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Interview vol.11中村紀彦さん(映像・映画理論研究者) アピチャッポン作品で気づいた「目に見えないものの豊かさ」

   第11回は、元町映画館ではオープンダイアローグのファシリテーターやトークイベントにご登壇いただいている映像/アピチャッポン・ウィーラセタクン研究者、中村紀彦さんです。今回は広報担当、高橋未来も加わっての特別バージョンでお届けします。 


■映画との出会いはテレビ〜アジア的文法と感じたものにワクワク


―――気鋭の映像・映画理論研究者である中村さんが、映画に興味を持ったのはいつごろですか?

中村:小学校のころからテレビでよく映画を観て、映画でしか出会えないものがあると確信を持ったのが原点ですね。映画好きだった父の影響はあると思います。僕の場合はストーリーを追うのではなく、とにかく映像そのものの魅力に没頭しました。黒人が日本刀を振り回してヴァンパイアを叩き斬る『ブレイド』(98)や、スティーブン・セガールが手をくるくる回せば自動的に敵が倒されていくさま(『沈黙』シリーズなど)を観て、じぶんの出自やアイデンティティや考え方と異なる人の言葉やアクションに触れることへの喜びを感じました。こういう身体の使い方があるんだ…と。当時のTVバラエティー番組では得られない刺激と精神的な栄養を、映画から得ていました。テレビで放送していた映画はすべて録画し、ジャンルを問わずとにかく観ていましたね。

―――なるほど、テレビが映画との出会いの場だったんですね。テレビでオンエアされる映画、しかも洋画となるとハリウッドがほとんどだと思いますが、アジア映画、特にタイ映画に惹かれたきっかけは?
中村:小、中学生時代に、テレビでジャッキー・チェンやブルース・リーなどの作品を見たとき、どう考えてもハリウッドとは全く違うアジア映画の表象があったわけです。なにかが明らかに違う、と当時の自分が感じた「アジア的」なるものに、とてもワクワクしました。その意味でアジア映画というくくりで映画を観る自覚はあったと思いますが、さすがにタイ映画には出会えなかった。それでもNHKBSなどで『青いパパイヤの香り』(93)などの東南アジア圏の映画も少しは観ていたと思います。

■ビデオテープを集め、作品に付随する情報を楽しむ


―――中村さんは大阪ご出身ですが、ミニシアターにもよく足を運ばれたのですか?

中村:実は小、中学生ぐらいまではシネコンで『ゴジラ』シリーズを観るぐらいで、むしろTSUTAYAが好きでした。当時はビデオテープにすごく執着していたんですよ。ビデオテープに映画を録画して集めることが大好きだったので、映画館やミニシアターに通い始めたのは中学生の後半ぐらいからなんです。

―――十分、早いミニシアターデビューですよ!
中村:シネコンでいえば、高校1年生で初めてデートをしたときに、香取慎吾主演のテレビ映画『西遊記』(07)を観に行きました。相手の希望作品に「マジか…」と思った記憶もあります。

高橋:『西遊記』をテレビ映画と思っていたなら、高校1年生ですでにシネフィル意識があったんですね。自分が高校生だったら、「香取慎吾主演なら行きたい!」という気持ちもわかるけど。

中村:当時はそもそも最新作に興味がなかったんです。というより、僕にとっての「映画」は、テレビやビデオで観ることに定義付けされていました。映画館は遊園地のアトラクションのようなものだったのです。

むしろ映画がいつ作られたか、だれが出演してだれがいつ監督をしているかなどを覚えるのが好きで、「『七人の侍』は黒澤明で1954年だ」とか、頭の中でそうした記憶の引き出しを開けたり閉じたりして、「映画」を観ていたように思います。

 高橋:環状線の駅名を全部言えるとか、そういう感じですか?思いもかけない方向に興味が向かっていましたね(笑)

