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松村宗棍の言葉ー武士は神速を尊ぶー

松村宗棍まつむらそうこんの言葉に「武士は神速を尊ぶ」というものがある。たとえば、義村御殿よしむらうどぅん義村朝義よしむらちょうぎが著した自叙伝「自伝武道記」(1941)に以下の一文がある。

松村翁は豪力で敏捷で、典型的武士気質であった。それでよく「武士は神速を尊ぶ」と訓えて居られたが、……

義村仁斎「自伝武道記」22頁。原文は旧字旧仮名遣い。

義村は空手の手ほどきを義村御殿に務める石嶺某に学んだ後、松村宗棍と東恩納寛量ひがおんなかんりょうに師事した。つまり、この言葉は弟子が松村先生から直接聞いたものである。

さて、この言葉はよく「突きの物理的な速さの重要性を説いたもの」と解釈がされているが、果たしてそうであろうか。

確かにその解釈は間違ってはいないが、筆者はもう少し広い意味がこの言葉には込められていると思う。

松村先生のこの言葉には実は出典がある。それは陳寿『三国志』魏書の郭嘉伝にある「兵貴神速へいはしんそくをたっとぶ」という言葉である。

「兵貴神速」

郭嘉かくか(170-207)は、魏の曹操に仕えた軍師である。207年、曹操が烏桓征伐うがんせいばつで易県まで進軍した際、郭嘉は曹操に「兵は神速を貴びます。輜重しちょう(補給物資)はここに残して軽騎兵だけで昼夜進んで、敵の不意を突きましょう」と進言した。

つまり「兵は神速を貴ぶ」とは、戦いにおける奇襲、急襲の重要性を説いた言葉なのである。

また、孫子の兵法に「兵聞拙速、未睹巧之久也(へいはせっそくをきくも、いまだたくみのひさしきをみざるなり)」という言葉がある。

これも、戦いというのは、時間をかけて、準備万端、完璧な作戦を行うよりも、多少作戦がまずくても素早く敵の不意を突いて急襲し、短期で決着を付けるのがよい、という意味である。

これらのことを空手に当てはめると、どういう意味になるであろうか。それは「本部朝基語録」にある、「唐手は先手である」とか「当身の力の乏しい相手の攻めはいちいち、受けなくともよい。一気に攻めるべきである」ということではないであろうか。

実戦においては、相手の行動を待ってから動いては命取りになる。たとえば、もし不心得者が琉球国王の行列を襲った場合、どう対処すべきか。相手が抜刀して斬りかかるのを待ってから対処すべきであろうか? むしろ相手が抜刀する前に、国王の御輿に近づこうとしている段階で、斬り伏せるべきではないか。

松村先生は「お側役」として琉球国王に仕えたといわれている。もしそうなら、国王の普天満宮参詣の折などは、その警護にも当たったであろう。

琉球国王の行列。出典:『冊封琉球全図』。

いわば、現代のアメリカのシークレットサービスのような役割である。国王の身の安全を守ることが至上命題で、そのためにどう対処すべきか絶えず頭の中でシミュレーションしていたはずである。

昨年、日本では安倍晋三元総理が暗殺されるという痛ましい事件が起こった。アメリカなら犯人が近づいた段階で対処していたであろうが、日本の警護は発砲されるまで反応できなかった。

松村宗棍にとって、武術というものは第一に国王を守るためにあった。沖縄には「御主御奉公(うしゅぐふうくう)」という言葉がある。舞踊でも音楽でも武術でも、国王(御主)のために行うという意味である。

「空手は『空手に先手なし』と言って、相手が攻撃するまでこちらは攻撃してはいけないのだ」などと解釈をする人たちがいるが、そんな考えでは国王を守れなかったであろう。

松村先生は兵法にも通じていた。それは、弟子の桑江良正に宛てた手紙を読んでもわかることである。

したがって、「武士は神速を尊ぶ」という言葉は、兵法で説かれているような、戦いにおける「先手」の重要性の意味も併せて含んでいたはずである。そして、そうでなければ国王を警護することはできないのである。

出典:
「武士は神速を尊ぶ」(アメブロ、2016年10月10日)。note移行に際して改稿。


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