではない、バラバラの感情になってしまった。心を一つにできなかった。
そう、つまり今回、オリンピックの理念=スポーツを通じて一つになることが達成されなかった。
それが残念に思える根源なのではないかなと思いました。
私は考えます。
感動やドラマがあるから、スポーツをすることや見ることが楽しい/価値を感じる。ということではなく、
スポーツの価値は、挑戦者たちのそれまでのプロセスや結果も全て、彼・彼女と一緒に、感動や感情をより多くの人と ”共有・共感” できるから、なのだ、、と。
長くなってしまったので、後半に続きます。(いいですか??)
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