空手の突きと柔術の突きの違い
空手の突きと柔術の突きの違いについては、以前アメブロのほうで述べたことあるが、最近SNSでその話題が持ち上がっていたので改めて紹介したいと思う。
例として中段正拳突きを挙げると、空手の突きの特徴は以下のようになる。
・引き手に構える。しばしば引き手側から突く。
・手首を内旋させながら手の甲を上向きにして突く。
・親指は四指で握り込まないで、人差し指の上に置く。
これに対して、柔術の突きの特徴は以下の通りとなる。
・引き手に構えない。
・手首は内旋させないで突く。
・親指は四指で握り込む。
空手の場合、少なくとも近代では引き手に構え、引き手側(奥手)から突くのが一般的である。本部流の場合(本部拳法、本部御殿手とも)、夫婦手に構え、前手からも突く(いわゆる現代の刻み突き)が空手界全体から見れば例外的である。
柔術の場合、引き手に構えないで、無構えもしくは腰のあたりに手を添えたりする。
上の図を見ると、引き手に構えず、前手を掌を上に向けて突いているのがわかる。著者の井口義為は天神真楊流の人であるが、執筆にあたって他流も参考にしたようである。
握り方は上図からはわかりにくいが、本文の解説に「拇指は中に折込で拳になすべきなり」とある(50頁)。
親指を握り込むことについては、以前アメブロで紹介した際、古流柔術の修業者の方から自分は空手風に習ったとのメッセージを頂いた。ただそれが江戸時代以前からそうだったかと尋ねると、それはわからないという。
柔術の絵を載せた江戸時代の伝書(絵目録)はいくつか見たことがあるが、突き(当身)の絵は見たことがない。また、絵そのものも省略して描かれていたりして、細かい部分は隠している場合もある。したがって、古流柔術の修業者でも自流派の技法の歴史の詳細はわからない場合が多い。
いずれにしろ、柔術流派も伝承者が空手を以前に習っていたり、併習していたりして、知らず知らずのうちに空手の技法が混ざっている場合が多々ある。大東流のように明らかに空手風の構えや突きをしている流派もある。
大東流の場合、事実上の開祖である武田惣角が明治年間に沖縄に渡って「沖縄手」を修業したとの口碑があるから、もしこの伝承を信じるならば武田惣角の頃より空手風の突きだった可能性がある。仕手(攻撃側)が下段払いに構えるのも、とりわけ本土で主流の空手的構えである。
拳の握り方についても、すでに戦前の植芝盛平の写真を見ると、当時から空手のように親指を人差し指の上に置く握り方をしていることがわかる。
上の写真は植芝先生が大東流からの独立を模索していた時期に撮影されたもので、まだ合気道を正式には名乗っていない。親指を握り込んでいないことがわかる。
いずれにしろ、大東流に限らず、すでに戦前から柔術の諸流派の当身には空手の影響が及んでいたと考えるべきであろう。
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