見出し画像

Motohideのプロフィール

1972年群馬県に生まれ
私の家族は私、母、妹の3人です。

私が5歳の時に両親が離婚しそれから
今日まで3人家族です。

自分が高校を卒業するまで10畳一間の公営住宅に
3人で肩を寄せ合い暮らしてきました。

私が5歳の頃の母は、食堂のおばさんとして仕事をしていました。
冬は洗剤でカサカサに指が荒れ血がにじんだばんそうこうを

たくさん巻きながら早朝4:30に出勤。
残業はないので手取り20万円そこそこの安月給ながらも

私と妹の2人を高校まで出してくれました。
高校1年の時、サッカー部に入るも強豪校だったことから周りと力の差を

感じまくって1年で退部。
母が出してくれていた部活の費用も無駄にしてしまいました。

残りの2年間は、学校が終われば、すぐにバイトへ行く毎日。勉強はそっちのけでバイト三昧な高校生活を送っていました。

高校生のくせにバイト代は月に15万円位稼いでたんです。これまでの貧乏生活の反動もありバイト代が入ると調子に乗ってブランド品なんかを買ったりと節操のない高校生でした。

節約しながら頑張って働いてくれていた母の気持ちを汲むこともなく心配ばかりかけてました。

母はそんなダメ長男を来る日も来る日も早朝から働き、高校を卒業させてくれました。

高校卒業後は、好景気の影響もあってか運良く地元の大手企業のグルーブ会社へ就職できました。

母は、とても喜んでくれました。

でも就職したその会社は、年功序列で学歴重視の公務員ライクな既得権重視の会社でした。

私のような一介の高卒社員は、鬼残業で稼ぎを増やすしかありませんでした。

私のような工業高校出の低学歴社員は毎月150時間を超える残業をし続ける以外に給料を増やす方法はなかったんです。

入社してからは、毎晩12時過ぎまで残業し、ひどい時は丑三つ時まで働いて家にシャワーを浴び仮眠を取りに帰る日々。

数時間後また出社すると言う今考えたら、超ブラック無糖な働き方をしてました。

いくら若いとはいえ身体は見えないところで悲鳴をあげ原因不明の胃痛に2年間悩まされたほどです。

こんな働き方してたら身体はもちろん彼女との関係もままならず、仕事のせいもあってか数人の彼女と付き合っては別れる年月を繰り返してました。

仕事もプライベートも最悪にしか感じられなくなり人生の絶望感を味わうこととなります。色々なことにチャレンジするも失敗の連続とは自分のことを言うんだろうなと本気で思っていました

そんな自分にも転機が訪れます
24歳の時に今の妻と結婚し26歳で最初の子供を授かりました。

仕事では、それまでの残業実績?と頑張りが認められ主任、係長、部長代理に就任するまでになりました。

部長代理の内示が出てからは、総務の仕事に就いており対外的な対応力をつけよとの指示で営業と心理学についてのセミナーがあれば頻繁に受講していました。

そういった経験も裏打ちしてか、歳を重ねると共に「お前は技術職よりも営業に向いている」と同僚や友達から言われ続けるようになります。

そして結婚後、35歳の時に土地と建物を購入し住宅ローンに加えて妻と子供3人を養わないといけない父親になりました。

今まで残業を当てに過酷な労働に耐えてきましたが、部長代理となると残業代が一切つかないため年収は400万にも満たず、家族や住宅ローンを考えると将来の展望がまるで見えない状況でした。

そんな中、営業職と心理学関係のセミナーは好きで数多く参加する機会がありここで知り得た知識と周りの後押しと根拠のない自信を持つことができ39歳で異業種に転職する決意をします。

収入アップが見込めない状況の中、自分自身も35歳の時に注文住宅で戸建てを建築した経験があったので異業種である注文住宅の営業であれば転職してもやっていけると思えたんです。

ところが、妻は異業種への転職に反対でした。しかも営業だし歩合制だしと不安定なイメージがあり最後まで賛同は得られませんでした。

でも自分の気持ちの中では、小さいながらも自信のような感覚と家族のために退路を断ってやりきるしかないという誓いがありました。

25歳くらいから自己啓発オタクだったこともあり、職種によって稼げる年収の平均額を知っていたので住宅業界へ行くことで家族を安定的に守っていけると思ったんです。

妻の反対を押し切って技術系の会社から住宅の営業に転職しました。39歳の冬でした。

私は一旦スイッチが入ると行動力には自信があり、結構色々が早いんです、はい🙋‍♂️

そして新たな異業種への転職後、入社2年目に年収が1.5倍まで増えました。異業種への40歳前の転職を決めた時、妻から激しく反対されましたが熱意で説得し転職。そこで結果が出た時は、なんとも言えない嬉しさに包まれました。

その数年後にヘッドハンティングから東証一部上場企業の大手ハウスメーカーの営業となり当時、社内初、最速2年で営業所長に昇進し今に至るという感じです。

年収も8桁を超え生活にも不満のない環境を手にすることができました。
同僚や友人が言っていた「お前は営業に向いている」は正しかったと思いました。

妻と母には、とても喜んでもらいました。
これから少しづつ恩返しをと考えています。

そんな高卒凡人な私でも一定の満足(成功?)を手にすることができた経験について以下のようなブログを運営していますので興味が湧いた人はぜひのぞいてください。

ブログのテーマは、若かりし頃に自己啓発マニアだった時にためた知識を以下の内容に分けて発信しています

副業・ブログ運営・転職・営業心理・X(エックス)

Xも更新してるので良かったら以下からフォローお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?