見出し画像

型「ジオン」の起源について

現在、発売中の『月刊秘伝』(2024年9月号)でドイツの空手研究者、ヤニック・シュルツェ先生が空手の型・ジオンについて記事を書かれている。

本部流にはジオンの型はないので、筆者はこの型については詳しく知らないが、本土では松濤館や糸東流にあるので、よく知られた型だといえる。 しかしこの型の起源となると、それほど明確ではない。

例えば船越義珍は『空手道教範』(1935年)の中で、この型を中国の慈恩寺との関係で起源を論じているが、慈恩寺の北京語(共通語)の発音はツーエンスー(Cí'ēnsì)であり、日本語の慈恩寺の発音と近いとは言えない。

したがって、型のジオンを中国の慈恩寺と関係で起源をもとめるのは、日本語の音読みに基づく発想でいささか無理がある。仮に慈恩寺という名称の寺が福建省にもあったとしても、福建省の方言ではチーウンジー(Chî-un-sī)と発音するので、やはりジオンとは異なる。

そもそもジオンの型名は文献ではいつから現れるのであろうか。糸洲安恒はこの型を教えていたのだろうか。実は糸洲先生がこの型を教えたと確実に証明できる資料は存在しない。ヤニック先生は戦前の沖縄の文献を調べながら ジオンの型名がいつまで遡れるのか検証している。

また沖縄ではジオンはそれほど一般的ではない。知花朝信はこの型は教えなかった。現在は花城長茂から伝わったジオンがいくつかの道場で伝承されている。また、本土では、松濤館や糸東流以外にも大分県の東恩流で屋部のジオンが伝承されている。ヤニック先生は実際にそれら道場を訪問して、それぞれの道場のジオンの特徴について調査している。

このようにヤニック先生は単に文献からではなく、実際に各道場に伝わる型を調査しながら記事を書いているので説得力がある。 細かい検証は記事に書かれているので、ジオンの型の歴史に興味ある方はぜひ記事を読んで参考にしていただきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?