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会社と個人の関係は仮面夫婦化。打てど響かず、社畜の心さえ離れていく

「失敗だらけのパーパス経営、社畜の心も離れトップダウンにしらけムード」というキャッチーなタイトルの記事。

パーパスとは企業が何の為に事業を営んでいるかを示す存在意義。企業理念やミッションにも近い。

では、なぜ、突如としてパーパス経営が脚光を浴びたのかについて、以下の通り説明があります。

その背景には、社会的責任を重視するコーポレート・ガバナンスのトレンドがあります。しかし、最も大きな要因は、企業からの「遠心力」が働いていることです。コロナ禍からの回復による人材不足で売り手市場になっています。さらに、就業価値観の多様化を受け入れる「ダイバーシティ」の推進があります。これらは、これまで「社畜」的に組織に取り込まれていた個人が企業から離れていく遠心力として作用しています。

 そうした状況の中、バラバラになってしまいがちな組織になんとか「求心力」を働かせ、一体感を保つための有効な要素はないかと、危機感を抱いた経営者が反動的に理念やパーパスといったものに注目しているのです。

それでは、パーパス経営は機能しているのでしょうか?

ただでさえ価値観が多様になってくる中で、パーパスを打ち出してその浸透を狙っても、従業員は簡単について来るわけではありません。多くの理念やパーパスは、「上層部が言っているきれいごと」として受け流されてしまうケースが多々あります。社内にしらけムードが漂う会社も少なくありません。

心当たりのあるサラリーマンの方、多いのではないでしょうか?パーパスとは本来、創業時に掲げられ、それに共感する人々が集まるという順番に機能するもの。

その証拠に、どの会社も「顧客への貢献」「企業の社会的責任」「正直さ・誠実さ・法令遵守」等のワードが並び、似たり寄ったりの内容となっています。

■「写像モデル」から「共鳴モデル」へ

職場のダイバーシティーが進む中、「組織として同じものを思い描いている」という状態を目指すのは困難に。同一のパーパスの「写像」を他者にコピーしていくような考え方ではなく、「共鳴」を狙う方向へ転換する必要があると筆者は説きます。

パーパスの共鳴モデルは、企業側の理念・ヴィジョン・パーパスと、従業員側の働く目的意識やヴィジョンと「重なり」があることが必要です。そして、企業の理念との間に、適度な「余白」が必要になります。ガチガチに決まりきった大目的を与えられても、従業員側の主体性を発揮する「遊び」がないからです。

 これは、パーパス浸透そのものの理論的な負荷を下げるモデルです。この会社のパーパスはどこか他人事かもしれないが、共鳴するところが部分的にでもあれば、それは十分にその人がその会社で働く理由になり得ます。経営者が描いた理念を従業員という「他者」の心に劣化コピーするよりも、個人のパーパスと企業パーパスという2つの別のものの間に、どこかしら「共鳴」する部分を探すという取り組みは、今後のパーパス経営の潮流になっていくでしょう。

抽象的できれいごとを並べたパーパスを一字一句丸暗記するのではなく、各従業員が共鳴する部分を探し出し、自らの言葉で表現し直すことができるパーパスこそ、良いパーパスと言えるのでしょう。

そして、リスキリングが声高に叫ばれていますが、こうして大量生産された「意志なき労働者」たちは、簡単に変われるものでしょうか?

会社主導の人事で人のジョブを自由に動かし続け、目標管理という名のノルマ管理で縛りながら、「意志なき労働者」を大量に作っておいて、さらに「理念浸透をさせたい」というのは、相当な無理筋です。

とモヤモヤしながら読み進めて行くと、同じ筆者がまさにその内容の記事を既に書かれていました。

リスキリングの実態について、著者は下記の通り説明されています。

生涯学習やリカレント教育、そして最近の「リスキリング」まで、ビジネスパーソンの学びが必要であることは何度も何度も叫ばれてきました。企業でも「ジェネラリスト育成からスペシャリストへの転換」の方針の下、各社でマネジメント等級ではない格付けである専門職等級が整備されました。

 しかし、自発的に学ぶ個人はむしろ減ってきたことが研究からは示されています。今や「学ばない専門職」「スキルの低い専門職」の多さが各企業を苦しめています。

更に筆者は続けます。

確かに会社には依存できなくなりましたが、一方で皆が専門スキルを学び続け、自由に転職し副業するような労働市場には全くなっていません。ほとんどの人は学びも会社との交渉も転職もしないまま、ただ「会社」への意識だけが隔絶してしまったからです。

 そう、「内包から対等へ」というスキームで数十年打ってきた各企業の人事施策は、そのような言説的な効果だけを労働市場に残している。

その様な状況を筆者は「会社と個人の仮面夫婦化」と名付けました。抜群のネーミングセンスです。

家庭内離婚状態の夫婦のように、同居生活は続けているけれども、引き出しの奥にはサイン済みの離婚届(=離職届)がしまってある。とっくに精神的な絆は冷めてしまっていますが、かといって配偶者(=会社)から離れ、一人で暮らしていくだけの行動力も経済力もないがゆえに、必要最低限のコミュニケーションをとりながら淡々と暮らしを営んでいる、そんな状態です。

大学を卒業するまで勉学に励み、その後、大志を抱いて会社に入社。社畜と揶揄されながら、会社の為にモーレツに働いて来た。その末路が、経済的に自立できないという理由だけで会社に留まる仮面夫婦。

あまりにも切ないですね。

日本人にもっと自由な働き方を提供したい。日本人をエンパワーして、輝ける日本を取り戻したい。そんな想いに「共鳴」して、ひと妻DAO代表の小林さんと、この1年間、活動して来ました。

私たちの出会いの場であるDAOに可能性を感じ、事業モデルを練って来ました。それが、ようやく形になりつつあります。

詳しくは、こちらの小林さんの記事をご覧ください。

<関連情報>

今回の記事の筆者はパーソル総合研究所の上席主任研究員の小林祐児氏。同氏が最近執筆された著書は、こちら。

そして、最近、活動を共にすることが多いメタグリ研究所の農情人こと甲斐さんも、偶然にもこちらの本を紹介されていました。


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