―――自分が録画したビデオテープが溜まっていくのにワクワクし、旧作の作品情報をインプットしていったと?
中村:そうです。4.5畳の自分の部屋がビデオテープでパンパンに埋まりました。そんなビデオの背面には3本の映画タイトルが書かれているわけですが、それを眺めるだけで、「この映画は誰それが出演していて、何年の映画で、こんなシーンがあって…」と反芻しながら、「あー気持ちいい」とウットリしていた(笑)僕は映画に付随する情報をもっぱら味わうタイプで、映画を観なくても映画を観ることができました。映画館以外で映画を観ることに長けていたのでしょう(笑)僕たち世代(30代以上)はやはりテレビの影響が大きく、その鑑賞体験からシネフィルになる人も一定数いたと思います。 

―――中村さん世代は、テレビの影響を受けた最後の世代かもしれませんね。
中村:そうですね。いまは配信による映画視聴がマジョリティの時代になり、U-NEXTやNetflixで映画はいつでも観ることができます。しかしいま、ビデオテープやDVDのように映画を簡単に「所有」できない問題があります。会社の方針や配給との契約条件などで、一定期間が過ぎて配信が終わってしまえば、僕たちがその映画と出会う確率は限りなく減る。他方でDVDやブルーレイは作ってもなかなか売れないのでソフト自体が作られなくなる。では、いつその映画に再び出会えるのか。ビデオテープがLP盤のように復興するのは難しいでしょう。逆に、映画館の価値がむしろいま高まっているのではないかと思うわけです。

高橋:わたしは本とCDはモノとして持っていたい派で、デジタルではダメなんです。全然読めていないのに、すごくたくさん本を買うんですよ。読むために買うのではなく、持つために買っているみたいな。

中村:すごくわかる! 僕も学生時代、奨学金を使って本やDVDをたくさん買っていました。今は返済の負担が大きくて大変ですが、モノとしては残っているので文句を言えないんです。


中村さんが学生時代、山田洋次監督『東京家族』の撮影助手をしていた頃。現場ではカメラはいちども覗いていない

■映画理論を知り、緻密に語れることを実感


―――配信時代こそ映画館というのは、わたしもそう思います。配信されている旧作は意外と限られていることに気づいてきた人も多いのではないでしょうか。中村さんは立命館大学映像学部に進まれましたが、最初は映画を撮る方に興味があったと?
中村:高校まではひたすら観ているだけでしたが、大学時代は映画やMVを撮りまくっていました。実は元町映画館で、僕が撮影・照明、編集を担当した短編映画を2015年第二回元町ショートフィルム・フェスティバルにかけてもらったこともあります。大きな転機となったのは、大学3年時のゼミを選ぶときでした。僕の周りは実写制作系のゼミを選ぶ人が多かったのですが、僕は映画を作りたいのに映画理論や批評を学ぶゼミに行ってしまった。というのも、映画をもっと批判的に考えて作りたい気持ちが強くなったんです。「アンドレ・バザンや蓮實重彦の映画批評をちゃんと読もうよ」と思ったし、読まないで撮ることの恐怖があった僕には、「みんな何を考えて撮影しとんねん」と斜に構えていた。

高橋:いやだぁ〜(笑)

中村:めちゃくちゃ腹たつ奴ですよね(笑)ちゃんと知識を蓄えて、戦略的に撮ろうと思った結果、研究やいろいろな理論を学びはじめた途端に、撮る気が失せてしまった。それだけ面白かったんです。精神分析や現代思想など、映画をより豊かに語るためのツールを学べたので、映画を観るのがもっと面白くなったんです。この映画にこんな構造があったのか、とか。映画が緻密に作られている実感を強く持ったんです。生意気なんですが、目の前の映画を分析することで「分解し、再構成する」こともひとつの「創作」として捉えてみるようにしたんです。それは映画理論や映画批評の面白さにたくさん出会えたから気づいたことかもしれません。 

