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沖縄唐手研究倶楽部結成の日の事件

上原清吉によると、沖縄唐手研究倶楽部は大正13(1924)年に那覇波の上に結成された。通称をクラブ小(グヮー)と言った。このクラブは本部朝勇が会長を務め、宮城長順が主任教授を務めた。上原先生も茶ワカサー(お茶係)の名目で最年少で参加していた。

ほかにも喜屋武朝徳、摩文仁賢和、照屋亀助などの先生方も参加されていたという。先日の記事でも書いたとおり、クラブグヮーの目的は、沖縄に「唐手の専門学校」のようなものを設立しようと考えたのであろう。

これは伝統的な師弟関係に基づく唐手の教授制度を、西洋的、近代的な「学校制度」に基づく教授制度へ移行させようとしたのではないだろうか。つまり、公共的な建物で複数の唐手家が講師陣として名を連ねて生徒達を指導し、生徒達は各先生方から首里手、泊手、那覇手をある程度自由に学べるような教育環境を構築しようとしたのだと思う。

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