―――なるほど。ちなみに卒業論文は何について書かれたのですか?
中村:卒業論文はキム・ギドクのセルフドキュメンタリー映画『アリラン』(11)について書きました。ギドクという自己が複数化していき、自分を撮っている自分も現れ、撮った映像を編集する自分も現れる。自分が考えていることを別の視点で分解して考えていく自分が現れる展開に、なんと多層的だろうと驚きました。ドキュメンタリーという言葉を使って表されるものは何か、その揺らぎにすごく関心を持ったのです。大学院ではドキュメンタリーの研究をするつもりで進学しました。 


アピチャッポン『メコンホテル』の撮影地へ

■アピチャッポン作品は「ドキュメンタリー」という言葉への疑いに対するアンサーだった


―――神戸大学大学院人文学研究科在籍時代に、運命の出会いがあったのですか?
中村:多くの研究者にとって、自身の研究テーマとの出会いは決してロマンティックなものではなく、わたしも同様です。ずいぶん前にアピチャッポン・ウィーラセタクン(以下、アピチャッポン)の長編映画『ブンミおじさんの森』(10)を観ていました。カンヌ国際映画祭のパルム・ドールをタイ映画史上初めて獲得した本作で、日本で知っている人も少なからずいるでしょう。しかし、当時の私はまったくハマりませんでした。それが出会いですね…。ともあれわたしは、美学・芸術学の研究室に入りました。先生も写真論や美学が専門だったし、学生も研究分野がバラバラだった。僕も哲学や美学、芸術学の基本的な文献から写真論まで学びはじめたんです。映画を論じるためには、映画以外の多様な議論を学ばない限り、映画を語るのは無理だと思って…。

高橋:さっきと一緒ですね(笑)これをするためには、これを学ばねば…みたいな。興味が広がっているということでもあるでしょうし。これが足りないとか、これがあればもっと遠くまでいけると考えておられるんですね。

 中村:思考回路が同じですね(笑)大学院では、アピチャッポンの長編デビュー作『真昼の不思議な物体』(00)をたまたま手に取り、これは凄いと思いました。ずっと「ドキュメンタリー」という言葉を疑っていたのですが、アピチャッポンの作品はそれへのひとつのアンサーになっていたんです。

―――「ドキュメンタリー」という言葉への疑いとは?
中村:ドキュメンタリーって存在しないのではないかと思うくらい、そもそも曖昧な言葉なんです。というより、ドキュメンタリーというカテゴリをわざわざつくって、わたしたちはいったい何を理解した気になろうとしているのか、と。
 アピチャッポンの『真昼の不思議な物体』は「さっきおばちゃんから〇〇の話を聞いたのだけど、あなたはその話の続きを語ってくれないか」という具合に、どんどん数珠つなぎで、カメラの目の前にいる人たちの創作を捉えているだけなんです。当時の僕にはすごく複雑なことがなされているように見えました。カメラの前で物語も構成も勝手に創造されていくので、いわば作家としてのアピチャッポンはどんどん後ろに追いやられる。この映画の作り手とはだれか、自然にフィクションを話す人間の姿をドキュメントする映像を、僕たちはどうカテゴライズし、心構えをして見ればよいのか。そんなことを毎シーン問うてくるわけです。


2016年、アピチャッポンとツーショットの中村さん

■目に見えないものの方が豊かだと気づかせてくれたアピチャッポン


―――今までのドキュメンタリーのイメージを凌駕する、カテゴライズできないような作品だったんですね。
中村:そうなんです。ちょうどその頃、京都で個展(アピチャッポン・ウィーラセタクン個展 -PHOTOPHOBIA-@京都市立芸術大学ギャラリー)が開催されていました。どうして「映画監督」のアピチャッポンが美術館にいるのかと不思議に思いました。しかし、僕の知っていた彼の映画をつくる側面は、彼にとってマイナーな部分でしかなかった。カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した『ブンミおじさんの森』(10)で有名になりましたが、受容する層も認知度も、現代美術の文脈での活躍のほうがよく知られていたのです。当然個展も素晴らしかったし、彼の作品と出会ったことで、映画と呼ばれているもののカテゴリとその隣接した物との関係に関心を持ったのです。たとえば映画館では短編映画として上映されるものも、美術館で投影されると「インスタレーション」と呼ばれることがあり、別の文脈が流れ込んできます。アピチャッポンは、どうしても何かをカテゴライズしたがる生物としての人間を逆撫でしては置いてきぼりにする作家です。そのいやらしさと張り巡らされた戦略に関心を持ったわけです。

 高橋:すると、意外や研究している先人がいなくて、日本でただ一人の研究者だと?

 中村:みんなアピチャッポンのことはよく書けるんです。いろんな研究者や批評家が彼の作品を扱ってきた。でも、ずっとアピチャッポンのことばっかり考える人は、まだ日本であまりいなかっただけです。僕が研究を始めた当時、きっと5年後にはアピチャッポンについての博士論文を書く人が増え、アピチャッポン論を検索したら続々出てくると思ったのですが…そんなに状況は変わっていないです。

 高橋:アピチャッポン作品は語りたくなるけれど語りにくいとか、掴みづらいのかもしれませんね。

 中村:僕は「映っているものしか信じない」という屈折したシネフィルのスタンスでしたが、アピチャッポンに出会って180度変わりました。「むしろ目に見えないものの方が豊か」だと思ったのです。目に見えないものを感じさせるために、ごく一部のものを見せている。なので彼の表現はとても奥行きや広がりがあり、見えないところへの想像力の喚起のさせ方がすごいんです。 


『ユリイカ』2022年3月号、アピチャッポン特集

■元町映画館オープンダイアローグが誕生するまで


―――東京・日暮里にあるSCAI THE BATHHOUSEで、アピチャッポンの個展「Solarium」がありましたね。彼の新作インスタレーションについてはまた別の機会に聞かせてください。では、元町映画館でのオープンダイアローグについて振り返っていきましょうか。
中村:2022年1月、フレデリック・ワイズマン監督『ボストン市庁舎』の公開前に、「もっと行政の人たちと市民でポジティブな関わりができる場があれば」と、神戸市役所に勤めている僕に未来さんから相談を受けました。職場の関係者で興味を持ってくれそうな人を探し、公開記念シンポジウム「市民と行政の〈対話〉はほんとに〈ムズカシイ〉の?」で進行を務めました。それに先立って、未来さんが元町商店街のタウンニュースにレビューを書かれていたのが勘所を押さえた素晴らしい内容だったので、その意思を引き継ぎつつ「では神戸市ってホントのところどうなの?」という議論を交わす場になればと。シンポジウムという形式に囚われすぎず、登壇者やお客さん同士でアイスブレイクも取り入れながら、いろいろなご意見をいただきました。とてもいい感触を持てたので、これからも映像作家や行政の人たちも交えてひとつのテーマについて語り合えれば、すごいことになるなと思ったんです。未来さんも同じような感触を持ってくださっていたことで、オープンダイアローグに繋がっていったのかなと。

高橋:中村さんがシンポジウムでファシリテーターとして全体の進行をしてくださっていたのがすごく良かったんです。『ボストン市庁舎』を観て、行政と市民の距離の近さを感じたのに、自分にとって行政や役所は遠い存在だった。でもシンポジウムで行政の人と対話ができたのがよい体験となったし、またやれたらいいなと思っていたんです。最近は中村さんに「行政の人」として来ていただいているという感じではなくなってきましたが(笑)参加者が主体になって話すのがいいし、場を回す役割を映画館のスタッフではなく、中村さんのような人にやっていただけたらすごくいいなと思いました。

―――わたしも記録係として参加していますが、アイスブレイクの後の、中村さんからの最初の問いもいいなと思います。これからは2ヶ月に1回ぐらいの頻度で開催できればいいですね。
高橋:今回開催するまで1年空いてしまいましたが、もう少し回数を増やしたいですね。参加の主体が映画を観たお客さまで、お客さま同士の会話ができるようにということで、オープンダイアログの企画をはじめました。1回目の「映画『WHOLE』から“ハーフ”を考える」は、ちょうど“ハーフ”という言葉を使うのはどうなのかという議論が世の中で起こっていたころだったので、川添ビイラル監督にも意見を伺い、「ハーフ」と呼ばれることを嫌がる人もいるけれど、気にしない人もいるとか、ハーフでない人はどう思っているのかを聞きたいとおっしゃっていたので、企画した感じですね。


元町映画館オープンダイアローグ #04【映画『フジヤマコットントン』から“働く”ことを考える】@まちラボ 青柳拓監督と中村さん

■オープンダイアローグのこれから


―――今日開催した「映画『フジヤマコットントン』から“働くこと”を考える」も青柳拓監督に参加していただき、障害者施設の問題を描いた作品と捉えるのではなく、そこで活動をしている人を見つめた作品だと、まずは人ありきだとおっしゃっていたのに、大きく頷きました。
高橋:青柳監督が参加してくださったことで、映画を観たときの印象が変わったお客さまもいらっしゃったのではないかと思います。やさしい映画だとは思うけれど、どういうやさしさであるかは言語化できていなかったりする。でも、青柳監督が解説してくださったことで、そういうことかと理解できました。

 中村:毎回、オープンダイアローグのファシリテーターを務めるときは、すごく緊張しているんですよ。オープンダイアローグは映画の魅力というよりはむしろ、その作品が抱えるテーマを深掘りしていくので、どんどん自分の専門分野から離れていく…。だから僕自身が一番勉強になっているんです。

 高橋:今、初めて無茶なことを頼んでいるなと思いました(笑)

―――中村さんのファシリテートのおかげで、お客さまから自然発生的にお話をしてくださる雰囲気が作れているのが、さすがだと思います。最後にオープンダイアローグに限らず、中村さんが元町映画館に期待したいことや、やってみたいことは何かありますか?
中村:まず、自分がもっと映画館に足を運ぼうと思っています!

高橋:待ってまーす!オープンダイアローグはどうしてもテーマが社会課題になってしまう。でもそういうことを身近で話し合える場がなかなかないと思うので、それを続ける一方で、もっとささやかなテーマがあってもいいのかなと思っているところです。今のテーマだと、自分は何も知らないから行けないと思っている人もいるんじゃないかと。実際に参加してもらえれば、そういうことを感じない場であることをわかってもらえるのですが、参加する前に想像だけで止めてしまう人もいるでしょう。自己紹介の後は聞く専門でもいいわけですから。

中村:そうですね。もっとなにげないテーマでもいいのかもしれません。あと実現の度合いはさておき、国際映画祭を神戸でできないものかと考えています。神戸六甲ミーツ・アート(今年は「神戸六甲ミーツ・アート2024 beyond」と名称を改めている)は六甲山観光株式会社、阪神電気鉄道株式会社など主催者がしっかりしていることから成功していますが、あくまで行政がサポートする映画祭や芸術祭がなかなか神戸に根付かず、続けられていないという印象があります。

―――神戸には1996年から20年間開催された「神戸100年映画祭」や、現在は「神戸インデペンデント映画祭」、神戸映画資料館での「神戸発掘映画祭」、同資料館と旧グッゲンハイム邸で開催の「神戸クラシックコメディ映画祭」などがありますが、中村さんがプログラミングディレクターをされるなら、国際映画祭を神戸で開催することも夢ではないかも!とこちらも妄想が膨らみました。今日はありがとうございました!
(2024年4月20日収録)

<中村紀彦さんプロフィール>
映像/アピチャッポン・ウィーラセタクン研究。京都芸術大学通信教育学部非常勤講師。
共著に『アピチャッポン・ウィーラセタクン:光と記憶のアーティスト』(フィルムアート社、2016年)、『小津安二郎  大全』(朝日新聞出版社、2019年)、『躍動する東南アジア映画:多文化・越境・連帯』(論創社、2019年)ほか。『美術手帖』、『ユリイカ』、『ヱクリヲ』などの雑誌にも寄稿。
また、神戸市役所にデザイン・クリエイティブ枠で入庁し、広報やまちづくりの業務に携わる。

Text江口由美


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